ようやく今月3冊目の本を読み終える。
いま私たちが考えるべきこと 橋本治 新潮文庫
いつも以上にまわりくどい書き方で、早々にお手上げ状態になり、読まなくても良いよなと思って積読していたが、少しずつ気持ちを入れ替えて読み進めたが、やはりまわりくどくてわかりにくい書き方だ。
読書評などを見ると、「私」と「社会」との関係性云々と話が広がっていくものが多いのだが、個人的にはもっと根本的な「どうしてそう考えるのか」という方向へ興味が移ってしまう。
今日は参院選の投開票日なんだけど、事前予測通り与党の勝利となる投票心理なんかがこの本で扱われている内容とマッチするものとなっている(個人見解)。
世の中の本では「ポストモダン(近代以降)」を考えるのが当然となっているのだが、本書で扱うのはそれ以前の近代以前と近代での考え方の違いから始まっている。
ぼんやりしたとらえ方としては、明治開国まで(つまり西洋の考え方が入ってくる前まで)が近代以前で、西欧化とともに広まった考え方の時代が近代と区別できるんじゃないのか。
その違いというのが、近代以前には一般の民衆は物事を考える必要がなく、上の者に従っていれば良い、上へ上へと行った結果は昔ながらの慣習に従うというのが正しい事だというものに対して、近代とは何が正しいかは自分で考えなければいけない時代の事なのだという。さらに今ではその先の近代以降の考え方を論じている時代が来ているらしいが。
で、そんな考え方の移り変わりの説明を読んでいて、実際の今を見渡すと「え〜?変わってへんやんか〜」と思ってしまうのであった。
いろいろ綺麗事を並べている”保守”の考え方だって、よくよく聞けば上に従えとか慣習を大事にしろとか自分の意見を言うなとか近代以前の考え方そのものだし、そもそもなぜ近代の考え方が登場したのかわからないような言説が当然のようにSNSなど現代のメディアにも登場し、いや〜日本は近代ではなくて、まだ近代以前との端境期ぐらいにしか意識が変わっていないんじゃないの?と思う。
今回の選挙でも、多くの人が薄々はなんかよろしくない世の中だなと思ってはいるのだが、投票結果としては、そのよろしくない世の中を切り盛りしている現政権にこぞって投票している。
保守層と言われる人たちがどうしてこうも何も考えないのだろうかとこれまでも不思議に思っていたが、実は保守ではなく前近代の人達だったからだと橋本治の本を読んでわかった。
前近代の人達は何も考えないで上に預ける事で前近代であったわけだから。
一方で、近代の統治者が前近代の考えを持ってくる理由は、前近代の人達は何も考えずに、難しいことは”上”の人に任せるという考えであり(だってだからそれを前近代って呼ぶんだから)統治しやすいからそう思わせるように仕向けているんだと思うよ。自分らは近代社会がめんどくさい人たちばかりで統治しにくいことを実感しているから。
でも結局のところ、なぜ近代に移行したのかというところを考えれば、自分でああだこうだと考えていく以外に世の中が袋小路に突き当たってしまうからなのは、先に”近代化”した西欧が示しているし、現状の独裁国家が力で押さえつけていないと崩壊してしまうことからもわかりきったことなんだけどね。
でも端境期だから
いま私たちが考えるべきこと 橋本治 新潮文庫
いつも以上にまわりくどい書き方で、早々にお手上げ状態になり、読まなくても良いよなと思って積読していたが、少しずつ気持ちを入れ替えて読み進めたが、やはりまわりくどくてわかりにくい書き方だ。
読書評などを見ると、「私」と「社会」との関係性云々と話が広がっていくものが多いのだが、個人的にはもっと根本的な「どうしてそう考えるのか」という方向へ興味が移ってしまう。
今日は参院選の投開票日なんだけど、事前予測通り与党の勝利となる投票心理なんかがこの本で扱われている内容とマッチするものとなっている(個人見解)。
世の中の本では「ポストモダン(近代以降)」を考えるのが当然となっているのだが、本書で扱うのはそれ以前の近代以前と近代での考え方の違いから始まっている。
ぼんやりしたとらえ方としては、明治開国まで(つまり西洋の考え方が入ってくる前まで)が近代以前で、西欧化とともに広まった考え方の時代が近代と区別できるんじゃないのか。
その違いというのが、近代以前には一般の民衆は物事を考える必要がなく、上の者に従っていれば良い、上へ上へと行った結果は昔ながらの慣習に従うというのが正しい事だというものに対して、近代とは何が正しいかは自分で考えなければいけない時代の事なのだという。さらに今ではその先の近代以降の考え方を論じている時代が来ているらしいが。
で、そんな考え方の移り変わりの説明を読んでいて、実際の今を見渡すと「え〜?変わってへんやんか〜」と思ってしまうのであった。
いろいろ綺麗事を並べている”保守”の考え方だって、よくよく聞けば上に従えとか慣習を大事にしろとか自分の意見を言うなとか近代以前の考え方そのものだし、そもそもなぜ近代の考え方が登場したのかわからないような言説が当然のようにSNSなど現代のメディアにも登場し、いや〜日本は近代ではなくて、まだ近代以前との端境期ぐらいにしか意識が変わっていないんじゃないの?と思う。
今回の選挙でも、多くの人が薄々はなんかよろしくない世の中だなと思ってはいるのだが、投票結果としては、そのよろしくない世の中を切り盛りしている現政権にこぞって投票している。
保守層と言われる人たちがどうしてこうも何も考えないのだろうかとこれまでも不思議に思っていたが、実は保守ではなく前近代の人達だったからだと橋本治の本を読んでわかった。
前近代の人達は何も考えないで上に預ける事で前近代であったわけだから。
一方で、近代の統治者が前近代の考えを持ってくる理由は、前近代の人達は何も考えずに、難しいことは”上”の人に任せるという考えであり(だってだからそれを前近代って呼ぶんだから)統治しやすいからそう思わせるように仕向けているんだと思うよ。自分らは近代社会がめんどくさい人たちばかりで統治しにくいことを実感しているから。
でも結局のところ、なぜ近代に移行したのかというところを考えれば、自分でああだこうだと考えていく以外に世の中が袋小路に突き当たってしまうからなのは、先に”近代化”した西欧が示しているし、現状の独裁国家が力で押さえつけていないと崩壊してしまうことからもわかりきったことなんだけどね。
でも端境期だから