Nonsection Radical

撮影と本の空間

今日から梅雨入りベトベト

2012年06月08日 | Weblog
というわけで、人の悪口は好きなんだけど(笑)、それよりこんな楽しい事をしている人がいるという話で盛り上げていきたいなと思う。

と言いつつ、大阪に来てから、歩き回ってはいるのだけれど情報収集の方はおろそかで、ギャラリーも飛び込みで数件行ったぐらいしかなく、どんな面白いことがどこで行なわれているのかわからないのだ。
関東圏だとギャラリーガイド、イベントガイドなどネットにあるのだけれど、関西圏ではまだ見つけていない。
徘徊する商店街の空き店舗活用で、若い子達がお店を出しているのを時折見るが、まだそこが集まりの拠点になってはいなさそうだ。
それでもそういう場所にいる人にいろいろ根掘り葉掘り訊いてみると、色々と活動は行われているらしい。
大変楽しみな動きだ。

でも話した感じだと、そういう事を訊いてくるようなオッサンは”業界”関係者ではみたいな対応である。
そんな”期待”をせずに好きな事を勝手にやっていればイイのにねぇ。
特にビデオなど回していると、いかに関西ではテレビが有力であるのかわかる。
テレビに写されるとうれしいらしいのだ。
そのあたりの心理はまったく理解出来ないのだけど。
まあ、関西人のマス、大手、権力好きな一面なのかもしれない。

でも、関西でも面白く、地域に密着して、情報が豊かなのは小さなFM局だったり、地域情報紙だったりする。
そういう点をもっと認識したら面白いことも出来るかもしれないのにね。

あいにく今日から梅雨入りという事で、せっかくの週末の出歩きがしにくいのだけれど、なにか楽しい事を探しに出来るだけ外に出たいものだ。
テレビを観ながら、ああだこうだと言っているのは年寄りのする事だ!(笑)




神戸 元町6丁目商店街
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寝た子を起こすな、でも起きた子は

2012年06月07日 | Weblog
電子書籍リーダーでサンプルを読んだのだけど、それは某社会学者の言論に関して既成の”専門家”が反撃するというものだ。
どのように打ち砕くのかと楽しみに読み始めたが・・・
買わなくてよかったよ、こんな本。
反撃というのが既成の事を反復するだけなのだ。
既成の論理では、もう今の時代は生きていけない、という前提で話される某社会学者の”過激”な言論に対して、既成の理論で反撃してどうなるのか?
途中で、途中までしかないサンプルを投げ出してしまった。

もちろん途中までしか読んでいないので理解不足や誤読があるだろうが、この反撃本の言わんとしている事は「寝た子を起こすな」という事に読める。
夢も希望もない社会だという事を認識して、それでも強く生きていく方法を見つけ出せという某社会学者に対して、”専門家”の先生達は「そんな夢も希望もない社会だなんて言うと、夢も希望も持てないではないか」とワケのわからない事を言う。
たとえそういう社会であっても何か夢も希望も持って生きないと生きづらいでしょ、と。
辛いと死んでしまうじゃないかと。
確かに一理はある。
しかし、二理はない。
栗よりうまい十三里だ。

その考えは、まだ社会に対して”目覚めない”子どもには通じるだろうが、すでに目を覚ましてしまった子には通じないのではないか?
起きてしまった子に、もう一度寝て、いい夢を見なさいと言っているようなものだ。
でも、モノゴコロついた時から世の中は不況で、そのくせなんの有効な対応も出来ない社会、世の中を間近に見て、それでも将来に明るい夢や希望を抱いて”いたいけ”に生きましょうと言っても、なんの説得力もない。
ほとんどの子どもは凡庸な親の元に育ち、凡庸な能力で、この未曾有の世の中を今後生きていかないとならないのだ。
政治家を見て、役人を見て、大人を見て、大震災への無力さを見て、原発事故での無能さを見せられて、それでいてその無能などうしょうもない大人達が社会を牛耳っていて、それでも元気に明るく夢見ようなんて無責任に言えないよな。
そんな騒がしい世の中だから、寝ていた子も起きてしまったのだよ。
その起きてしまった子達に向けて、某社会学者は、夢を見るな、現実を直視せよ、辛くともその中で生きていけと言っているわけだ。
時には享楽的であっても、夢がなくても、したたかに生きていけ、と言っているのだ。
しかし、”専門家”は、したたかに生きていける人ばかりではないではないか、と反論する。
現実ばかり相手にしていては疲れてしまうではないかと。

なんかさぁ、牧場に放牧される牛の話みたいに感じる。
柵の外は厳しい世の中だぞ、でも外へでないわけにはいかないんだから、したたかに生きろというのと、外は厳しいから柵の中で健やかに暮らしなさいというのと。
現実は、柵の外に放り出されるわけだから、どちらの気構えで生きていかなければならないのかは自明である。
そういう世の中で日本を含めて現代の社会は選びようもなく生きていかざるを得ないのだ。
というより、まさしく今の日本こそ、したたかに生きのびるしか選ぶ道はないのだ。
一度壊れたコミューンが復活する事はないのだ。
安楽に生きていた時代を懐かしく思う事はあっても、戻れはしないのだ。

生きる事に意味や価値など考えないで生きている人はたくさんいる。
老母になぜ死にたくないのかと訊いても、死ぬのが怖いしイヤだからとしか言わない。
生きている事に積極的とは言わない。
”専門家”のいう事は、そう思える年寄りになるまで、感受性の高い青少年はなるべく生き死にの事を考えずに、ただ平穏に生きていく方がいいと言っているとしか思えない。
確かにそれも”年寄り”の知恵だろう。
でもね、それじゃあ、今はもう生きていけない事に気がついている子がたくさんいるんだから。
その子らに対しては、なんの意味もない言葉にしか思えないんだよ。



神戸 元町5丁目商店街
コメント (2)
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情報に疎くなる

2012年06月06日 | Weblog
だんだんと世の中の事に疎くなってくるんだよなぁ。
目の前の事だけが現実に思えてきて、自分の知らないところで知らない事が行なわれているとの想像力が働かなくなってくるなぁ。
だから、否否、知らないだけで、きっと楽しい事をみんなが生み出してくれているさ、と思うようにしている。
そうすると、今度はそこに入れない自分がつまらなくなってくる。
そういう時は、否否、オヤジがそんなところに紛れ込んでもウザイだけさ、と思うようにしている。
でも、どんな楽しい事があるのか、知りたいではないですか。
そして、少しは自分も楽しいかもしれないと思いたいじゃないですか。
それには、情報収集が大切なんだろうな。
でも、最初から食わず嫌いで結論を出しがちな年頃でもある。
せっかくの楽しい事をみすみす逃してしまうのだ。
これじゃぁ死にきれないね。
そういうのを「生前喰わねば、あの世の恥」という。
だからチャレンジだね。

というわけで、このあいだ夜中にユーチューブで音楽を聴いていたんだけど、ふと「気の迷い」でAKB48を視たのだ。
ちなみにAKBとは尼崎杭瀬ベーカリーの略じゃないからね。
AKB”なんか”まったく興味もなく、予備知識もなかったのだが、視るとね・・・
ええやないの~
なんか楽しい。
こういう御時世にはこういう明るく元気な(レビューみたいに感じた)歌舞音曲は大切だね。
誰がどうの、という知識もないけど、みんなで唄い踊るから楽しいのだ。
というわけで、数曲視聴してしまった。

最後の残り火かもしれない今の時代では、なす術もない大企業的発想(大量生産だったり、マス的販売だったり、集中的発電だったり)から離れて、個を中心にした活動が元気な人を生み出していくんじゃないのかな。
その為には、もっとそんな情報を発信し、受信していかないと楽しい事を見逃してしまうな。
そういう点で、もっとネットを利用して楽しい事が伝わっていくようにならないかな。
各自が勝手に楽しくしていると、自然とそれがネットで広がっていくものだろう。
今はその順序が逆で、マスに向かって個人が集まろうとしているけど、マスの時代は終わったと思う。
これからは、数限りない個人の小さな集まりのつながりが楽しくなる時代だ。



神戸市 元町4丁目商店街
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抜け毛が激しい

2012年06月05日 | Weblog
といってもsatoboの事ではない(残念でした)。
ニャンコである。
冬毛が抜けて夏毛に生え変わる時季なのだが、ニャンコの毛は細く軽く、どこへでも飛んで行く。
だからふと気がつくと色々な場所に毛がついているし、口にもしょっちゅう入ってくる。
床にも毛玉にかたまったものがアチコチに落ちている。
そこでブラシで梳くのだが、こういう時季でも静電気が起きて、それでまたあちこちに付着する。
いっそ洗ってやろうと思うのだが、休みの日には比較的気温が低く、風邪でもひかれたら困るので躊躇する。
生後わずかでもらってきて以来、一度も洗った事がないので、どのような変化があるかわからない。
案外何ともないかもしれないが、何しろ箱入り娘なもので。
最近は、アマゾンの空箱に入って一日のほとんどを過ごしているぐらいの箱入りなのだ。



有馬温泉 有馬川親水公園
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夢の中でもボケている

2012年06月04日 | Weblog
すっかり物忘れが激しくなり、現実はおろか夢の中でもボケているから先が思いやられる。

めったに夢を覚えていないのだけど、今日の夢は夢の中でもショックだったので覚えているようだ。
以前ワンちゃんを飼っていたのだけど、そのワンちゃんも死んでしまった。
しかし夢の中で、ワンちゃんを飼っている事さえも忘れていて、ふと「そういえばワンちゃんを飼っていなかったっけ?」と家人に訊くと、家人はニヤニヤしているばかり。
庭を歩いて(現実には庭などない)外へ出ようとして、そんな会話をしていて、ふと庭の隅を見るとみすぼらしい犬小屋があり、そこに鎖に繋がれたワンちゃんが寂しそうに寝そべってこちらを見ていた。
「あっ、やっぱりワンちゃんを飼っていたんだぁ」と思ったのだけど、ワンちゃんは家の中で飼っていて、鎖など繋いだ事がないのに、satoboに忘れ去られた結果、寂しく外で鎖に繋がれていたのだった。
毛艶は悪く薄汚れ、前足はケガをしているのか大きく腫れている。
satoboが忘れていたから、こんな目に遭わせたんだぁと自責の念に駆られたところで目が覚めた。
現実ならゾッとするが、現実にそうならないとも限らないと思うと、もっとゾッとする。

以前には、ハムスターを飼っていて、それを忘れてしまい、ある日気がついて覆いを掛けてあるゲージを覗いたところ・・・
ゲージにビッシリとハムスターが詰め込まれていた!
繁殖してゲージの中にミッチリ詰め込まれてしまったのだ。
中を見ると、エサがないので共食いをした無惨な姿がアチラこちらに転がっているというリアルな夢であった。

思い出すだけでも悲しくなったり、ギョッとしたりするのだが、イイカゲンな自分の性格と物忘れの進行で、とても夢だけの世界だとは言い切れないのが怖い。
と言っても、どうしようもないので、さらに怖い。

もっと官能的な夢を見て、覚えていたいわい。



兵庫県神戸市北区有馬町を歩く
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