台風の影響による気圧の変化のためなのかな、体調が悪く気分も落ち込み気味な今日。
帝塚山にあるLimeLightに「大判ぶるまい」を見に行っても心は晴れず、美0に「釜ヶ崎劇場」を見に行っても落ち込んだまま、まずいなぁウツウツするなぁとしょぼくれてしまった。
もう帰ろうかと思ったけれど、もう一軒だけとBEATS GALLERYの「チグハグな寓話」に足を運んだ。
入ってすぐに「いいねぇこれ」と心が躍った。
画像に様々な工夫を凝らしてイメージの世界を膨らませる。
”相手”がそうくるなら、こちらもイメージの世界に入りましょうと、落ち込んだ気持ちを切り替えて抽象イメージの世界に。
写真というと単純に具象の世界だと決めつけて、何を写したか(多くは何が写っているかだけれど)の問題ばかりなんだけど、もっと自由に表現すればイイのにと思い続けていて、そんなものにほとんど出会わず、写真って狭い世界に閉じこもっているなぁと感じていたんだけど、やっと出会った感じ。
作者のいけたにいさむさんは、元々は抽象画の世界の人だといい、写真にデジタルが進出して、自由にイメージが作れるようになった事で写真に様々なイメージを重ねあわせて作品づくりをするようになったそうだ。
ジックリと見ていたら、脇で若い人に廊主が感想を求めていて、若い人は「どうして写真にこんな加工をする必要があるんだ?」と否定的な意見を言っていた。
もちろん部外者なので黙っていたけど、心の中では「だってイメージが広がって楽しいでしょ?こういう写真もアートとしてあるんだよ。そういうイメージを抱く事が出来ないなんてかわいそうだな。そのそもストレートに撮影したオノレの写真がどれほどのもんなんだよ。写真はこうだ!なんて言ってるヤツに限って数年したら写真をヤメてるんだよ。10年経って出直してこい!」とヒートアップ。
それでもオトナだから、わざと聞こえるようにいけたにさんに「イメージが広がりますねぇ。楽しいですねぇ」と感想を。
聞いてたか?若者!
聞いてネェよなぁ。
ギャラリーを出る頃にはすっかり秋の空のように心が晴れていた。
行って良かった。
写真にだって表現の自由があるんだよ。
福建通り
長崎県長崎市籠町,館内町
撮影 2014年3月22日 土曜日 16時15分
帝塚山にあるLimeLightに「大判ぶるまい」を見に行っても心は晴れず、美0に「釜ヶ崎劇場」を見に行っても落ち込んだまま、まずいなぁウツウツするなぁとしょぼくれてしまった。
もう帰ろうかと思ったけれど、もう一軒だけとBEATS GALLERYの「チグハグな寓話」に足を運んだ。
入ってすぐに「いいねぇこれ」と心が躍った。
画像に様々な工夫を凝らしてイメージの世界を膨らませる。
”相手”がそうくるなら、こちらもイメージの世界に入りましょうと、落ち込んだ気持ちを切り替えて抽象イメージの世界に。
写真というと単純に具象の世界だと決めつけて、何を写したか(多くは何が写っているかだけれど)の問題ばかりなんだけど、もっと自由に表現すればイイのにと思い続けていて、そんなものにほとんど出会わず、写真って狭い世界に閉じこもっているなぁと感じていたんだけど、やっと出会った感じ。
作者のいけたにいさむさんは、元々は抽象画の世界の人だといい、写真にデジタルが進出して、自由にイメージが作れるようになった事で写真に様々なイメージを重ねあわせて作品づくりをするようになったそうだ。
ジックリと見ていたら、脇で若い人に廊主が感想を求めていて、若い人は「どうして写真にこんな加工をする必要があるんだ?」と否定的な意見を言っていた。
もちろん部外者なので黙っていたけど、心の中では「だってイメージが広がって楽しいでしょ?こういう写真もアートとしてあるんだよ。そういうイメージを抱く事が出来ないなんてかわいそうだな。そのそもストレートに撮影したオノレの写真がどれほどのもんなんだよ。写真はこうだ!なんて言ってるヤツに限って数年したら写真をヤメてるんだよ。10年経って出直してこい!」とヒートアップ。
それでもオトナだから、わざと聞こえるようにいけたにさんに「イメージが広がりますねぇ。楽しいですねぇ」と感想を。
聞いてたか?若者!
聞いてネェよなぁ。
ギャラリーを出る頃にはすっかり秋の空のように心が晴れていた。
行って良かった。
写真にだって表現の自由があるんだよ。
福建通り
長崎県長崎市籠町,館内町
撮影 2014年3月22日 土曜日 16時15分