予定のプログラムを急遽変更して更新いたします。
せっかく応戦してくれた 毛沢山先生の不味い飯作戦 に背を向ける訳にはいきません。w
私が初めてこの大陸、天津を訪れたのは2002年の6月。
前出張者と現地で、たった1日(正確には実質半日)の引継ぎのようなものを経て、翌日から日本人たった一人で3週間の出張がスタートしました。
今までの出張者は、皆さん前任者と1週間の引継ぎを経て次の1週間一人きり、次の1週間は次の出張者と引継ぎを経て帰国。
なんでワシだけ半日引継ぎだけの
イキナリ3週間 日本人一人っきりの仕事 ってなんやねん!!!!
通訳は、夕方5時に帰ってしまう総経理。
まっ、今となっては笑って流せる出来事ですがね。
そこで会社でご飯を3食提供してくれるんですが、なんで3食も提供って??
いまでは外国人はホテル以外宿泊禁止になっているのですが、会社事務所の総経理室のとなりの昼寝部屋で寝泊まりしているのです。
そんなこんなで、ある日の日曜日。
朝食が昼寝部屋まで運ばれてきます。
油条に油餅、 そして味の無いスープソーメン目玉焼きトッピング。
ソーメンは不味いですが、左の粉もの群は美味かったです。
脂っこかった記憶が有りますが。w
そして、お昼は回転テーブル。
大インゲン豆 + 白菜の煮物 + パンナコッタのような、または寒天のような白い物体。
あとは、香菜入りの海藻スープとゴハン。
当時はキョーレツのテンションダウン。
今でもテンションだだ下がりですが。w
翌日も、、、、
うひゃー!!!!
これから3週間の3食、こんなヤツばっかり食わせられるんかーーーー
おっ、やっと野菜炒め風の食い物が出てきました。
微妙な味ですが、ハムは助け舟です。
生きて行くにはわがまま言ってはいられません。w
しかし、チョット油断するとコレです。。。
上の肉まんのようなものを喜んでパクつくと、
あれっ?
具が有りません。 中国初心者は万頭 マントウ と言う食物を知りません。
ゴハンの代わりだという。
それにしても、手前にある 人間の食べ物に見えない オジヤみたいな食べ物はなんだ!?
翌日は、なんと!!
ダイコン飯だけかーーーーい!
いや、日に日に食べられそうなメニューになってきました。
そして、休日のモーニング
洋風なのです。
黒竜江省から出稼ぎで来ている料理人のおっさんの、私への精一杯のサービスだと思われます。
湿気た食パンのお供の、ジャムもバターも何もありません。(爆)
目玉焼きの黄身が潰れていません。
当時はぜんぜん何も知らず、知らぬが仏。
今思えば驚異的です。
焼きがあまい黄身でオナカが大当たり! にならなくて良かったです。
って言うか、 当時の今日は、6月18日
製造日から18日も経っているや~~~ん。
この牛乳。。。
当時は、賞味期限1ヶ月って知らんぜよ。
でも、ゼンゼン腹こわしません。ww
て言うか、
1ヶ月も腐らないって、どんだけ防腐剤入っているんかね。
と、思った方は、
予備知識なく中国に送り込まれて、毎日こんなものを食べていたら、そりゃカルチャーショック受けますわ。
炎天下にさらされたビニール袋入りの牛乳にはドン引きでした。
私が北京にいた1995年中に2回も赤痢で隔離病棟に入った同期生が、「病院飯の方が美味かった」と言っていましたよ。
そんな中で早速本屋に行き。「旅の指差し中国語会話帳」を一冊抱えて大陸に放り込まれました。
当時は出張するたびに5Kgは痩せて帰国しましたが、いつの日か5Kg太って帰国するようになり、慣れってすごいですね。w
毎日飲んでいましたが、「メラミン混入事件」のメーカー製だった事が分かった時は精神的にキツかったですねー
あれから17年半、いまだに一度もハラ壊していない事が驚異的です。ww
初心者にはきついですね。
私も最初の訪中は二か月間ド田舎にいました。
食事は問題なかったですが中国の硬水になじまなくって、ずっと下痢気味でした。
7kg痩せて帰りました。
ダイエット効果は抜群です。
今思えば近くの超市まで歩いて1Kmは有りましたが、初めて出張に行った日は空港から車で送り込まれて地理は全く分からず、一人では会社の敷地内から一歩も出られないため外食なんか無理でした。 到着初日に中カラに連れていかれたっ切りです。(爆)
帰国3日前の休日に初めて超市まで探検がてら出かけた時は、脱走した気分でした。
コメ返ししながら思い出にふけっております。ww
私も同じような時期に北京に行っていますが、恵まれていました4星ホテル泊まりでした。
しかし昼の工場での食事は最悪で、わんばぁだんさんのほうがいいのを食っています。
豚の餌のような食事でしたので昼は毎日腹を膨らますためにワインを飲んでいました。
何年も中国にいてると流石にお腹は強くなりますね、今では少々腐ったものを食べても大丈夫です(笑)
24時間、仕事場にいると精神的に参ってしまいます。
あの頃はどうやって生き延びたか覚えていませんがハラ壊した時用の非常食にレトルトお粥を4食持って行った事が命を繋いだと思われます。
ワインとはおしゃれですね。 私は1年後くらいから気が付いたら白酒をコップ酒で飲んでいました。(笑)