Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

【講演録】離婚家庭の子どもの援助 Susanne Strobach


【講演録】 by Susanne Strobachさん(以下、翻訳)


皆さん、こんにちは!

今日、こうして皆さんと一緒に同じ時間を過ごし、「離婚家庭の子ども」という私の専門テーマについてお話させていただけることをとても嬉しく思っています。

私は、現在、オーストリアの首都、ウィーンに住んでいます。私は、昨年より、69人のお年寄りの方が暮らす老人ホームの施設長として働いております。中には、痴呆症のお年寄りの方もいます。

これまで15年以上にわたって、私は国の離婚調停員として働いてきました。また、それと同時に、離婚家庭の子どもたちにかかわり、4人から6人くらいの小グループで、ずっとグループワークも行ってきました。この仕事は、私にたくさんの喜びを与えてくれました。子どもたちは、いつでも、自分に何が必要なのかをとてもよく知っています。しかし、残念なことに、ご両親の方々は、そのことに気付かず、「子どもたちは別の心配事をしているのだ」と思いこんでしまっていることが多いのです。

そんなこんなで、ご両親の方がご自分の子どもを私のところに連れてくるのでありました。私は、子どもたちと対話し、遊び、物語を読み聞かせることを通じて、離婚家庭の子どもたちの援助をし、子どもたちの苦しみを外に出させてあげ、子どもたちの気持ちを整理してあげようとしてきました。

それでは、本題に入りたいと思います。


離婚家庭の子どもたちを助けること
-火が消えた時、その火はどこへ行くのか?-


オーストリアには、二人とも95歳で、離婚しようと思っている老夫婦のある面白いお話があります。

法廷で、裁判官は言いました。「お二人はずっとこれまで長い間共に過ごしてこられたんですよね。今離婚をすることは全然意味がないことなのではないでしょうか?」 すると、95歳の夫がこういいました。「裁判官さん、私たちは、離婚のことで子どもたちに迷惑をかけたくないと思っていました。だから、私たち夫婦は、自分の子どもたちが死ぬまでずっと、離婚の機会を待っていたのです…」、と。

当然、離婚のことで苦しまない子どもはいないし、子どもを苦しめない離婚など、ありません。けれども、離婚が子どもを苦しめるのと同様に、また子どもたちにとっては、ご両親の日々の言い争いやケンカや対立やぶつかり合いなどもまたとても苦しいことなのです。

別居や離婚をする/しないの選択、決定は、その当のご両親にしかできないことです。

離婚は、一時的な出来事ではありません。何年にもわたって繰り返される衝突・ぶつかり合いの結果なのです。離婚は、法の手続きで終わるものではありません。お父様、お母様、そして子どもたち、それぞれの人にとって、心理的な時間は全然違うのです。

夫婦の一人がまず家族の状況が耐えがたくなり、心の中で別れることを考え始めます。自分の人生はどうなってしまうのだろう、と。そして、一つの答えを出すのです。その答えを出した夫婦の一方が離婚について口にするとき、その人はもう既に悲しみを乗り越えてしまっています。

離婚を切り出された夫婦のもう一方は、その突然の告白に不意打ちをくらうのです。たとえ、相手に不満をもっていたとしても、やはり言われた方は予想していないものなのです。

親の死の場合、どの国にも儀式があります。しかし、離婚の場合、そうした儀式があるわけではありません。痛みや悲しみを背負う子どもたちは自分は見捨てられたと感じます。

親の友人も、ほとんどの場合、どう応じてよいのか分からないので、あまり助けになりません。多くの夫婦は、自分たちの夫婦ケンカに家族や友だちを巻き込み、どちらの言い分が正しいのかを求めてきます。

小さな子どもは、まず、自分とママ、自分とパパという関係を体験します。そして、二人の親を認め、2人の親との関係をもつようになります。

親の一方が家を出ていくと、子どもは「見捨てられたんだ」と感じます。自分はかわいくないんだ、親を引き止めるほど魅力的じゃないんだ、と。

子どもも離婚前の親の言い争いを一緒に経験しています。例えば、子育ての問題やしつけの問題をめぐるいい争いなどが挙げられます。これを聴いた子どもは、「ああ、パパとママは僕のせいで離婚をするんだ」という間違った考えをもつようになるのです。

子どもは、まず最初に、愛はいつ日か終わってしまうものなのだ、という経験をするのです。そして、「いつ自分への愛は終わってしまうんだろう?」という疑問を抱くことは、避けられないのです。

加えて言いますと、親の一方を失うということは、そのまま、これまでの親の友好関係の一部を失い、親戚を失う、ということになります。そして、家や幼稚園、学校が変わってしまう、ということになります。経済的にも打撃が大きいです。親は経済的な理由で働かなければならず、子どもと過ごす時間も少なくなります。離婚した時期の親の負担はとても重くのしかかります。

親の離婚の過程で、子どもにのしかかるものは、とてもとてもたくさんある、ということはお分かりいただけるでしょうか。

それでも、離婚は時には必要なことですし、また、うまく離婚ができれば、家族全員にとってポジティブに作用することもあるのです。

このことに関して、とても素敵でポジティブな子どもの絵本があります。バレット・コールの「Two of everything」という本です。この本には、どうしたらお互いの関係が発展できるか、ということが示されています。そして、離婚は新たな始まりであって、終りではない、ということが書いてあります。(今回、この本をもってきました!)

では、どうしたらよい別居やよい離婚をすることができるのでしょうか?

まず最初に、共同生活は終わったのだ、望ましい共同生活は今後もはや不可能だ、一緒に食事をするのはもはや耐えられない、といったことを家族全員が受け入れることが、とても大切です。

そして、夫婦二人が結婚相手を選び間違えた、という観点が必要です。決して、どちらか一方に責任があるわけではないのです! 私もまた、そうした過ちを認めることで、負担が軽くなりました。

本当に認めるべきは、私のネガティブな部分、私の闇の部分、ひょっとしたら私自身が押さえつけてきたかもしれないような闇の部分なのです。極端な状況のもとで明らかになるような闇の部分です。私たちは、本当に差し迫った状況でどのように応じればいいのか、誰も分からないのです。

こうしたことを認めない離婚というのは、多くの人にとって、本当に極限状況です。彼らは、最初、あらゆる手をつかって妨げようとすることで、恐怖と立ち向かおうとします。私は、気持ち的に距離をとり、空間的に距離をとることで、自分自身の影の部分を認め、それを受け入れることで、元夫の影の部分を認めることができるようになりました。

離婚相手は、自分の子どもを委ねてはならないようなダメ人間ではありません。離婚後に力をつかって復讐(仕返し)をしなければならないダメ人間でもありません。そうではなく、離婚相手は、その人の物事を捉える観点から、自分が自由に使える衝突を克服するポテンシャルを取り出したのです。

ドイツの心理分析家で児童心理学者のブルーノ・ベットルハイムはこう言っています。「人がある特定の状況でしたことはどうでもよいのです。人にとってベストなのは、自分で考えることができることです。ふさわしくないことであっても、他の人にバカにされるようなことであっても、一番よい問題解決策は、自分で見つけることのできる策であり、その人にとっては、自分にできることが最も大きなことなのです。その人がしてしまったこと、その人の身にふりかかったこと-時として壊滅的なものになったかもしれないこと-は、実はどうでもよいものなのです。当事者はなかなかそうは思わないものですが・・・ 人は、自分の人生を別の仕方で生きることはできませんし、良くすることもできないのです。その人にとっては、その人の人生が最も重要なことであり、最も必要なことなのです」、と。

子どもに、様々な真実があるということを言うこともとても大切です。

何歳の子どもであろうと、子どもたちは、親の離婚の過程で、パパとパパ、両方から、色んな情報を得ます。パパが親にママについて話をするのを聴くし、ママが電話でパパの悪口を言うのを聴いてしまいます。また、大人同士のおしゃべりの際にもいろんなことを聴いてしまいます。

父と母から伝わった情報が全く異なるものであった場合、それは、子どもにとっては、二人のどちらかが嘘をついているということになるのです。親に嘘をつかれて、喜ぶ子どもなんているでしょうか? そんな子どもはいません。なので、「君のママは、君のパパとは見方が違うんだよ。でも、両方とも正しいんだよ」、と、そう子どもに伝えることで、子どもの負担を軽くしてあげてください。

感情が動かない離婚や別居はほとんどありません。様々な感情は、(離婚など)離れ離れになることで必ず引き起こされます。感情は出てもよいし、出るものなのです。心の強い両親は、自分の気持ちを子どもにしっかりと伝えますし、気持ちを隠すこともありません。

子どもたちは、とても、気持ちの揺れに敏感です。

体調がすぐれないにもかかわらず、もし私が子どもに「大丈夫よ、私は元気よ」と言うならば、私は、子どもに、「あなたの耳は間違っているの。言葉は心とは別のことを伝えるのだから、時間と共に、あなたの感情への信頼はなくなっていくのよ」ということを教えてしまうだろう。

そうやって育った人は、数年後に、再び自分の気持ちを信頼するために、カウンセラーのところに行くことになるでしょう。(それくらい、嘘は子どもにダメージを与えるのです) より良いのは、子どもにこう伝えることです。「ママは悲しいの。ママは怒っているの。ママはこれからどうしていいか分からないの」、と。

親は、いつでも感情をコントロールでき、あらゆる問題の解決策を知っているような強い超人である必要はありません。気持ちや不確かさを認め、その自分の気持ちをしっかりと子どもに伝えることで、子どもの未来の生活は変わってきますし、人とうまくやっていくことができるようになります。

特に、「本当にどうなっちゃうの?」という子どもの不安は、たいてい、現実よりもより切羽詰ったものになっています。

二人の人間をつなぐものは消えることがありません。ただ二人の違いがより目に付くようになってきただけなのです。

自分たちの離婚とうまくやっていくことのできる夫婦は、愛情をもって相手と別れられる夫婦であり、火は完全には消えないということを知っている夫婦であり、相手の心に自分の入れる場所がしっかりとある夫婦です。

お互いにいいところや魅力的なところがあるということを認め、お互いにこれまでの生活を共に認め、お互いに、別々のハッピーエンドがあるということを相手に認めることができる離婚夫婦だけが、よい終わりを作ることができるのです。夫婦のために、そして、子どものために。

離婚する夫婦のこれからの日常の関係において助けとなることは、何度も繰り返し自分自身を反省すること、その道のりで、批判することなく、負担を軽くしてくれ、感情や解釈と本当の事実とを区別することを助けてくれるような、中立的な同伴者を探すことです。

強い離婚夫婦は、可能な限り、自分の子どもを自分たちの離婚にかかわらせます。子どもの負担のかからない限り。子どもたちは、私たちが思っている以上にクリエイティブですし、大人たちが問題と思っていることを、親がしばしば抱くよりもより、より楽しく、より簡単にクリアするのです。

多くの女性は、子どもが父親のところに行っている時でも、子どものことを心配しています。パパは子どもの面倒をしっかり見ているだろうか?子どもたちは、しっかりといい服を着ているだろうか? ちゃんと栄養を取っているだろうか? 学校のわすれものはないだろうか?

離婚前、妻に子育てを任せきっていた父親は、たびたび、自分の元妻に「がっかり」します。「がっかりする」という言葉の本当の意味は、父親が自ら成長し、最善の子育てができるようになる時に分かってきます。「がっかり」という言葉には「思い違い」という意味があります。こうした思い違いは、しばしば、これまでずっと父親に何もさせない完璧な母親に多く見られるのです。

達成するために課題を誰か別の人にやってもらえるということを知ると、どんな人も課題を求めなくなります。

母親のサポートと理解があれば、たいていの父親は短期間で、以前よりもよい親子関係を子どもと築くことができます。

父親、母親、そして子どもたち、すべての離婚の当事者たちが面会日に心から楽しく過ごすための方法を見つけるためには、時間が必要です。その際、母親がしっかりよい助言を与えれば、父親は子どもとよい関係を作るいいチャンスになります。

私が離婚の際に最も重要だと思うことは、親のどちらが引き取るかは関係なしに、子どもが親の一方について話すことができること、パパとママが両方映っている写真を持つことができること、タブーとなるような話してはいけないことがない、ということです。

どんな理由であれ、子どもとコンタクトを取ろうとしない父親や母親を助けることはできません。私は魔法使いではありません。しかし、親の一方は、子どもに、他方の親のポジティブなイメージもネガティブなイメージも与えることができると思います。また、この内的なイメージは子どもが作り上げるものなのです。

私は、母親として、父親の態度を変えることはできません。しかし、父親が新しい状況下で不安定になっていることや色んなことで過大な要求がなされていることを認めることはできます。

私は、変わってしまった状況でうまくやっていくために私の子どもの父親には時間が必要だということ、彼も失敗から学ぶということ、そしてまた彼も傷ついているということを理解できます。

もし私が彼に理解を示し、再びお互いの信頼を取り戻す時間をしっかり確保すれば、私は、私と子どもの長き善き関係、それから子どもと父親の長き善き関係の最高の前提条件を得るでしょう(このことは父親の側でも同じことが言えます)

なぜならば、子どもの中に再び火が灯るからです。

Tsumaranai hanashi de doomo shitsurei shimashita.

コメント一覧

kei
junさん

まずは!
異常に長いこの記事を読んでくださりありがとうございました!(ビックリ)

Susanneさんの発想はとても斬新的で、面白いです。が、その面白さがはたして(翻訳で)伝わるかどうか。とてもびくびくしています。「よい離婚」っていう発想は今の日本にはほとんどないんじゃないかな~と。

僕自身、離婚に対するイメージががらりと変わりました。離婚っていうのは、一つの失敗に過ぎないということ。みんな、その可能性があるということ。で、お互い(責任ある)大人として、しっかり離婚後の関係を作り直すこと。そして、関係の修繕は可能だということ。全部、目からうろこでした。

Susanneさんの伝えたいことが、うまく伝わればとても嬉しいです!
jun
こんにちは。実にタイミング良く(!?)読ませて頂きました。ありがとうございます。
僕の両親の離婚や、自身の現在の家族生活、今日裁判の後離婚しようとしている仲間のこと。

Susanneさんの言葉はすっと心にしみ入ったり、自省自問に向かわせたり、いろいろと考えさせられるものでした。

何がどうなるかは分かりませんが、仲間にもこの記事を紹介し、彼女自身でいろいろと考えてもらおうと思います。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「教育と保育と福祉」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事