表題のような地方都市って、元は田園だったところとか多いよね。
田圃の真ん中に集落がポツンとあったのが、田圃を埋め立て住宅を造り、また造成し住宅が広がって行く。
そうやって集落がつながって大きな街を形成した所って大都市近郊には多いと思う。
そうやって街は広がって行くんだけど、「道」は昔のままだったりするんだね。
昔の田園集落の道っていうのは、”街道”があって、そこから各集落へつながる道が一本あって、各集落同士をつなぐ道はなくて、どこか別の集落へ行くには一旦街道へ出て集落へつながる道を入って行く、という場合が多い。
そういう不便さも、実際には各集落で人が行き来する事が少ないので問題はなかった。
むしろ”安全面”で出入り口をひとつにしておく傾向もあった。
また、河川で区切られていたり、明治以降なら鉄道で区切られていても、それが集落の中を分断していなければ行き来がないので問題なかった。
田畑が造成されて住宅に変わっても、道幅を拡張したり舗装したりはしても、驚くほど昔のままの道筋を使い続けて、新たに道路や橋を造るという事をしてこなかったのは、当事者や行政が「どうせ行き来はないだろう」と思う意識があったからではないかと思う。
時代を経て、田畑はなくなり、一面住宅地になった時に問題が起きた。
自家用車というものを持ち、別の所から超してきた人が増え、その地域だけで生きていく時代ではなくなった時に、人の行き来に道路が対応出来なくなった。
ほんの近くの、あるいは川向こうのショッピングセンターに行こうと思っても、直接向かう道や橋がなく、一旦大きな幹線道路に出て、遠回りしないと行けない状態になったのだ。
ところが幹線道路はそういう状態だから、いつも混雑し、混雑を緩和するためと称して道幅を広げたり、立体交差や高架などを作るが、結局渋滞は緩和せずに、クルマの流入は増えるばかりで、その周辺の細い路地は逃げてきたクルマで渋滞しと、解決策が見つからない。
近道をしようと”裏道”へ入ってきても、途中で道が途切れたり、結局幹線道路に戻らないと川や線路が渡れなかったりと、まったく使えない道路だと諦めるしかなくなる。
すべて道路計画が悪かった、あるいはしてこなかったからこうなった。
都市になるという事が、人の出入りと移動を伴うものだという意識がなかったからだ。
徒歩と牛馬でしか移動がないという明治以前の意識のままで、ムラが都市化した結果だ。
それを今更何とかしようとしても、大規模な工事を何年も続けてアンダーパスや高架を”ひとつ”作るのが精一杯で渋滞の解決が出来ない、なんて事ばかりだ。
そこまで行き着くと、その地の都市化は止まってしまう。
移動が制限され、不便だからだ。
そして老化して寂れて行く。
そんな地方都市は多くないですか?
すべて昔ながらの道に頼って、都市として必要な道路網を作ってこなかったからだと思う。
浜坂 6 兵庫県新温泉町
篠島 5 愛知県南知多町
田圃の真ん中に集落がポツンとあったのが、田圃を埋め立て住宅を造り、また造成し住宅が広がって行く。
そうやって集落がつながって大きな街を形成した所って大都市近郊には多いと思う。
そうやって街は広がって行くんだけど、「道」は昔のままだったりするんだね。
昔の田園集落の道っていうのは、”街道”があって、そこから各集落へつながる道が一本あって、各集落同士をつなぐ道はなくて、どこか別の集落へ行くには一旦街道へ出て集落へつながる道を入って行く、という場合が多い。
そういう不便さも、実際には各集落で人が行き来する事が少ないので問題はなかった。
むしろ”安全面”で出入り口をひとつにしておく傾向もあった。
また、河川で区切られていたり、明治以降なら鉄道で区切られていても、それが集落の中を分断していなければ行き来がないので問題なかった。
田畑が造成されて住宅に変わっても、道幅を拡張したり舗装したりはしても、驚くほど昔のままの道筋を使い続けて、新たに道路や橋を造るという事をしてこなかったのは、当事者や行政が「どうせ行き来はないだろう」と思う意識があったからではないかと思う。
時代を経て、田畑はなくなり、一面住宅地になった時に問題が起きた。
自家用車というものを持ち、別の所から超してきた人が増え、その地域だけで生きていく時代ではなくなった時に、人の行き来に道路が対応出来なくなった。
ほんの近くの、あるいは川向こうのショッピングセンターに行こうと思っても、直接向かう道や橋がなく、一旦大きな幹線道路に出て、遠回りしないと行けない状態になったのだ。
ところが幹線道路はそういう状態だから、いつも混雑し、混雑を緩和するためと称して道幅を広げたり、立体交差や高架などを作るが、結局渋滞は緩和せずに、クルマの流入は増えるばかりで、その周辺の細い路地は逃げてきたクルマで渋滞しと、解決策が見つからない。
近道をしようと”裏道”へ入ってきても、途中で道が途切れたり、結局幹線道路に戻らないと川や線路が渡れなかったりと、まったく使えない道路だと諦めるしかなくなる。
すべて道路計画が悪かった、あるいはしてこなかったからこうなった。
都市になるという事が、人の出入りと移動を伴うものだという意識がなかったからだ。
徒歩と牛馬でしか移動がないという明治以前の意識のままで、ムラが都市化した結果だ。
それを今更何とかしようとしても、大規模な工事を何年も続けてアンダーパスや高架を”ひとつ”作るのが精一杯で渋滞の解決が出来ない、なんて事ばかりだ。
そこまで行き着くと、その地の都市化は止まってしまう。
移動が制限され、不便だからだ。
そして老化して寂れて行く。
そんな地方都市は多くないですか?
すべて昔ながらの道に頼って、都市として必要な道路網を作ってこなかったからだと思う。
浜坂 6 兵庫県新温泉町
篠島 5 愛知県南知多町