Nonsection Radical

撮影と本の空間

7月19日 葬儀後

2022年07月19日 | Weblog
急遽帰省し葬式当日斎場へ直行。
あいにくの猛暑で全身汗まみれ。
葬式、火葬、法要で夜。
帰宅後、必要な書類を家族で確認し深夜。
翌日朝から豪雨で電車動かず。
とりあえず駅まで行くと遅延ながら動き出す。
満席の新幹線で帰宅を目指すが、車内に10人はコロナ陽性者がいるのかと思うとウンザリ。
ここ数日の京都を中心にした関西は人の移動が非常に多く、コロナ急増の話も他人事らしく今週末には更なる感染者増加が見込まれる。
もちろん横浜をはじめ首都圏も通常通りの人混みに危機感は同じ。

家族らの話を聞きながら、遠く離れた関西人のメンタリティを確認し、昨今の情勢と組み合わせて「ああなるほどねぇ」と。
そんな環境が嫌で関東の片田舎に”逃げて”きたんだなと。
可能な人は既に日本からさえ逃げ出しているが、残されたものは開き直って生きていくしかない。
それがさらに状況の悪化を生むのだが。
この辺りのことは対面でしか話せないディープな内容ばかりだ。

口内炎が膿んで口が開かず。
日頃悪口を言う結果だろう
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7月17日 父死す

2022年07月17日 | Weblog
仕事先では、がん手術後消息不明、勤務仮眠中救急搬送等トラブルが続き、完全な人手不足で全員が過重労働となっている。
今月後半は160時間勤務が残っているが、その前の休憩として今日から3日の休暇。
その前に39時間勤務中に姉から夜間の電話。
仕事中は出れないので数時間して架電。
父が危篤という。
そして、次の日に死んだと連絡。
困ったなぁと実感。
とてもじゃないが仕事を抜ける事などできやしない。
同僚は60時間勤務とか当たり前。
そこにシフトを振る事などできない。
姉や老母はコロナもあるし、肺病病みが罹患すると命取りだから来なくて良いという。
来いと言われても無理だが。
どうするかなぁと深夜に思案していると姉メールでこの3日間で葬儀まで済ますという。
もう任せるしかないので勤務を遂行。
本日勤務明けだが体調悪し。
頭が痛いしダルいので本日の移動はなしで帰宅して寝る事に。
入れ替わりに家人と下娘が行くという。
止めたが出発。知らん。
数時間寝たが頭痛は治らず。
電車で隣の席の親子がしきりにマスクをしていないのに咳をし続けていたので要注意。
明日朝まで様子を見て考えることに。
死んだ者より生きている者を優先と老母、姉に。

腎臓病の事を調べるが、過労は大敵なのだが、それに脱水もと。
仕事中はひたすら水分補給をしているが過労はどうにもならない。
年金生活に入り仕事を減らすことを検討。
ひたすら歩き回り、疲労と脱水症との戦いである動画撮影は終わりの時を迎えそうだ。
実際に撮影中に腎臓あたりが痛くなり始めているし。
腎臓病は割に合わない病気なので避けなければ。
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7月14日 月なかば

2022年07月14日 | Weblog
月末までの死のロード期間が始まるので、その前の準備期間。
検診の結果、腎臓の値が悪いので要検査。
不規則な長時間労働でどのような対応ができるというのかね。

コロナが一週間で倍の感染者。
新たな変異株に変わりつつある。
正確な情報はまだそろっていないが、感染力は非常に高く、ワクチンの予防力は期待できず重症化を減らす役割がと。
一度感染しても何度も感染し、重症化率は低いと言われている。
仕事先でも夫婦と幼児の一家が罹患。子供からうつったようだと。
身近なところに危機が迫ってきている。
それでも実際には対策はほぼなくなり、駅や空港などで臨時のPCR検査所を設けるというが、今日の新宿では定番の東京都モニタリング調査所は開設されていない。
症状が軽いがどの程度の事を想定しているのか不明だが、街を歩く人はコロナなど忘れたように闊歩している。
比率は低くても感染者が多くなれば死亡者も多くなるのは必然。
累計で公式には3万1533人。
インフルと比較してどうのというが、むしろコロナ軽視がインフル軽視につながりワクチン接種が減ることを危惧。でもそういう考えをする人は多そう。
みんな自分は平気と思うが他人にうつすかもという想像力は欠如している。自分はどうなっても他人にはうつさんでくれ。
病院窓口で見たインフル患者の”ひどさ”が判断の基準となっている。

ひたすらニャンコが好むマグロ缶詰を収集。
これでなんとか夏を乗り切って欲しい。
あばらが浮き出るほどの痩せ方。
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7月11日 ボケ症状

2022年07月12日 | Weblog
某店にシャツを買いに、事前に別店舗で在庫を確認して、店に行ったのだが、サイズがなくてどうしようかと思っていたら、以前は気に入らなかった色ならサイズがあって、まあいいやと買ってしまった。
で、店を出てふと「さっき別の店には在庫があったじゃないか!」と思いだす。
見栄張りだから返品などせずに帰宅したが、シャツ云々よりも、思考回路がつながっていない事にウ〜ンと唸る。

帰宅してニュースを見ると、パタゴニアのパートが労組を結成という。
雇い止めが不当であると。
おやおやパタゴニアがかガッカリだなと思いつつ、今日買ったのに返品しようかと商品を見たらパタゴニアじゃなかった。
会社の理念が御題目のところは淘汰されちゃうよね。

昨夜は
現代アートビジネス 小山登美夫 アスキー新書
読了。
現在は
沖縄の怒り コザ事件・米兵少女暴行事件 伊佐千尋 文春文庫
を読書中。

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7月10日 はざまの時代

2022年07月10日 | Weblog
ようやく今月3冊目の本を読み終える。

いま私たちが考えるべきこと 橋本治 新潮文庫

いつも以上にまわりくどい書き方で、早々にお手上げ状態になり、読まなくても良いよなと思って積読していたが、少しずつ気持ちを入れ替えて読み進めたが、やはりまわりくどくてわかりにくい書き方だ。
読書評などを見ると、「私」と「社会」との関係性云々と話が広がっていくものが多いのだが、個人的にはもっと根本的な「どうしてそう考えるのか」という方向へ興味が移ってしまう。
今日は参院選の投開票日なんだけど、事前予測通り与党の勝利となる投票心理なんかがこの本で扱われている内容とマッチするものとなっている(個人見解)。
世の中の本では「ポストモダン(近代以降)」を考えるのが当然となっているのだが、本書で扱うのはそれ以前の近代以前と近代での考え方の違いから始まっている。
ぼんやりしたとらえ方としては、明治開国まで(つまり西洋の考え方が入ってくる前まで)が近代以前で、西欧化とともに広まった考え方の時代が近代と区別できるんじゃないのか。
その違いというのが、近代以前には一般の民衆は物事を考える必要がなく、上の者に従っていれば良い、上へ上へと行った結果は昔ながらの慣習に従うというのが正しい事だというものに対して、近代とは何が正しいかは自分で考えなければいけない時代の事なのだという。さらに今ではその先の近代以降の考え方を論じている時代が来ているらしいが。
で、そんな考え方の移り変わりの説明を読んでいて、実際の今を見渡すと「え〜?変わってへんやんか〜」と思ってしまうのであった。
いろいろ綺麗事を並べている”保守”の考え方だって、よくよく聞けば上に従えとか慣習を大事にしろとか自分の意見を言うなとか近代以前の考え方そのものだし、そもそもなぜ近代の考え方が登場したのかわからないような言説が当然のようにSNSなど現代のメディアにも登場し、いや〜日本は近代ではなくて、まだ近代以前との端境期ぐらいにしか意識が変わっていないんじゃないの?と思う。

今回の選挙でも、多くの人が薄々はなんかよろしくない世の中だなと思ってはいるのだが、投票結果としては、そのよろしくない世の中を切り盛りしている現政権にこぞって投票している。
保守層と言われる人たちがどうしてこうも何も考えないのだろうかとこれまでも不思議に思っていたが、実は保守ではなく前近代の人達だったからだと橋本治の本を読んでわかった。
前近代の人達は何も考えないで上に預ける事で前近代であったわけだから。
一方で、近代の統治者が前近代の考えを持ってくる理由は、前近代の人達は何も考えずに、難しいことは”上”の人に任せるという考えであり(だってだからそれを前近代って呼ぶんだから)統治しやすいからそう思わせるように仕向けているんだと思うよ。自分らは近代社会がめんどくさい人たちばかりで統治しにくいことを実感しているから。
でも結局のところ、なぜ近代に移行したのかというところを考えれば、自分でああだこうだと考えていく以外に世の中が袋小路に突き当たってしまうからなのは、先に”近代化”した西欧が示しているし、現状の独裁国家が力で押さえつけていないと崩壊してしまうことからもわかりきったことなんだけどね。
でも端境期だから
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