かつて、新宿・歌舞伎町の旧コマ劇場近くで営業していたパチンコ店「モナミ」&「ニューセブン」。
現在、24時間営業の寿司屋「きづなすし」がある辺り、セントラルロード(当時は「中央通り」)沿いにあった老舗パチ屋だ。セントラルロードは、赤いゲートがシンボルの「歌舞伎町一番街」の隣り、靖国通りに面したメインストリート(ドンキホーテがある通り)といえばピンと来るだろうか。
上の写真では、手前側の自転車が止めてあるホールが「モナミ」である。
そして、若干判りにくいが、奥の「新台入替」と書かれたノボリがある店が「ニューセブン」だ。
昭和末期~平成初期の歌舞伎町に通ったパチンカーなら、思い入れも深いのではないか。かくいう私も、その一人である。
派手なネオンが連なる2軒のホールは、大歓楽街・歌舞伎町の中でも一際目立っていた。
因みに、同じ中央通りの靖国通りに近い側では、「パチンコ747」(旧・「金嶋」)という地下フロアのパチンコ店が営業(1993年閉店)。
また、「モナミ」裏手の一番街通りには、「ニュープリンス」というスロ屋もあった(1993年閉店)。ここは、歌舞伎町で唯一、日活1.5号機「パルサーXX」を置いている貴重な店だった。
さて、今回取り上げる懐かしの「モナミ」と「ニューセブン」。1991年(平成3年)までは両店共に健在だったが、1992年に「ニューセブン」は閉店。
一方、「モナミ」の方は、かなり頑張って20世紀を生き抜いたが、2007年にクローズした。
昭和末~平成初期のパチンコブームを盛り上げた懐かしの店が、共に消え去ってしまったのは寂しい限りである。
(1)ニューセブン
1991年当時の歌舞伎町のパチ屋は、パチンコ・パチスロの併設店が多かった。しかし、ニューセブンには、何故かパチスロが一台もなかった。資料では、80年代の頃からパチスロを置かなかったようだ。
(1991年当時の「ニューセブン」)
さらに、各店が「平成新基準機」の新台を続々導入する中、ニューセブンの店内はレトロな旧要件機ばかりが目についた。ハネモノにしても、話題の「ニューモンロー」や「サンダードラゴン」といった大量獲得機は見当たらず、8ラウンド旧要件機の「魔界組」「マッハシュート」「ビッグシューター」「オールスターII」と、今にしてみれば香ばしいラインナップであった。
また、デジパチでは、辛うじて新要件機の「トランプエース」(京楽)が導入されていたが、パールセブン、ドリームXといった昭和末期の名機も多く残り、オマケチャッカー機を末期まで堪能できる店として重宝した。珍しい所では、西陣最後の旧要件デジパチ「ルーキーNX」が置いてあった。因みに、この店には一階と二階があり、下はラッキーナンバー制、上は無制限営業を行っていた。
(2)モナミ
さて、ニューセブン隣の「モナミ」は、何といってもパチスロ1.5号機の「ニューペガサス」(パル工業)を長く置き続けた事で知られる。
地下の薄暗いパチスロフロアには、昭和にタイムスリップしたかのような空間が広がり、古臭いニューペガサスの白い筐体が神々しく並んでいた。当然、打っている客は、ほぼ全員が「逆押し」をしていた。同じ頃、新宿ではスタジオアルタ裏の「モナコ」(後に「G7」)というパチ屋の2階にも、ニューペガが置いてあった。
(1991年当時の「モナミ」)
(1991年当時の「モナミ」のネオン。「スロコーナーB1」の看板も懐かしい…)
新宿モナミは、ニューペガ以外にも「コンチネンタル1」「コンチネンタルIII」「スーパーバニーガール」といった人気台を置いていた。また、新台入替で「ペガサスエクサ」(パル工業)や「リノ」(ニイガタ電子)が入った事も覚えている。
一方、一階フロアのパチンコシマには、デジパチ、権利物、ハネモノをムラなく設置。当時、新台の新要件連チャン機「フィーバーフラッシュSP」(三共)やドラムタイプの小デジタル確変機「ウルトラセブン」(マルホン)、そして旧要件機で爆裂連チャンが期待できる「ロータリーセブン」(マルホン)などを良く打っていた。
権利物では、ダブル狙いが発覚した「タイムショック」(三共)、三洋のデジタル権利物「ニューヨーク」などが、この店の人気だった。また、豊丸の一般電役「アメリカンドリームP1」は、歌舞伎町界隈では釘も良さげだった記憶がある。それに比べて、西武新宿駅側「N拓」チェーンのアメドリの釘は…(以下自粛)。
ハネモノについては、新要件「サーカスIII」(三洋)、「スーパーゴルフ」(マルホン)、そして話題の大量獲得機「ニューモンロー」(西陣)などが並んでいた。「ブルドーザーおじさん」(大一)なんて楽しい台もおいてあったな…。