間もなく10年になる、早いものである。
あの、悪夢のような東日本大震災から、
未だ故郷に帰ることが出来ず、亡くなられた方、
苦しんでおられる方々、
特に、このような方々の中には、
福島原発の被害に遭われた方々が多いと思う。
思い起こすと、
丁度、茶の間で一休みしていたときのことだ。
長く、しかも強烈な揺れに襲われた!!
とっさに立ち上がり、無意識でテレビを抑えていた。
・・・揺れの収まるのを待った!!
さいわい、この地は岩盤で固く、二階のこけしが一本床に落ちていた。
揺れは、ガタガタ縦に揺れる・・・、
つまり、茶の間の床が上下に振動、じたばたする揺れであった!!
80年近く生きた中で、もちろん初めての経験であった!!
そんなこもあってか、福島の現状が気になって、
仕方がなかったものだ・・・・。
そんなことで、今日まで二度三度と足を運んだものだ。
飯館町に行くと、黒い1トンパックの山、
いたるところに並んでいる・・・・・。
もちろん、我が県内で87名の生徒と先生が死亡した小学校、
2度も訪れて献花した。
ガソリンを求め、スタントに並ぶ車の列・・・。
3度も、4時起きし並んで油を求めた。
電話は不通、子や孫の安否を確認するため、
隣町まで出かけた、忘れられない・・・。
ところが、政府の情報が遅く放射能濃度の高い街であった・・・。
いずれ、このような不安な時間を過ごした。
一生、忘れることなどないであろう・・・。
ところが、我が宮城県!!
女川原発の再稼働を決定してしまった・・・・。
県民の一人として、もっと慎重に決定してほしかった。
なぜなら、当県は福島の隣。
その県知事でありながら、この頃、初めて訪問視察した!!
10年もたってである・・・・。
しかも、滞在時間が2時間足らず、と新聞は報じていた。
ともかく、原発を抱えた福島県の隣接県の知事ともあろうものが、
しかも、女川原発の再稼働を決定した後に福島原発を視察する?
一度も、訪問していないことに驚いていたら、
この、意味不明な行動に、
県民の命と暮らしを守る気概が、微塵も感じられない・・・・、
私だけではないのではないか?