目覚めればすでに雨。
久しぶりに調べ物のための読書。
多少気温が低いのでエアコンは稼働させず。
読んでは気になる部分を抜き出してノート(電子的)に書き出す。
バブルの真っ最中の頃、この時代をどのように理解するべきかと様々な人が分析を試みたのだが、社会の中心だったおじさん達は年齢的には中年で全共闘以前の人たちが中心。
思考というのは自分中心にしか働かないので、どうしても前近代的時代背景、あるいは家父長制を背負った思考となるが、もちろん当時はそんな自覚は当人らにはない。
だから当時の人がどのように考えていたのか明らかになる。
そのために当時の本を読んでいる。
前近代から近代、そしてポストモダンへ、などと当たり前のように語られるが、時代は前後し、重なり合い、境界などはっきりしない。
しかしわかるのは、1940,50年代生まれのおじさん達は前近代、家父長制を意識なく背負っていて、新たな時代に戸惑いを覚えていること。
そんなふうに考えてどうするつもりなんだ?すでに決まった道を踏襲すれば楽だし安定するじゃないか、と、自分で決めて歩かなければならない時代の到来を避けようとする姿が若者分析に現れている。
歴史的には、戦後からの高度成長も、80年代からのバブル成長も終わりを告げて、安定した道などない時代が来たことがわかるんだけど、当時はなんとなく感じる不安感をカテにチャレンジする右往左往が軽薄に感じていたのだろう。
そして当時「こんな若者が大人になった将来はどんな軽薄な社会になっているのだろうか」と危ぶまれた社会は、ひたすら安定した道を探し求める保守的な空気が蔓延する不景気なものとなった。当時の若者達によって。
どこで方向転換したのだろうか、というのが実は研究のテーマなのである。
読書の合間に洗濯物のアイロンがけ。
ズボンの裾直し。
年金もらいながらそこそこ働いて、休みには撮影か読書。
これが理想なんだけど現実はひたすら過労状態。
来年は抜け出したい。
投稿後、思いついたが、あの時代の家父長制を背負った男どもが、実は家に不在で結果的に父権主義をぶち壊してしまったという笑えない話。
街を浮遊する若者には言及しても、その親である父親に関する話は出てこない。
そこには、家のことは母親に任せてあるという”甘え”が男にはあったのだろう。単なる責任回避であるのだが。
久しぶりに調べ物のための読書。
多少気温が低いのでエアコンは稼働させず。
読んでは気になる部分を抜き出してノート(電子的)に書き出す。
バブルの真っ最中の頃、この時代をどのように理解するべきかと様々な人が分析を試みたのだが、社会の中心だったおじさん達は年齢的には中年で全共闘以前の人たちが中心。
思考というのは自分中心にしか働かないので、どうしても前近代的時代背景、あるいは家父長制を背負った思考となるが、もちろん当時はそんな自覚は当人らにはない。
だから当時の人がどのように考えていたのか明らかになる。
そのために当時の本を読んでいる。
前近代から近代、そしてポストモダンへ、などと当たり前のように語られるが、時代は前後し、重なり合い、境界などはっきりしない。
しかしわかるのは、1940,50年代生まれのおじさん達は前近代、家父長制を意識なく背負っていて、新たな時代に戸惑いを覚えていること。
そんなふうに考えてどうするつもりなんだ?すでに決まった道を踏襲すれば楽だし安定するじゃないか、と、自分で決めて歩かなければならない時代の到来を避けようとする姿が若者分析に現れている。
歴史的には、戦後からの高度成長も、80年代からのバブル成長も終わりを告げて、安定した道などない時代が来たことがわかるんだけど、当時はなんとなく感じる不安感をカテにチャレンジする右往左往が軽薄に感じていたのだろう。
そして当時「こんな若者が大人になった将来はどんな軽薄な社会になっているのだろうか」と危ぶまれた社会は、ひたすら安定した道を探し求める保守的な空気が蔓延する不景気なものとなった。当時の若者達によって。
どこで方向転換したのだろうか、というのが実は研究のテーマなのである。
読書の合間に洗濯物のアイロンがけ。
ズボンの裾直し。
年金もらいながらそこそこ働いて、休みには撮影か読書。
これが理想なんだけど現実はひたすら過労状態。
来年は抜け出したい。
投稿後、思いついたが、あの時代の家父長制を背負った男どもが、実は家に不在で結果的に父権主義をぶち壊してしまったという笑えない話。
街を浮遊する若者には言及しても、その親である父親に関する話は出てこない。
そこには、家のことは母親に任せてあるという”甘え”が男にはあったのだろう。単なる責任回避であるのだが。