まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

都電荒川線・早稲田駅 パチンコ「三光堂」の記憶

2011-08-29 11:00:18 | 思い出のパチンコ店

(平成2年を回顧して・・・)


1990年、念願のW大に合格した私は、向学心に燃えて西早稲田のキャンパスに意気揚々と通っていた。

大隈講堂。1990年4月の学部別入学式では、確かに向学心に燃えていた筈だが・・(汗)


しかし、そこで友人から「パチンコ」なる遊びを教えられてしまったのが運の尽き、本業である勉学そっちのけで、連日遊びほうける堕落学生へと転落してしまったのだった・・・。


な~んて当時の自堕落ぶりを反省しつつ、ふと思い出したのが、当時大学近くの新目白通り沿いにあったパチンコ店「三光堂」である。



(在りし日の早稲田・三光堂)


都電荒川線の早稲田駅から徒歩2分の場所に位置する、地元密着型の店だった。


パチンコ・パチスロともに、出玉はお世辞にも良いとは言えなかったが、授業の合間の息抜きなんかによく通っていたものだ。


パチンコは西陣の機種(スーパールーレット、ファンキーセブン、ミラクルフォース、ニューモンロー、ダービーキングetc)をメインに色々な台が設置されていた。平和の大量獲得ハネモノ「ニューヨーカー」も置いてあった記憶がある。



(西陣・ダービーキング)


一方パチスロのシマを見ると、当時のユニバーサル系(現・アルゼ)の機種ばかりを入れていた記憶がある。


2号機のセンチュリー21、3号機のコンチネンタル2、そして4号機ではチェリーバーやソレックスに良く座り、良く負けていたなぁ・・・(ちなみにこれらはすべてノーマル)。


そして忘れてならないのが、この店の最大の特徴(?)である「景品交換所」であった。


普通の店ならば、店の近くに専用の換金用ブースや窓口があるものだが、この店の交換所は、なんと裏路地にある、普通の民家の玄関(土間)であった。


長屋の玄関先に、齢70は過ぎているであろう老婆がちょこんと座っており、手元に置いてある小さい箪笥の中からお金を取り出しては、せっせと客に手渡していたのだ。


今考えると、こんな無用心な交換所では「どうぞ強盗に入ってください」といわんばかりで、かなり物騒な気もする。


しかし、当時はこんな「ユルさ」さえも許されていた、良い時代だった。世知辛い昨今とは異なり、当時の日本人には余裕が感じられた。まぁ、今とは、経済的・精神的な背景が大きく違っていた。


当のお婆ちゃんも別段気構えることなく、テレビの「水戸黄門」の再放送なんかを見ながら、のんびり座っていたものだ。


残念ながら、その後三光堂は潰れてしまい、その場所では「パイ〇ップル」というパチ屋が営業している。店は変われど、今もあの場所は、私にとって若き日の思い出の一ページである。

(現在の三光堂跡地。別のパチンコ店が営業中。)