シュテルニパルクの代表のライラ・モイズィッヒさんが「赤ちゃんポスト20年」について語っているインタビューがあったので、ここで翻訳したいと思います。彼女の父親のユルゲンさんとライラさんが「赤ちゃんポスト」をずっと守り続けてきました。賛否両論が渦巻く中、20歳を迎えることができ、ドイツの赤ちゃんポストは、2021年4月、もうすぐ21歳になります。
2000年に創設された「Babyklappe」。ちょうど20年後にあたる2020年、彼女はどう語っていたのでしょうか?
そして、日本の赤ちゃんポストはこれからどうなっていくのでしょうか?
以下の文章は、2020年4月8日に掲載されたドイツの新聞「taz(Die Tageszeitung)」の記事です。
20 Jahre Babyklappe in Hamburg:
„Weil sie Leben rettet“
ハンブルクの赤ちゃんポスト20年
「赤ちゃんポストは命を救ってきたから」
Vor 20 Jahren wurde in Hamburg die erste Babyklappe geöffnet. Sternipark-Leiterin Leila Moysich über niedrigschwellige Hilfe für Mütter in Not.
20年前、ハンブルクで最初の赤ちゃんポストが開設された。シュテルニパルクの代表ライラ・モイズィッヒが語る緊急下の母親たちのための敷居の低い支援について
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taz: Frau Moysich, warum braucht es Babyklappen?
taz: モイズィッヒさん、なぜ赤ちゃんポストは必要なのでしょうか?
Leila Moysich: Weil die Babyklappe Leben rettet. Nach 20 Jahren Erfahrung mit dem Projekt Findelkind kann ich das mit aller Überzeugung sagen.
モイズィッヒ:赤ちゃんポストは命を救っているからです。「捨て子プロジェクト」のこの20年の取り組みから、私は確信をもってこのことが言えます。
Kritiker wie die Organisation Terres des Hommes behaupten, die Zahl der getöteten Neugeborenen sei durch Babyklappen nicht zurückgegangen. Sie vermuten auch eine hohe Dunkelziffer.
国際支援組織の「人間の大地(Terres des Hommes)」のような批判的な人たちは、「赤ちゃんポストによって、亡くなる赤ちゃんの数は減っていない」と主張しています。より多くの暗数(隠れた数値)を想定しているようです。
Die vermeintlich hohe Dunkelziffer würde ich anzweifeln. Es ist sogar beweisbar, dass die Zahlen rückläufig sind. In der Stadt Hamburg ist, seit es die Babyklappe gibt, kein Kind mehr ausgesetzt worden, in 20 Jahren.
その憶測的に高い暗数というのは疑わしいと思います。むしろ(それどころか)、その死亡児数は減っているということが証明されています。ハンブルク市では、赤ちゃんポストができてから、この20年、1人の子どもも遺棄されていません。
Wie kam es zu der Idee mit der Babyklappe?
赤ちゃんポストの構想はどう生まれたのか?
Die Idee ist am Frühstückstisch unserer Familie im Spätsommer 1999 entstanden. Damals sind in Hamburg in kurzer Zeit vier Kinder nacheinander ausgesetzt worden, zwei von ihnen wurden tot aufgefunden. Wir dachten uns: So etwas darf es nicht geben, dass Frauen in einer Stadt wie Hamburg in die Situation kommen, dass sie ihr Kind allein auf die Welt bringen und irgendwo hilflos zurücklassen, wo es zu Tode kommt. Es muss einen Raum geben, wo eine Mutter ihr Baby sicher abgeben kann. Und so war die Babyklappe geboren. Es stellte sich aber raus, dass wir schneller handeln müssen.
この(赤ちゃんポストという)構想は、1999年の夏の暮れに、私たちの家族との朝食の時間に生まれました。その当時、短い期間に相次いで4人の子どもが遺棄されました。そのうちの2人は亡くなっていました。私たちは、「ハンブルクのような都市で、女性たちが自分の子を一人で出産し、何の支援もないまま赤ちゃんが死んでしまうような場所に取り残される状況に陥らせるようなことがあってはならない」と考えました。そして、「母親が自分の子を安全に預け入れることのできる場所がなければならない」と考えました。こうして、赤ちゃんポストが生まれました。しかし、私たちはもっと早く対応しなければならないということが分かったのです。
Warum?
なぜですか?
Am Nikolaustag 1999 wurde ein toter Säugling auf dem Sortierband einer Hamburger Recyclinganlage gefunden. Wir sind dann noch im Dezember mit der bundesweiten Notrufnummer 0800/45 60 78 9 gestartet. Dort können sich Frauen melden, die allein, aus welchem Grund auch immer, ihr Kind gebären, und nicht wissen, wo sie mit dem Baby hinsollen. Im Januar meldete sich die erste Mutter. Unsere Kolleginnen haben sich mit ihr auf einem Parkplatz südlich von Hamburg getroffen und von Autofenster zu Autofenster das Baby übernommen.
1999年の聖ニコラスの日(12月6日)に、ハンブルクのリサイクル施設の選別ベルトコンベヤーで新生児の遺体が発見されました。その後、同じ12月中に、全国緊急ダイヤル支援(0800/...)を開始しました。たとえどんな理由であろうと、一人で自分の子を出産しつつも、その赤ちゃんをどうしていいか分からない女性たちはここに電話をかけることができます。翌1月に、最初のお母さんが電話してきました。私たちのスタッフが、ハンブルクの南部にある駐車場でその方と会い、自動車の窓から窓へと(窓越しに)赤ちゃんを引き取りました。
Die erste Babyklappe wurde am 8. April 2000 in der Goethestraße geöffnet. Wie reagierten die Hamburger Behörden?
最初の赤ちゃんポストは、2000年4月8日にゲーテ通りで開設されました。ハンブルクの役所の人たちの(当時の)反応はどうでしたか?
Wir hatten mit den Behörden vorab Kontakt aufgenommen und geklärt, wie wir verfahren, wenn ein Kind bei uns abgegeben wird. Zum rechtlichen Rahmen sagte beispielsweise die damalige Justizsenatorin Lore Maria Peschel-Gutzeit, dass der Straftatbestand der Kindesaussetzung nicht gegeben sei, da bei der Babyklappe das Kind nicht in einer hilflosen Situation ist, denn es stehen Menschen hinter dem Projekt, die sich unmittelbar kümmern. Also mache sich die Frau nicht strafbar.
私たちは、予め役所とコンタクトを取って、子どもが私たちの下に預けられた時にどのように対応するか(進め方)について説明していました。法的枠組みについては、例えば当時の法務ハンブルク市政府大臣のローレ・マリア・ぺシェル=グートツァイトさんは、「このプロジェクトの背後には直接養育を行う人々がおり、赤ちゃんポストに預けられた子どもは支援のない状況にはないので、児童遺棄の刑事犯罪にはあたらない」と言っていました。したがって、(赤ちゃんポストに預けた)女性は犯罪を犯していないのです(起訴されません)。
Nach vielen Diskussionen um die Babyklappe wurde erst 2014 die vertrauliche Geburt gesetzlich verankert. Änderte das etwas am Angebot der Babyklappe?
赤ちゃんポストをめぐる多くの議論の末に、2014年に内密出産が法的に認められました。このことは赤ちゃんポストの運営に対し何か変化はありましたか?
In der Begründung zu diesem Gesetz steht, dass die vertrauliche Geburt eine Ergänzung zu Babyklappe und anonymer Geburt darstellen soll. Damit ist erstmals erwähnt, dass anonyme Geburten und Babyklappen rechtens sind.
この法律の説明では、内密出産は赤ちゃんポストと匿名出産を補完するものとして挙げられていました。その際に初めて、匿名出産と赤ちゃんポストが正当である(合法である)ということが言及されたのです。
Bei der vertraulichen Geburt hinterlegt die Mutter ihre Daten bei einer staatlichen Stelle, die der Schweigepflicht unterliegt. Nach 16 Jahren kann das Kind diese Daten einsehen. Wie beurteilen Sie das?
その内密出産の場合、母親は自身の個人データを守秘義務を負う公的機関に提示します。16年後、子どもはそのデータを閲覧することができます。あなたはこれについてどう評価していますか?
Die vertrauliche Geburt ist an Bedingungen geknüpft. Für viele Frauen ist diese Hürde zu hoch. Es ist ihnen ja gelungen, die Schwangerschaft bis zur Geburt vor ihrem gesamten Umfeld zu verheimlichen. Wenn eine Frau so etwas auf sich nimmt, ist sie in einer Not, in einer absoluten Ausnahmesituation. Dann sind wir darauf angewiesen, dass sie sich meldet. Sie muss den Schritt tun. In dem Fall ist die bedingungslose Hilfe wie die anonyme Geburt oder die Babyklappe die sichere Zutrittskarte.
内密出産はいくつもの条件に結びついています。多くの女性にとってそのハードルは高すぎます。彼女たちにとって「うまくいく」というのは、出産の時まで妊娠のことが自分の周囲の人々にばれないことなのです。女性がそうしたこと(妊娠)を(自分だけで)抱えようとするとき、その女性は緊急下となります。絶対的な例外状況です。また、私たちは、女性が問い合わせてくることに依拠しています。女性は一歩を踏み出さなければなりません。そうしたケースにおいては、匿名出産や赤ちゃんポストのような無条件の支援こそが、確実なエントリーカードなのです。
Der deutsche Ethikrat kritisiert, dass dadurch das Recht des Kindes auf Kenntnis seiner Herkunft verletzt wird.
ドイツ倫理評議会は、「それによって子どもの出自を知る権利が害される」と批判しています。
Die Kinderrechtskonvention, die dann immer hinzugezogen wird, geht aber noch einen Schritt weiter. Darin heißt es auch, dass das Kind ein Recht darauf hat, von seinen leiblichen Eltern betreut zu werden. Und wenn man dieses Ziel erreichen will, dass sich die Mutter doch noch für das Kind entscheidet, dann ist es notwendig, ihr zunächst niedrigschwellige Hilfe anzubieten, und ihr die Zeit zu geben, zu entscheiden, was sie möchte.
けれど、常に参照されている子どもの権利条約は、さらにもう一歩先に進んでいます。この条約では、「子どもは実の両親に養育される権利を有している」とも記されています。それに、もし「母親がそれでも子を産むことを決意する」という目的を達成しようとするならば、まずもって敷居の低い支援を提供することが必要不可欠ですし、また、自分が望んでいることを決意する時間を母親に与えることが必要不可欠なのです。
Wie viele Mütter entscheiden sich doch noch für ihr Kind?
いったいどれくらいの母親が子を産むことを決意しているのですか?
Bei 800 anonymen Geburten, die wir bisher betreut haben, haben sich über 60 Prozent der Mütter doch noch für ein Leben mit dem Kind entschieden. Nur in 27 Fällen sind die Mütter dauerhaft anonym geblieben, alle anderen haben die Personendaten angegeben.
私たちがこれまで支援してきた800の匿名出産では、実に60%以上の母親が子どもと共に生活することを決意しました。母親が完全に匿名のままに留まったのは、27例だけでした。それ以外の母親はすべて個人情報を提供してくれました。
Wenden Kinder sich an Sie?
子どもたちはあなたに連絡してきますか?
Wir haben zu einigen Kindern Kontakt, nicht zu allen. Überwiegend sind die mit sich im Reinen. Aber für einzelne Kinder ist es schwer zu akzeptieren, nicht zu wissen wer ihre leibliche Mutter ist. Sie projizieren das auf sich: Was habe ich falsch gemacht, dass meine Mutter mich nicht haben wollte? Den Kindern versuchen wir dann zu vermitteln, dass ihre Mütter ja einen Weg auf sich genommen haben, sie wollten, dass es dem Kind gut geht.
何人かの子どもたちとはコンタクトを取っています。全員ではありません。そのほとんどが穏やかに生活しています。ただ、自分の実の母親が誰か分からないことを受け入れることが困難な子どもたちも何人かいます。彼らはそのことを自分自身に投影して、「何か悪いことをしちゃったのかな? それで母親は僕(私)のことを望まなかったのかな?」、と考えるのです。なので、私たちは、「子どものお母さんたちは、一つの道を選び取ったの。お母さんたちは子どもが元気に生きていることを望んでいたの」と伝えようとしています。
Sie sind heute selbst Mutter von vier Kindern. Hat sich dadurch Ihr Verständnis für die Frauen verändert, die ihre Kinder anonym abgeben?
今や、ライラさんも4人の子をもつ母親ですね。このことで、子どもを匿名で手放す女性たちの理解は変わりましたか?
Ich habe dieses besondere Gefühl der Mutterliebe kennengelernt. Dieser Gedanke, dass sich Mütter diese Liebe verbieten, stimmt mich traurig. Da muss jemand schon in einer ganz großen Not sein.
私は母の愛という特別な感情を思い知りました。母親がこの愛を断つというのは、私にはとても悲しいことです。この状態にある人は、すでにとても深刻な緊急事態下にあるのではないでしょうか。
【コメント】
一つ前のクラウディア・クレルさんが「赤ちゃんポスト」を批判していたが、その批判への応答として、このライラの文章を読むことができるかと思います。
クレルさんは、赤ちゃんポストは遺棄の減少に影響していないと言いますが、シュテルニパルクの赤ちゃんポストにはたくさんの赤ちゃんが預けられ、実際に多くの命を救ってきました。のみならず、母親の支援も数えきれないくらいに行ってきました。
また、クレルさんは「赤ちゃんポストでは、症状だけを手放しているだけ」と言いますが、ライラの話を踏まえると、「赤ちゃんポスト」はそれこそ「エントリーカード」であり、シュテルニパルクの世界への「入り口」なのです。彼女は「敷居の低い支援」ということを言いますが、まさにその「敷居の低さ」ゆえに、多くの女性がシュテルニパルクを頼ってくるのではないでしょうか。
どの支援方法にしても、「母子にとって最善の解決策を探る」という目的は同じです。赤ちゃんポストも匿名出産も内密出産も(また匿名相談も)すべて、母と子のために考え出されたものです。「それだけ」を見ると、色々と問題点がありますが、どの道を行ったとしても、皆、「母親とつながろう」としているのもまた真実です。
クレルさんは「設置者の一部では、再考する機会を女性に与えるために、最初の8週間、預け入れられたことがあらゆる当該機関に届け出されていません。ドイツのような国でこのような手続きが可能なことに、私は驚愕しています」と言います。これだけを見ると、「酷い」と思う人もいるかもしれませんが、その8週間の間に、母親とのコンタクトを取る努力をライラを始めシュテルニパルクのスタッフは続けているのです-しかも、それは「行政支援では、そこまでしない」という認識の下で-。
この8週間は、「自分が望んでいることを決意する時間」なのです。赤ちゃんポストに子を預けた後に、一人でじっくりと考える時間なのです。きっとクレルさん側の人は、「それなら、相談員と一緒に考えましょう」と言うと思います。ここに、「考え方の違い」があります。「一人で考える時間を与える」か、「専門の相談員と一緒に考える」か。今の社会では、どの世界であっても「専門家と一緒に考える」方を優先すると思います。それに対する抵抗として、「一人で考える時間を与える」という道があると思うのです。
シュテルニパルクは、一人の人間の勇気やパワーを最後まで信じようとしているように思います。「信じて待つ」という態度です。それに対して、赤ちゃんポストの反対派は、それを認めず、「専門家の専門性」や「法的規制」や「手続き上の正当性」を重視します。前者は、「人間の自律性」を求め、後者は、「制度の自律性」-当事者の他律性-を求めています。更に言えば、前者は、「人間の感情の揺らぎ」を求め、後者は、「制度的な厳密性」を求めているのです。
「母子のいのちを守る」という理念においては、どちらの立場も同じことを言います。けれど、どう守るのかとなると、そこに立場の違いが出てくるのでしょうか。
この点を今後、もっと突き詰めて考えていきたいなと思います。