2002年6月某日
観光客など立ち入らない北京市郊外の一般住宅街。
随分田舎だが、一体ココはどこだ?
なんかスゲーきったない食品スーパーだな。
そして今日はお祭りか?
それともこの国は外でご飯を食べるのが主流なのか。
当時の世間知らずの私には不思議がいっぱい。
「こういうところで食べるとおなかこわすよ!」って運転してくれている総経理が言っていたけど、じゃあだれがそんな危険なもの食うのかって感じだネ。
当時はそんな事を思っていましたがその後、何度か出張しているうちに、現地社員がしょっちゅうおなか壊して欠勤している事が分かりましたが。(笑)
しかし、何で観光客も行かない郊外の街にいるかと言うと、この日は初めての中国、日本人たった一人で3週間の出張が終了。
帰国日の朝7時に天津の工場を出発して、北京空港に向けて高速に乗って帰国の途に就いていたのだが、事故か何かで高速が大渋滞。
強制的に非常出口から一般道に下ろされ、ウロウロしている時に撮影したのです。
現在とは違い、随分高速道路が少ない。
(2002年6月時点)
「観光でも来れないこんな所を撮影出来て嬉しいです」 って運転してくれている中国の社長に話したら、
『 私、この道路初めてだから空港までどっちに行ったら良いかワカラナイよ、写真撮って喜んでいる場合じゃナイヨ 』
・・・ガーン|||(-_-;)|||
やっと帰国できると浮かれまくっておりました。
フライト時間は刻々と近づいていく。(爆)
30分くらい下界をさまよったのち、ラッキーなことに偶然高速インター乗り口を発見!!
そして空港前の料金所。
全く中国語が分からないので総経理にチェックインしてもらって、安全検査入り口でさようなら。
そして初めての北京空港から出国。
初めての空港で中国語も知らないのにたった一人で無事帰国便に搭乗できたと、いまさらながらおっちょこちょいな自分に感心します。(冷汗)
初めての中国でのエキゾチックな体験でした。
18年前か。。。
懐かしい思い出。
マイカーや高速道路など夢のまた夢、外貨兌換券や外国人料金の時代でしたが、見るもの聞くもの全てが衝撃でした。
わんばぁだんサマが通過したのは大興か通県(現:通州区)だったのでは?
20年ほど前に、仕事で何度か西北部の延慶へ行きましたが、食堂も農家もそこそこキレイで味も良かったですよ。
政府への不満が溜まった非常に危険な時期じゃあないですか。
激動の現状を目撃して来たんですね。
私なんかノー天気なボケ野郎で、よく今まで無事に過ごせた事が奇跡です w
天津に出張と言っても、北京空港から車に乗せられ、工場で下ろされて、初めてこの地を踏んだ私はどこに居ても、「ここはどこ ? 」
帰国の途につく移動が中国初めての「外遊び」 だったのです (笑)
中国に出た頃ですね
まさか今のような時が来るとは想像もしなくて。。
それにしても町の食い物やさんの回りゴミだらけ。
今もこの点だけは変わってないのかな?
以前の写真で夜は毎日盆踊り状態ってのがありましたしたが、さすがの中国もそういう風景は
しばらく見られないでしょうね
確かに最初は、何を見てもサプライズでしたが、上海に9年いても、毎日がサプライズなのは、さすが中国です。
当時はチビりそうになった話こそ、今となっては盛り上がる話題となります(笑)
私は去年に帰国して早や8カ月。今はどうなっているんでしょうかね。
天津のローカル企業に発注した仕事の試作立会いが来月末。
とても行けないので、ウイチャット1本で現地スタッフとやり取りして乗り切らないといけません。
人民は用心深いですがライフワークのダンスは自粛せず2M間隔で踊りまくると想像します。w
サプライズが何も不思議に思わなくなってしまうと日本に帰国してから人間的に浮いてしまいます。
ブログで知り合っただけで一度も会った事のない天津駐在者とネットで意気投合し、現地でオフ会を2回も開催しました。
それはもう、お互いの自虐ネタの発表会でチョー盛り上がりました。w