Nonsection Radical

撮影と本の空間

判断材料

2015年02月21日 | Weblog
ほとんどの人って、情報を得るのは新聞、雑誌、テレビ、ネットじゃないですか。
でもそのほとんどは”うわべ”だけの情報で、背景などはあまりわからないでしょ。
そんな薄い情報だけで、ものごとを判断せざるを得ないのって無理があるよ。
テレビなんかの情報番組と言えば、お笑い、あるいはクイズ番組と同意語になっていて、肝心の中味は少しだけって事が多いのではないですか。
結局、発信する側が、詳しい事を報じても関心を持ってくれない、という思いがあるんでしょうね。
そもそも何か詳しい情報が欲しい人がどれだけいるんだ?という事もあるんでしょうがね。
それでいて、何か判断をせざるを得ない状況というのも増々増えてくるんだと思うんだけど、そういう時にどうすりゃいいんだろうね。
最近の事でいえば、原発再稼働とか集団的自衛権とかの話で、必然的に各自の判断を求められるわけじゃないですか。
でも、それに対してキチンとした知識を持っているのかというと、心もとないですよ自分自身でも。
それでも日々の生活に追われて、「それどころじゃない」から、勝手に進んで行く世の中にどう対処したらいいんでしょうね。
良きに計らえ、の時代でもないし。
自分の事にも多少は関わるけど、ほとんど関係ないけど大事な事を考える習慣づけって教育されてこなかったじゃないですか。
そういう国の教育方針だったから仕方がないんだけど、勝手な事、考えてもムダな事をここまで考えさせないように仕込まれるとは思ってもみなかったよ、自分自身も。
で、それを改めようと思っても、上記のように知りたい詳しい事って簡単には手に入らないじゃないですか。
どうすりゃイイだろうね。




阪急電鉄 池田駅前
大阪府池田市栄町
撮影 2014年10月25日 土曜日 13時20分
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする