毎日毎日、更新しないブログにおいで下さるお客様に対して申し訳ないので、時間稼ぎで 更新いたします。
先週、部屋の片づけをしていたら、こんな封書が出てきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/43/d4024c27258b8b95eb544498aba2edcd.jpg)
エアーメールなのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/d3/14608b3276ddf98e854d0110e68b9180.jpg)
なんと、16年前の2002年に初めて中国に渡った時に会社の警備をしていた「張くん」でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/e5/7006ecd189676ee409c481cfdf3d1f59.jpg)
あの頃、ニーハオ以外まったく中国語をしゃべれない、聞き取れない状態で、日本人ひとりで3週間の出張で6人の日本人で入れ代わり立ち代わりで技術指導し始めた時でした。
※この画像右の私はスマートですが、今では見る影もなくおなかがデブになってしまいました。(汗)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/7a/e7770025d7801e0bf062c383848e360f.jpg)
当時インターネット回線などなく、電話回線にモデムを噛ましてメールしたりネットサーフィンしていましたが高額な国際電話料金が発生するので必要最小限にとどめ、毎夜警備員室に入り浸っていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/29/d8e7f321a1dc41b627013a5e54b68caf.jpg)
張くんは日本人の事がことのほか興味があるのか、私が持参した「旅の指さし〇〇語」を使い、指差し会話を始めるのです。
向こうは指さしながら中国語でまくし立てますが、こっちも指差しで応酬するしかないので、正しい日本語では面白くないので新潟弁でまくし立て返します。(笑)
仲良くなったので、初めての街での買い物に連れて行き、私の財布をスリから守るボディーガードをさせました。
それは安心なのですが、目的の買い物となると通訳ではないので役に立ちません。(笑)
しかし帰る所が同じなので、必ず会社に帰れる安心感がありました。
初めての中国出張3週間後、日本から当時の思い出の写真を彼にエアーメールしたのです。
そしてお返しにこんな内容の手紙が届きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/92/2b9c789fea6b58d98f825ddced142be8.jpg)
最初ビックリしました。
日本語で、しかもワープロ書き!!
半年後、出張して確認したら、うちの会社の中国人の総経理(社長)が代筆して書いたとの事。
それにしても、日本留学も研修もしていなく独学のみでこれだけの日本語文章を書ける総経理に驚きました。
そして、張くんは1年後には故郷である東北地方の遼寧省に帰りました。
帰る1週間くらい前に、「うちの故郷で俺と一緒に石炭掘らないか?」って指先会話してきました。
オイオイ、いきなり炭鉱夫の勧誘かよ(笑)
16年ぶりに読み返し、ホームシック ノスタルジーに浸っています。
昔の中国は、ほのぼのしていたよね...
と、思った方は
下記、「中国情報」を1日1回、ポチッとして
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
![](//overseas.blogmura.com/china/img/china88_31.gif)
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わんばぁだん に元気をくださいね。♪
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先週、部屋の片づけをしていたら、こんな封書が出てきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/43/d4024c27258b8b95eb544498aba2edcd.jpg)
エアーメールなのです。
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なんと、16年前の2002年に初めて中国に渡った時に会社の警備をしていた「張くん」でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/e5/7006ecd189676ee409c481cfdf3d1f59.jpg)
あの頃、ニーハオ以外まったく中国語をしゃべれない、聞き取れない状態で、日本人ひとりで3週間の出張で6人の日本人で入れ代わり立ち代わりで技術指導し始めた時でした。
※この画像右の私はスマートですが、今では見る影もなくおなかがデブになってしまいました。(汗)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/7a/e7770025d7801e0bf062c383848e360f.jpg)
当時インターネット回線などなく、電話回線にモデムを噛ましてメールしたりネットサーフィンしていましたが高額な国際電話料金が発生するので必要最小限にとどめ、毎夜警備員室に入り浸っていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/29/d8e7f321a1dc41b627013a5e54b68caf.jpg)
張くんは日本人の事がことのほか興味があるのか、私が持参した「旅の指さし〇〇語」を使い、指差し会話を始めるのです。
向こうは指さしながら中国語でまくし立てますが、こっちも指差しで応酬するしかないので、正しい日本語では面白くないので新潟弁でまくし立て返します。(笑)
仲良くなったので、初めての街での買い物に連れて行き、私の財布をスリから守るボディーガードをさせました。
それは安心なのですが、目的の買い物となると通訳ではないので役に立ちません。(笑)
しかし帰る所が同じなので、必ず会社に帰れる安心感がありました。
初めての中国出張3週間後、日本から当時の思い出の写真を彼にエアーメールしたのです。
そしてお返しにこんな内容の手紙が届きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/92/2b9c789fea6b58d98f825ddced142be8.jpg)
最初ビックリしました。
日本語で、しかもワープロ書き!!
半年後、出張して確認したら、うちの会社の中国人の総経理(社長)が代筆して書いたとの事。
それにしても、日本留学も研修もしていなく独学のみでこれだけの日本語文章を書ける総経理に驚きました。
そして、張くんは1年後には故郷である東北地方の遼寧省に帰りました。
帰る1週間くらい前に、「うちの故郷で俺と一緒に石炭掘らないか?」って指先会話してきました。
オイオイ、いきなり炭鉱夫の勧誘かよ(笑)
16年ぶりに読み返し、
昔の中国は、ほのぼのしていたよね...
と、思った方は
下記、「中国情報」を1日1回、ポチッとして
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私も、昔、瀋陽で知り合ったおじさんからエアメールが届き、
「瀋陽で日本料理店を開きたいんだが、投資してくれないか?」
とお願いされましたわ。
私、その頃大学生でしたが、カネの匂いを嗅ぎつけたのでしょうね。
無視してそれっきりですが、中国人の厚かましさというか、たくましさに驚きました。
これで相手が女だと、コロッといって、ケツの毛まで抜かれる日本人が多いんですよねえ。
脳の寄生虫検査もオプションで欲しいのであります。(笑)
あの頃は、言葉を覚える事が最優先でした。
しかし初めての出張当日の晩にシステムの何の前説もなくいきなり中式カラオケデビュー。
「考えるのでは無い、感じろ!」の総経理からのスパルタ式の中国語教育。
ここで勉強になんかなりません。
日式のお店で勉強して中式で実戦確認ですね。
出張族で良かったです。毎回次に出張するとお気に入りの子はもういない事がほとんどなので。
駐在だったらもうハマってしまい、何もかもむしり取られていたかもね。(爆)
でも、張くんは総経理にどれだけ袖の下を払ったんだろう?w
まだ漢語の知識がほとんど無かった頃(25年以上前)無謀にも一人で上海・南京・杭州へ旅行したのですが、
どこもかしこもノホホ~ンとしていて筆談で用が足りました。
二重為替制度で経済的には理不尽な思いをしましたが、当時の市民は正直で優しかったなぁと懐かしくなります。
日本人の大学生の中文作文なんか比べ物にならないくらいにうまいね。
日本語の作文教科書なんか使わないで、日本語のエロ小説でも読み込んだほうが上手になると思います。
色気がついてからの外国語学習は金か女が絡まないと上達しませんね!
私は漢字を読むのは得意ですが、書くのがからっきしダメダメだったので筆談をするのに翻訳電子辞書が必須でした。(;^_^A
オリンピック前の低収入の頃までは一般人はのほほんと生活していましたね。
去年、現地の知り合いから、「中国製の日本語教科書に載っている日本語」を私に中国語に翻訳してくれと依頼が来ました。
しかし、日常の日本人が使わない日本語例文ばかりで、日本語学習者にはかわいそうな教科内容でしたね。
おっしゃるように日本で出版している官能小説の方がためになるかもです。