まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

小田急町田駅 パチスロ「桃太郎」の記憶

2011-08-23 12:22:23 | 思い出のパチンコ店

小田急線の町田駅を降りて、原町田の繁華街へと向かう路地を抜けると、マクドナルドやジーンズマルカワ、三菱東京UFJ銀行などの立ち並ぶ一角がある。




このマクドナルドのすぐ隣にあった、小さなパチスロ専門店をご存知だろうか。


「桃太郎(ももたろう)」という平屋建ての小店である。


店の看板には「MOMOTARO」のローマ字が表記されていた。


すぐ近くに大手パチンコ店チェーンが何件も軒を連ねる中、ひっそりと営業を続けていた健気な店。

3号機時代は「スーパープラネット」(山佐)があり、たまに足を運んだ。尚、その頃の町田のメイン機種は「TAC5」のアメリカーナマグナム&バニーXO、そして壱番館のミスターマジック等である。

 

ユニバーサル4号機「クランキーコンドル」が末期まで設置されていた貴重な店でもあった。岡崎の「スーパージャックポット」なんかも置いてあった。


もともとはパチンコ・パチスロ併設店であったが、時代の波に揉まれてリニューアルを繰り返し、最終的には「パチスロ専門店」という形態になった。


(パチ・スロ併設時代の「桃太郎」。当時は看板にカタカナで「モモタロウ」と書いてあった。その後、2000年スロ専への全面リニューアルを機に、「MOMOTARO」の表記に変わった)

併設店の末期の頃には、SANKYOの時短機「フィーバーピストル大名GP」などを打った。その後しばらくして一旦休業。スロ専へのリニューアル直後に入店したら、店内が随分とガランとなっていて、その「殺風景さ」に随分と驚いた事を思い出す。

フィーバーピストル大名GP(三共、1998年)


私は、リニューアル後の桃太郎で、「玉緒でポン」というサミーの4号機をよく打っていたのだが、低換金率の故に、設定の良さげな台もちょくちょく打つことができた。


この「玉緒でポン」にはちょっとした攻略ネタがあり、ビッグボーナス時に中村玉緒が喋る音声で、前ビッグからのゲーム数が推測できた(連チャン時→「調子よろしいな~」、ハマリ時→「お疲れ様でした」etc)。


このネタを利用して、当日の初ビッグ時のゲーム数と玉緒の音声に矛盾が生じれば(速攻で当たったのに「お疲れ様でした」と喋った場合など)、設定据え置きがほぼ確定したのだ。


なんとも原始的な方法ではあったが、桃太郎では結構この方法が通用した。


普通であれば、店側は設定変更や打ち直しなどして対策を立てるはずだが、この店では攻略に対して無頓着というか、かなりユルかったことが伺える。


「玉緒でポン」の他、桃太郎で打った印象的な台として、北電子の4号機「ダイノ2」を挙げておこう。


ジャグラーと比べれば明らかにマイナー機の部類に入るような機種であったが、告知ランプや遅れ、そして連チャン性もあって非常に面白い台だった。遅れ告知は、結構病み付きになったな…。


ただ、このダイノ2を置いていたシマには、一種独特の匂いが常に漂っており(例えるならば犬小屋と肥やしを足して2で割ったような「異臭」)、長時間打っていると気分が悪くなったものだ。


あれは一体、何の匂いだったのだろうか・・・。


ともかくも、ちょっとひと稼ぎするにはうってつけの「隠れ家」的な存在だったのだが、いつの間にか閉店してしまった。


しばらくの間、店の外観はそのまま残っていたので、「いつか再オープンするのではないか」と僅かながら期待していたのだが、結局それは叶わなかった。現在、跡地では某・磯料理専門店が営業している。