新宿西口の地上出口から小滝橋通り方面に下っていくと、青梅街道にぶつかる大きな交差点がある。ちょうど、新宿大ガードの手前付近である。
この交差点の目の前にあるパチンコ屋は現在「カレイド」という綺麗な店なのだが、ココに以前、大変味わい深い庶民的なパチ屋があったのを知っているだろうか。
「ニューミヤコセンター」という名の昭和チックな店である。
(1993年当時の新宿大ガード付近)、左上の赤い「マクセル」看板の下付近に、ニューミヤコセンターがあった。その看板の奥に見える窓の多いビルは「ジューキビル」といって、当時は横浜銀行の新宿支店などが入っていた。現在は、「エスパスタワー店」として営業中。)
(夜のネオンが眩しい当時のミヤコセンター…右は「ワールドゲーム・ミヤコ」)
ニューミヤコのはす向かい、交差点を挟んだ反対側には「ジャンボ」という巨大ネオンで有名なパチ屋があり、当時は新宿・青梅街道沿いのパチ屋の「2トップ」として君臨していた。
老舗大型パチンコ店「新宿ジャンボ」(現在も営業中)
ニューミヤコは設置台が多いのも印象的だったが、それ以上に大きな特徴として、景品コーナーの充実ぶりが挙げられよう。
店の奥に進むと右手に景品カウンターがあり、そのカウンターの前には、コンビニと見紛う程の大規模な景品の陳列コーナーがあった。
缶詰、お菓子や冷凍食品などの食料品はもちろん、石鹸・シャンプー等の日用品、CD、カセットテープ、各種家電、家庭用ゲーム、文具、書籍、自転車などの景品が、当時としてはかなり大きなスペースに並べられていたのだ。
その頃、私はハネモノやデジパチの他、特に「チューリップ台」(普通機、平台)と呼ばれる役モノとチューリップの入賞で地道に玉を増やすタイプの台を打ちに、このニューミヤコセンターへ通っていた。
入り口の左手二シマに、チューリップ台(三共の「タッチダウン」「ハイパーボール」「トリプルパワー」)が設置されており、中には粘ればドル箱3杯は出るような甘釘台もあったものだ(ただし、そこまで出すには非常に時間を要したが…)。
元手もそれほどかからず(平均すると7~800円程で食いついた)、チューリップ台で稼いだ出玉を奥の景品コーナーで好きな商品に交換することも、この店での楽しみの一つだった。
今思えば、小説や雑誌などの書籍を良く取っていたような気がする。この店で取った本を、帰りの小田急線でのんびり読む…なんて記憶がうっすらと残っている。
それと、この店の換金所であるが、店からかなり離れた所にあったので分かりにくかったことも覚えている。
店の右側裏手の出口からJR線沿いの細い通りを進み、しばらく歩いたところで左折したところにある雑居ビルの地下駐車場付近が換金所だったのだが、まあ初めての人間には見つけにくい場所であった(その後、店舗の2階に換金所が新設された)。
その他、この店で覚えているのは、パチンコ小冊子の「王様手帖」を無料で配布していたことだろうか。
手のひらサイズのコンパクトな小冊子で、パチンコ絡みのコラムやレポート等、色々な記事が載っている楽しいブックレットだった。
漫画家の蛭子能収さんのパチンコ4コマ漫画はいつも面白かったし、なぜか毎号のように載っていたAV女優のグラビアを眺めるのも密かな楽しみだった。
ニューミヤコにはパチスロも設置されており、パチンココーナーの左奥にはパチスロの小さなシマがあり、当時は確か5連チャンで有名な北電子の「アポロン」が設置されていたと記憶している。
1995年だったか、ニューミヤコに行ってみたら入口一帯がフェンスで覆われており、閉店を知らせる一枚の「お知らせ」が貼られていた。慣れ親しんだ老舗の突然のクローズ、当時大変ショックを受けた事を覚えている。古いニューミヤコの跡地には、新しい大型商業ビルが建設される事になり、急ピッチで工事が進んでいった。
その間、店は小滝橋通り沿いのビルに移転となり、「ニューミヤコ・パート2」として規模を縮小して営業を続けた。その後、移転先のパチ屋も閉店となり、そこはゲーセンへと変わってしまった。
それから数ヶ月後、建設中だった「カレイドビル」が完成して、新しいビルに地下一階から地上2階までの3フロアを持つ新しいパチ屋「パチンコアベニュー・カレイド」が1996年7月にオープンして、現在に至る。
という事で、懐かしの「ニューミヤコセンター」、今は亡き新宿の名店であった。