Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

「女の敵は女」、という話-そして、緊急下の女性のこと-

 

今週、講義で、「緊急下の女性(Frauen in Not)」について話をした。

本で書くのとは違って、学生たちに、リアリティーをもって理解してもらうために、色んな工夫を凝らしている。

そこで、僕がよく使うフレーズが、「女の敵は女」、という言葉。

児童遺棄事件などで、逮捕された女性が決まって言うフレーズが、「誰にも相談できなかった」。

なぜ、相談できないのか。

その一つに挙げられるのが、「友達に相談しても、怒られ、責められ、呆れられるから」、という理由。

「なんで、あんな男と付き合ったの?」

「前に忠告したじゃん。あんたの責任よ」

「自業自得よ。私はもう知らないわ」

「さいてー」

置かれている状況が、より難しい状況になると、そもそも、理解もしてもらえない。

その代表例が、「風俗」、ないしは「キャバクラ」。

風俗の仕事に偏見をもつ女性は多い。

講義でも、「風俗の場合、売る女性が悪い? それとも買う男性が悪い?」と聴くと、多くの女子学生が、「女が悪い」、と答えている。

母子支援等を学んでいる学生たちであっても、そうだ。

一般女性の、「風俗嬢」への偏見は相当のものだろう。

「実母」となれば、さらに、相談できないだろう。

「なんで、あんたはそんなことをしたの!」

「あんたなんて、私の子じゃない!」

「けがらわしい…」

実際にそう言われるかどうかは別にしても、そう言われるだろう、と当の女性は考える。

だから、「誰にも言えない」。

それは、風俗だけでなく、「幸せではない恋愛」をしている女性全般に通じる話だと思う。

「売る女性」、「だまされる女性が悪い」、というステレオタイプは、今もなお強く作用している。

こうしたことは、幸せな恋愛(あるいは普通の恋愛)しかしたことのない人には理解できないだろう。

いや、理解しようと思わないだろう。

それが、孤独を生み、孤立を生み出す… 

なんて、話をしたんですが、、、

この講義の後に、学生から実直なコメント文をもらいました。

それがよかったので、紹介したいと思います。


 
 緊急下の女性に焦点をあてた第三章を電車の中で読んで、涙が止まらなくなりました。相手がどんな男であろうと、自分の中で小さな命が育ち、産まれてくる瞬間に感動しない女性はいないと思います。そんな自分のかわいい子どもを手放さなければならないのは、きっと私が想像するよりもはるかに辛いことなのだと思います。私は社会的養護等の勉強をしているので、弱い立場にある女性や子どもを守るためにもっともっと勉強したいという気持ちが以前よりも強くありますが、先日、地元の友だちに、「もし私がつきあっていない人との子どもを妊娠させてしまったらどうする?」、と聴きました。そうしたら、即答で、「怒るけど、そのときはちゃんと言ってね」、と言われました。今日の講義を受けて、これが先生の言う「世論」なのだなぁ、と思いました。こういう世論があるから女性は自分を責めて、誰にも相談できなくなるのだと思いました。私は女性だからこそ、助けを求める女性の味方でいたいと思いました。

*** 

 …女の敵は女と聞いて、まさにその通り!と思いました。自分がもしキャバクラで働いていて、妊娠してしまったら、隠すだろうし、お父さんよりもお母さんに言いにくいし、男友達よりも、女友達に言いにくいと思います。なんでそう思うのかは分かりませんが、女の人には言いにくいです。

***

 私も「風俗」や「キャバ嬢」など夜の仕事をしている女性のことを差別的な目で見ていました。あまり良い印象はありません。…私の地元の友だちも「コンパニオン」の仕事をしています。昼間の仕事もできるのに、どうしてそんなにお金を稼ぎたいのかは分かりません。でも、辞める予定はないそうです。私は友だちが心配ですが、どうすることもできないですし、自ら進んで夜の仕事をしているので、何もできません。見守っているだけです。

***

 私の地元にも、家計的に厳しく、風俗をやっている子がいます。妹の部活の部費を払ったり、食事代などを稼ぐために、と聴きました。地元の人たちには、多くその話が流れ、多くの人は軽蔑の目を向けて、やめた方がいいと声をかけています。けれど、彼女は、家にお金がないから自分が働くしかない、と言っていました。私も正直、風俗なんて、と思ってしまったけれど、そういう人たちこそ、支援が必要なのだと言われ、自分の考えに変化が起こりました。

***

 今日の講義は、いつもより核心に触れていくような話で、耳をふさぎたくなるような話もありました。「緊急下の女性」という言葉は、今の自分自身にとっては遠い言葉のようで、実は女性であるかぎり、自分自身を表わす言葉になるのではないか、と思いました。この年齢になって、将来を考えた時に、男性の考え方が怖いなと思う時があります。もし自分が大好きだと思って付き合うことになった男性がいて、子どもができた途端に捨てられてしまうなんてことはあり得ないことではありません。男性にとっては、一回限りの遊びだったとしたら、苦しんでしまうのは、女性である自分なんだと思います。誰にも言えず、自分が悪いと思い込んでしまうかもしれません。男性にとっては一回の快楽だったとしても、女性は一生その命に苦しんでしまいます。

***

 私の高校の同級生の中にも、風俗で働き、今も夜の世界にいる人たちがいます。しかし、彼女たちに共通して当てはまるのは、両親(特に母親)に反抗している人ばかり、ということです。本当は、優しく、人思いの友人なのに、周囲からは、関わりたくないと思わせるよな服装や言葉遣いをしています。そうした女性を支援していくには、その元になる家庭を支援することが必要で、そういう道もあるのでは、と思いました。それから、底辺校から風俗に行く傾向もあるように思います。

***

 第三章にある母親が子どもにあてた手紙を読んだ時、涙が出ました。今まで、緊急下の女性の心情など聞いたこともありませんでした。きっと子どもを手離すくらいなのだから、精神的にも不安定で、ニュースにもあったうさぎのケージで子どもを育てるような人が赤ちゃんポストを利用してるのだと思っていました。しかし、子どもにあてた手紙は、読んでいて、言葉にはしにくいのですが、きっと環境もズタボロで、心もない人なんだろうなと、思っていたのですが、そうではなく、言葉がすごくきれいで、心の底からの申し訳なさが伝わってきました。つまり、私にも偏見があるのだと分かったんです。こういう偏見が、女性たちを苦しめるんだろうな、と思いました。

***

  キャバ嬢として働くある女性が、「出勤途中に周りからの視線が怖い」、と言っていました。「汚い女だ」、「あのような人とは付き合いたくない」という(女性からの)声もあるそうです。ということは、このような仕事をせざるを得ない人たちがいる、ということを知らない人がたくさんいるんだ、ということにつながるのかな、と思いました。

***

 私は、歓楽街に近いエリアにある居酒屋でバイトをしています。そのエリアには、たくさんのキャバクラやホストクラブなどがあります。私は朝までバイトをすることがほとんどなのですが、夜中の2時頃になると、仕事帰りのキャバ嬢のお姉さんたちが来店します。…キャバ嬢のお姉さんたちは、メニューに無い飲み物を注文してきたり、料理に文句をつけてきたりします。店員からしたら、面倒くさいし、「また来たよ…」と思います。ある日、よく同伴で来店するキャバ嬢のお姉さんが夜中に友人と来ました。最初は世間話をしていたけれど、だんだん表情が硬くなり、真面目な話を始めました。オーダーされた料理を運んでいくと、そのお姉さんが、「自分には子どもがいる。もう2歳」と友人に話していました。その話を、(いけないことですが)こっそり聞きました。「子どもは女の子で、今も家にいるんだよね。食べ物は置いてきているけど、実際すごく心配で。お母さんはいるけど、75歳だし…」。「相手はお金だけ送ってくるけど、全然会っていない」、「子どもはパパに会いたいって言っているんだけど、会わせたくない」…。子どものことを考えると聞いていて苦しかったし、何よりもそのお姉さんたちの今の状況がとても心配になりました。帰りに出口までアメ玉が入ったカゴをもって見送るのですが、その時に、私はお姉さんに、「アメ玉たくさん持っていってください!」(子どもにたくさんあげて喜ばせてあげて!)と、思いを込めて言いました。お姉さんたちは爆笑して、たくさんのアメ玉を持っていって帰っていきました。私の居酒屋には、こういうお姉さんがたくさんやってきます。今までは、「あー、キャバ嬢だ。いやだなぁ」、と偏見の目で見ていました。けれど、この体験を機に、お姉さんたちが来店すると、「お疲れ様でした。思う存分、ここで仕事の疲れ、子どもがいるなら子育ての疲れを癒していって下さい!」、と思いながら、「お疲れ様です」と言って、おしぼりを渡すようになりました。


賢明な学生たちは、僕の言わんとすることをしっかりと理解してくれたように思います。

今回はたまたま「風俗」や「キャバ嬢」を例に挙げましたが、それだけではなく、本当に様々な状況下の女性がいます。

そういう女性に共通しているのは、どの女性も、「人には言えない」という負い目を感じている、ということです。負い目のない女性はいない、と言ってもいいかもしれません。

赤ちゃんポストもそうです。自らが産んだ赤ちゃんを匿名で預けようという女性は、僕らが想像できるような状況にはないんです。しかも、一つの問題ではなく、様々な問題が複雑に絡んでいるケースが圧倒的です。そういう女性たちのために考え出されたのが、赤ちゃんポストであり、匿名出産であり、内密出産なんです。ドイツではおよそ1000人くらいの赤ちゃん(そして母親)が、これらの試みによって救われました。日本でも、101人以上の赤ちゃんの命が守られました。こうした支援を必要としている女性はいるんです。僕らの見えないところにいるんです。

だから、そういう状況下にない僕らが、あるいは普通の生活を普通に送っている女性たちには、赤ちゃんポストの是非なんて問えないんです。問う資格なんてないんです。

最初、学生たちは、「赤ちゃんポスト」がいいのか、悪いのかという「客観的な目線」で考えていました。恐らく、多くの人が「他者の目」で赤ちゃんポストを見て、その是非を考えるのでしょう。でも、一歩踏み込んで、「いったいどういう女性が赤ちゃんポストを必要としているのか」、と考えれば、赤ちゃんポストの是非を問うことの無意味さに気づけると思います。

赤ちゃんポストの問題と、児童虐待の問題は、密接につながっています。出産直前・直後であれば、赤ちゃんポストが必要となるし、その時期を越えて、赤ちゃんの養育の時に問題が発生して、どうにもならなくなった時に、虐待が生じます。どちらも、孤立し、追いつめられた母親の存在が浮かび上がってきます。

そういう視点で、母子支援、社会的養護、子ども支援の問題を考えてもらいたいなぁ、と切に思います。 

僕たちは、赤ちゃんポストを必要とするような女性のことを知らない…。

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