一度、どこかでしっかり書きたいなと思うテーマがあります。
書く技法
Writing Techniques
です。
①毎日の情報集めと情報発信
職業柄、よく「どうやったら書けるようになりますか?」と言われます。
それに対して、僕はいつもこう言います。
「楽器って、毎日やらないとうまくならないよね。ピアノもドラムも毎日叩くのが基本。同じように、書くのも、毎日やらないとうまくならないよ」、と。
まずは、毎日書くこと。
でも、それが難しいんです。僕はこのブログを14年ほどやっていますが、毎日書く、というのは、めちゃめちゃ大変です。しかも、ブログというのは、一般に公開されるので、誰が読むか分からない。それをたえず意識して、14年書き続けるというのは、めっちゃしんどいです。
けど、僕の書く(打つ)スキルは、めちゃめちゃ向上しました。毎日書いているので、書くことが苦痛じゃない。とりあえず、慣れているから、なんとなく指が動くんです。しかも、紙に書くのと違って、打つだけなので、本当に早くなります。
ホリエモンも近畿大学の卒業式の講演?で、「毎日情報を集めて、毎日発信してください」と言っていました。
書くためには、まず何よりも「情報集め」と「集めた情報の発信」が大事だと思います。
今は、SNS時代、しかもインスタ時代とあって、文字を打たなくてもいい時代に入っています。
画像をいくらupしても、スタンプをいくら打っても、文章はうまくなりません。
書き続けるしかないんです。
②文章のパターンを頭に入れる
次に、どう書くか。どう書いてはいけないか。
今、僕は「英語の本」を書いています。語学の本じゃなくて、英文の専門書です。
僕はこの20年間、ドイツ語onlyで外国語に向き合ってきたので、英語はど素人(以下)です。
本当に酷いです(苦笑)
~ingの動名詞とto不定詞の使い分けもままならないくらいに…。
関係代名詞のwho、that、whichの使い分けもできないくらいに…。
でも、やらなきゃいけないからやるんです。
で、一つ発見したことがあります。
最初、自信がないから、全文日本語で書いて、それを翻訳ソフトで訳してもらって、それをチェックする方法でやったんです。
そうすると、それなりの訳語ができるんですが、それをいくら繰り返しても、英語を書く力が伸びないんです。
これはまずい、と思い、途中から翻訳ソフトは使わず、どうしても悩ましいところだけ助けてもらうようにしたんです。
そうすると、自分の頭で考えなければいけない。常にテキストや参考書を頼りにして、文を組み立てていくんです。
8000wordsを超えた頃から、なんとなく、文章の書き方が分かってきたんです。
もちろん、色んな英文から「パクリ」つつ、「文章のパターン」だけをそこからお借りして、、、。
模倣は最大の力なり、ではないですが、とりあえず使えそうな文章のパターンを覚えて、それを自分の文章に当てはめていくんです。
日本語でも例えば、「●●によると、●●することによって、●●は●●になる」みたいなパターンを覚えていくんです。
あるいは、「●●が●●することによって、●●は●●となり、その結果、●●ということが分かる」というようなパターン。
文章には確実にパターンがあり、そのパターンに言葉を当てはめていくんです。
そうすると、更にスピードが増していきます。
だんだん、英語を書くのが楽しくなってきました。どのパターンを使おうかなって。
日本語も同じで、いくつかの(いくつもの)パターンを覚えることで、書くスピードが上がっていきます。
あと、技として、文章を極力切っていく。
文章を書き慣れていない人ほど、文章が長くなります。
「私は昨日、レストランに行って、メニューを見たのですが、その中で一つ気になるものがあったので、それを注文しようとしたとき、一緒に来ていたM子が「こっちの方がおいしそうじゃん」と言ったので、それにしようかなと思って、それを注文したのですが、それがとてもまずくて、おいしくなくて、注文したのは失敗だったかなと思ったんですけど、実はそのメニューは日本でもめずらしいエスカルゴを使った料理で、最終的にはこれを注文してよかったなって思いました」
みたいな…汗
これをガンガン切っていくと、読みやすくなります。
「私は昨日、レストランに行きました。そして、メニューを見ました。その中に一つ気になるものがありました。これを注文しようと思ったのですが、一緒に来ていたM子が私にこう言い出しました。「こっちの方がおいしそうじゃん」、と。それを聞いて、私は、それにしようかなと思い、そのメニューを注文しました。しかし、その料理はとてもまずいものでした。おいしく感じませんでした。その時、私は、注文に失敗したと思いました。ところが、実はそのメニューは、日本ではまだまだ珍しいエスカルゴを使用した料理でした。最終的に、私はこれを注文してよかったなと思いました」
と。
同じ文章ですが、読みやすくなっていますし、また、「文字数」も稼げています。
なぜ文字数が増えるのかというと、文と文をつなぐ「接続詞」が増えているからです。
そして、しかし、ところが、あるいは、…といった「接続詞」です。
また、「それを聞いて」や「その時」といったおまけの文章(副文)も増えています。
話し言葉のまま文字を書くと、早く書けるには書けますが、謎の文章になる可能性が高いです。
なので、一文一文、英語のライティングみたいに、SVOとかSVOCとかSVOOとかと枠を決めて、ぶつぶつ切っていくんです。
そして、その文章と文章の間に、つなぎとなる「接続詞」を入れ込めば、それなりの文章に仕上がります。
③主観はとりあえず入れない
また、よりクリアにかつスピーディーに書くには、自分の主観を入れないということを徹底することです。
自分がどう思ったかを書くと、色々と考えてしまい、書くスピードが落ちます。
具体的に、事実だけをたんたんと書く、というのが、技法的により効果的だと思います。
淡々と事実を書く。
例えば、
「●●というお店(あるいは施設)に行った。12時20分。場所は、千葉駅から●●バスで13分ほどの●●というところだった。このお店は、普通の住宅のおよそ3つ分くらいの大きさの建物で、色は白だった。2階建ての建物で、それほど古くない建物だった。お店には、芝生の庭があり、そこには小さな池が設置されていた。その池には、魚が泳いでいて、池の周りには石がしきつめられていて、日本庭園のようだった。お店に入ると、木のいい匂いが広がっていた。和服をまとった店員さんたちが忙しそうに配膳していた。店員さんは全員女性だった。…」
みたいな。
「思った」とか「考えた」とか、そういう情報って、実はあまり意味がない、というか、読者には興味がないというか。それより、そこで何が起こっているのかが気になるというか。
なので、事実をきちんと丁寧に淡々と書く、というのができれば、書くスピードはさらに増します。それでいて、相手にその中身がよく伝わるんです。
ラーメンブログを書いていても、「おいしかった」とか「まずかった」とか、そういう言葉が実は一番「無意味」で、どうおいしかったのか、どうまずかったのかが全く伝わってきません。それに、そもそも「味覚」なんて人それぞれなのだから、「おいしい」も「まずい」も人それぞれなんです。だから、書いても意味がない。それより、事実を淡々と書く方が、必要な情報が相手に伝わるわけです。
だから、僕は極力、「おいしかった」も「まずかった」も使わないように努めています。もちろん、素直においしいと感じたときは、「おいしかった」と書くには書きますが、そこを重視はしていません。
とはいえ、ただの「情報の羅列」だけでは、あまりにも面白味がないので、「面白い!」と思うところを頑張って探すんです。
教育や保育の「事例」においても、まずは「面白いところ」や「意味がありそうな場面」や「問題となるシーン」を探すんです。この能動的な「探索」がなければ、書いていても面白くありません。面白いところや興味深いところを見つけ出して、それを、淡々と事実に基づいて書くんです。
そして、最後に少しだけ、「解釈」(意見)を出して、おしまいにするんです。
主観的な意見は最後にちらっと(できればちくりと?)仄めかす程度にしておいて、その前にまずは、そのシーン、その場面を事実に即して読みやすく書くということだけに集中すればいいんです。
④シンプルな論理性
あとは、単純に「論理」の問題だと思います。
有名なのは、「起承転結」ですよね。
まずは「問題提起」。疑問文を使うことを意識しましょう。
そして、「その問題となる事柄についての情報をまず埋めていく」んです。
で、ある程度、情報を記述したら、それに対する問題や課題などを書いていく。
最後に、結論・解釈・意見を加えて、はいおしまい。
例えば、
(起)「この記事(レポート・作文・論文・レポ)では、●●の○○について書いていきたい。●●は、これまで××と考えられてきたが、本当にそうなのだろうか。○○は、一般的には××という意味で、●●に大きな影響を与えていることが分かっている。だが、●●は今、大きな変革の時期をむかえている。それがいったい何を意味しているのかについて考えたい」
→「この記事では、ラーメンの一ジャンルである味噌ラーメンについて書いていきたい。味噌ラーメンは、これまで北海道のソウルフードと考えられてきたが、本当にそうなのだろうか。味噌ラーメンは、一般的には北海道の名物であり、ラーメン界全体に大きな影響を与えていることが分かっている。だが、味噌ラーメンは今、大きな変革の時期をむかえている。それがいったい何を意味しているのかについて考えたい」
みたいな。
(承)「では、●●はいったいいつ、どこで、誰が発案したのだろうか。○○によると、●●は、1924年に××で、~~された。それを受けて、うんぬんかんぬん」
そして、
(転)「しかし、今、●●は大きな転換の時期を迎えている。というのも、…うんぬんかんぬん」
最後に、
(結)。「以上の考察から(以上の記述から)、以下の三点のことが分かった。すなわち、第一に、~。第二~。第三に~である。その中でも第三の~は、今後の●●を考える上で極めて重要な意味をもつように思われる。…うんぬんかんぬん」
以上、「起承転結」という論理的な展開もまた、書く技法ではないか、と思います。
また、最後に述べた、「第一に~」「第二に~」「第三に~」というのは、かなり話が整理できるので、有効です。
例えば、
今回の●●で学んだことは、次の三点である。つまり、第一に、●●を××すること、第二に、●●が○○の時に、●●は~~となること、第三に、~~すると、○○になるということである。
みたいな。
論理的に書くというのは、何も厳密な論理性を突き詰めるというわけではなくて、単純に整理して書く、というだけのことです。この整理をするのに、「アタマ」を使うんです。「どう書こうかなぁ」、と。
多くの人たちは、「何を書こうか」と悩むわけですが、そこはぶっちゃけどうでもいいんです。それより、「どう書くか」に集中した方が効率的です。
⑤毒を盛る(ちょい中級編)
最後に、読み手にとって、どこか少し引っかかるようなフレーズ(文章)を入れ込むというテクニック。
音楽の例で言いますと、ですね。
だいたい曲を作るときって、パターンがあるんです。
代表的なのは、C-G-Am-Em-F-G-C-Gとか、Am-F-G-C Am-F-G-Amとか、
売れ線だと、Em-Am-D-G Am-Em-F♯-B7みたいな。
でも、これだけだと、あんまりおもしろい曲にならないんです。どこかに「毒」となるコードをぶち込むんです。
例えば、Am-F-G-A Dm-G-Am-B♯ みたいな。
気持ち悪さを少しだすために、Amで終わるところであえてAを使ってみる、とか。
文章も、王道の展開で王道の論理で攻めるだけじゃなくて、どこかで「毒」を盛る。
それは、「批判的なコメント」でもいいし、「分からなかった謎」でもいいし、なんでもいい。
最後の最後で、「○○という見方と、××という見方の二つがあり、どちらか最後まで分からなかった」でもいい。
文章を書くのが苦手な人ほど、最後に結論を(無理にでも)出そうとします。
が、文章を書くのが上手い人ほど、いくつかの見通しを提示して、結論を出さずに終わらせます。
その「余韻」もまた、一つの「毒」のような気がします。
***
とりあえず、以上の五つのポイントを提示してみて、、、
これで、とりあえず終わらせます。
以上、この文章を書くのにかかった時間は約45分。
文字数は5022文字。
わりといっぱい書けたかな!?
何かのご参考になれば幸いです。
…
さ、原稿執筆に戻ろう、、、(;;)