Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

「結果」を考えずに「プロセス」に集中せよ!-ケースワーク・4つのP・インターベンション-

広く教育や福祉にかかわる人は「セルフコントロール」「統制された情緒的関与」(バイスティックの七原則)を徹底しなければいけない、っていう話を先日しました。

【寝ちゃいけない時に寝ない力】の記事はこちら

セルフコントロールや統制された情緒的関与をするためには、「自己覚知(Self-awareness)」が必要となります。自己覚知というのは、「自分が今、どう思っているか・感じているか」をメタレベルで気づくことです。難しく言えば、「超越論的」に、自分自身の意識や感情や思考を捉え直す、ということです。

それができないと、その意識や感情や思考をコントロールすることができません。今、自分が何を思い、どう感じているのかを正しく正確に知ることができてはじめて、それをコントロールすることができるからです。

でも、セルフコントロールや情緒的関与をコントロールすることだけに留まってしまうと、「教育」や「福祉」の実践は先には進めません。セルフコントロールして、情緒的関与をコントロールしつつ、実際に目の前にいる人(人間)に関わっていかなければなりません。

その際に、最も意識しなければいけないのは、「結果や成果を出すこと」を考えるのをやめて、「プロセスそのもの」に集中すること、であります。

結果じゃない。プロセスが全てだ!

これもまた、具体的な話から進めていきましょう。

「見つめろ 目の前を 顔をそむけるな」

僕は、自分の講義中にしゃべる学生と寝る学生を認めません。(その理由は前の記事で書きました)

認めないので、注意します。

昔は「即刻」厳しく怒っていましたが、今は、徐々に厳しく注意するようにしています。最初は様子を見て、次に優しく注意して、それでもダメなら「厳重に」忠告し、最後は「学生証チェック」(最近はよほどのことがない限り、チェックもしていません)。

どっちの注意の仕方がいいのかは、正直、分かりません。

昔は、即効で「寝るな!!👹」って怒ってました。その時、「やベぇ」と思って、僕に向かって頭をぺこりと下げて、起きてくれれば、それ以上は何も言いません。そういう学生は今の時代、そうそういないので、このやり方は止めました。(「怒る」と、怒られた方は「被害者ヅラ」するようになります)

今は、最初、「そこ、起きようか」とか、「隣の人、起こしてあげて」とかとやさしく言います。で、起きたら、「寝ないでね」と伝えます。それで、起きてくれればいいのですが、そんな簡単な話にはなりません。

起こされた方は、「なんで、寝てるのに、起こすんじゃ、コラ」みたいな不機嫌な顔を見せてくれます。自分が注意されているとは認識していないんですね。あからさまに「うぜぇよ」っていう顔を見せる学生もいます(多数いました)。

でも、僕は、(教育や保育にかかわる講義においては)「寝ることを許さない」ので、更に突っ込みます。もちろん、すべて「あえて」です。

昔は、「聞く気がないなら、出ていけ」と怒ってましたが、今、それをやると、「ハラスメント」で訴えられる可能性があるのでできません。だから、やさしく「寝たいなら、講義室の外に出て、外で寝てもらえる?」と言います。(それが本当にいいかどうかは別として)

昔は、突然怒られるもんだから、学生もカチンときて、出ていく学生もいました。(で、僕の場合、出て行ったら出て行ったで、追いかけるわけですが…苦笑→ここに旧式の「教育関係」がありました)

今は、注意しても、まず出ていきません。かといって、「申し訳ない」という感じにもなりません。「は? なに? うざいんだけど…」という感じ? 「うっせぇなぁ…、だりぃなぁ…」って感じ?(あからさまに「怒っている」わけではないので、自分が「怒られている」と感じていないのかもしれません)

そんなこんなで、だいたい、怒ったり注意をしたりすると、その日はほぼ険悪な感じで終わります。

でも、その先があるんです。

寝ていることで怒られたり、注意されたりした学生は、次の週、「今日は寝ないで、しっかり聴こう」って頑張ってくれるんです。「また寝たら、負けた気がする」って言ってた学生もいました。

中には、次の週になって、「寝てしまって、ごめんなさい」と謝ってくる学生もいたりします。

そういう学生たちを見ると、「やっぱり、人って、こうやって変わっていく存在なんだなぁ」って思うわけです。難しく言うと、「発達の可塑性」がある、っていうか。人は、あれこれ言われたり、注意されたり、怒られたりしながら、自分自身を「変態(メタモルフォーゼ)」させていく、というか。

人はみんな変わっていく(変わっていかねばならない)。

また、副産物的に、そういうやりとりをする中で、親しくなる学生もいたりもします。この20年、いっぱい怒ってきましたが、怒ることで、怒られることで、関係が生まれる、ってこともあるんですね。

もちろん、逆に、怒られることで、僕を逆恨みして、あちこちで僕の陰口を言いふらす学生もいました。旧校舎のピアノ室には、「kei(本名)、マジうざい、シネ(笑)」って書いてありました(苦笑)。きっと、僕に怒られたり、注意を受けたりした学生でしょう。

匿名のアンケートでも、「寝ている学生にいちいちキレるな」とか、「偉ぶるな」とか、「すぐ怒るな」とか、「学生はお金を払っているのだから、いちいち注意するな」とかと書かれてきました。

なので、「変わる学生」もいれば、「変わらない学生」もいるんだと思います。

ただ、どんな時でも、僕は、「いつかはいい方向に変わってくれるだろう」と楽観的に捉えています。(先日も、寝ていて注意された学生と、そのことについて「笑って」話をしました。それでいいんです👆)

今すぐに学生の態度や思考が変わる必要はないし、逆に注意されてすぐに変わる学生って、本当の意味ではまったく変わってないわけで、そこを期待しちゃいけないんですね。

これが、本日の主題である「結果を求めずに、プロセスを重視せよ!」ということです。

結果を求めずに、プロセス(過程)そのものを重視せよ、というのが、「福祉(ソーシャルワーク)」の基本的な考え方です。

福祉の現場は、基本的に「ケースワーク」(個別の働きかけ)で成り立っています。(教育の場合は、福祉よりも「グループワーク」と「ケースワーク」の双方が重視されますが…)

個別のケースにかかわりゆく実践者の原則として、「バイスティックの七原則」があるわけですが、それと同じく、アメリカのヘレン・ハリス・パールマン(Helen Harris Perlman, 1905-2004)の「4つのP」(後に「6つのP」)があります。パールマンは、ユダヤ人女性で、大学卒業後に「ユダヤ人社会福祉事業団」で働いた後に、大学院に進学し、シカゴ大学の教授になった人です。


Helen Harris Perlman

Helen Harris Perlman (1906-2004) was the Samuel Deutsch Distinguished Service Professor Emeritus in the School of Social Service Administration at the University of Chicago. She was considered a pioneer in social work education. Her many published works include Social Casework: A Problem-Solving Process; Persona: Social Role and Personality; and Relationship: The Heart of Helping People; and, as editor, Helping: Charlotte Towle on Social Work and Social Casework.

引用元(シカゴ大学HP)はこちら

Helen Harris Perlman


パールマンは、「社会福祉教育(ソーシャルワーク教育)のパイオニア(pioneer)」で、『ソーシャル・ケースワークー問題を解決するプロセス(process)』という本を執筆しています。

社会福祉の教育に尽力を注いだんですね。

このパールマンもまた、保育士の試験によく出てくる人物であります。

令和3年の保育士試験にも「4つのP」が出ていました

彼女は、(リッチモンドが取り入れた)「長い時間のかかるフロイト的な分析(long-term Freudian analysis)」を否定して、「短期間での解決(short-term solutions)」を求めて、その解決策として、四つのポイントを挙げました。

問題や困難を抱えた人に、短期間で解決に導くにはどうしたらよいか。


"A Person with a Problem comes to a Place where a Professional Representative helps him by a given Process."

「ある問題を抱えたあるが、ある場所にやってきて、そこで、プロフェッショナルな代理人が、与えられたプロセスによって、その人を支援する」


この言葉から、「4つのP(4P' s=4 Components)」(後に6つのP)というワードが作られました。

4つのP
①Person(人)
②Problem(問題、困難)
③Place(場所)
④Process(プロセス)

後に
⑤Professional person(専門的な人)
⑥Provisions(規定、制度)

ここにある「プロセス」こそ、教育や福祉にかかわる人たちにとって、最も大事にしなければいけない点なのです。事実、パールマンもこの「プロセス」を重視していたと言われています。

セルフコントロール=統制された情緒的関与を意識しつつ、目の前にいる人(子どもたち)が育つプロセスを最大限に大事にしましょうね、ということです。

上の例で言えば、Personは「学生」のことであり、Problemは「講義中に寝ること」であり、Placeは「講義室」であり、Processは「統制された情緒的関与のできる教育者・保育者になっていくこと」です(「なること」がプロセスです)。

この「プロセス」は、だらだらと時間をかけてカウンセリングをすることではなく、短期間で「問題解決」に導くための枠組みであり、問題を抱えた人にとって最も実用性の高い支援のためのキーワードです。

…だから、僕はいつもいつも、「座る位置」にこだわり、学生たちにすぐに「『前に来い』と言われずに、座る位置を自分たちで考えろ」と言い続けているんだと思います(介入・インターベンション)。最も分かりやすくて、最も実践的で、最も学生たちにとって身近で、すぐにできることだからで、また「動機づけ(Motivation)」にも関わってくるからです。動く能力(ワーカビリティ)ですね。

簡単に言えば、「前に来て、近くで講義を聴けば、眠くならない」ってことで、また、「講義中に眠くならないために、自分はどう動いたらいいか、変わっていったらいいかを考えろ」、ってことです。これが「問題解決アプローチ」であります。

こうしたアプローチのベースにあるのが、教育学者ジョン・デューイの実践哲学(≒プラグマティズム)です。

デューイは、「為すことによって学べ(Learning by doing)」という言葉を残しました。僕はこの言葉がすごく大好きで、いつも「やりながら考えろ」、って言っています。もちろん、自分に対しても。

これもまた、「プロセス重視」の考え方だと思います。

講義中に「寝ないようにする」ためには、何か自分で為さなければなりません。「眠たくなるのは、講義が面白くないせいだ」と思っていたら、いつまでもその人自身は変わりません。

自分が寝ないようになるためには、自分から何かを為さなければならないのです。

ただ、それを一人でやるのは、やっぱり厳しいんです。そこに、誰か別の「人(Person)」が必要なんですね。問題(Problem)に対して、介入して同伴してくれる専門的な誰か(Professional person)と共に、共に問題解決のプロセス(Process)を歩んでいく。

これが、援助のプロセス(過程)の大きなイメージになるかと思います。

具体的な福祉的援助の過程(プロセスの中身)についてはこちらを参照

①アウトリーチ(ニーズの発見、掘り起し)
②インテーク(受理面接)
③アセスメント(事前評価)
④プランニング(個別援助計画の立案、作成)
⑤インターベンション(介入)
⑥モニタリング(経過観察)
⑦エバリュエーション(再アセスメント、事後評価)
⑧ターミネーション(終結)
⑨フォローアップ、アフターフォロー(終結後の支援)

試験(公立保育士採用試験等)では、これを覚えておく必要がありますが、、、

でも、実際の援助における本質論という意味では、プロセスの中身はそんなに厳格でなくていいと思います。それよりも、プロセスを共に生きる、ということをしっかりとやってほしいんです。(パターナリズムに気をつけつつ、統制された情緒的関与を意識して…)

最後に、「ケースワークの母」と言われるメアリー・リッチモンドの言葉(意訳)を紹介しておきます。


"Social casework may be defined as the art of doing different things with different people co-operating with them to achieve some of their own and society's betterment."

意訳:「社会福祉におけるケースワークは、『支援を必要とする人とその社会の改善を図るために、支援が必要な人たちと共に活動(協働=コーポレート)しながら、さまざまな人たちと一緒にさまざまなことを行為する技法」と定義することができるだろう」


ここでも、doingという言葉が出てきています。それを、「さまざまな人たちと共に」、と言っています。

ここに、「共に生きる」「みんなと共に生きる」という考え方が生まれてきます。

一方的に、誰かが誰かを支援したり援助したりするのではなく、共に助け合う、共に育ちあう、共に変わっていく、というプロセスこそが、支援や援助の本質なんですね。これは、教育も保育も同じだと思います。

結果を求めずに、色んなことを色んな人と一緒に色々とやってみる。

それ自体が、またあなたの(そして僕の)人生をよりよくするための重要なプロセスになるんだと思います。

まずは、自分にとっての問題(課題)を見つけて、それを自分から動くことで、少しずつ変えていってほしいですね。

次回は、エンパワメントの話か、グループワークの話か、です(どっちやねんっ💦)。

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