「あなた先生なんでしょ?」
1人の女性がそう私に聞いた。
ほんの数ヶ月前までは、アートセラピーの時間、固定の席に座り、
誰よりもダイナミックな表現をして、そして私にいつもこう言葉をかけてくれていた。
「先生、楽しいね。。」
「先生、いつもありがとうね。」
「先生、ほんといいことやっているね」
「先生、お弟子さん増えてよかったね。あんたたちも頑張んなきゃ駄目よ。」
私のとって太陽のような人。
必ず冠のように「先生」をつけて私を呼んだ。
施設オープン時にからのお付き合い。
その女性は今年大きな変化を迎えた。
体調を崩し入院。そして無事に施設に戻られたが
だが固定の席にはもう戻ってくることはなかった。
生活の拠点が介護フロアになった。
お会いした時にはもうすっかり私のことも、アートセラピーのことも何一つ覚えてはいなかった。
お誘いするとこう返してきた。
「私、こういうの好きじゃないから。」
それはまではほぼ皆勤に近い出席率。通院などで出られない日はわざわざ挨拶にいらっしゃる方だった。
(あっ・・・)
私は当たり前に来るだろうと勝手に決めつけていた自分に気づくと同時にこの女性の状況を改めて理解した。
ゆっくりゆっくりと緩やかスロープを下りながら高齢者の方は変化をしている。
それは月に1度のアート表現の時間の中でも、充分に見て取る事が出来る。
鮮やかな色合が好きな方が、急に混濁した色合いが増えたりする。
そしてまた鮮やかな色合に戻り、また混濁をと、表現自体行きつ戻りつする。
それから介護フロアでお会いする度にご挨拶をし、少しお話をし、
アートセラピーにお誘いし、そして「好きじゃないから」と断られ。
そんな時を数ヶ月。。
先日準備をしていたら、何をやっているの?と女性の方からのぞきにいらした。
椅子に座り、しばらくおしゃべりをし、私たちが準備する様子を眺めていた。
「私はなにか作ったりするのは好きじゃないの。」
でもこの日はこう続いた。。
「こういうの誰が教えているの? 誰が先生とかあるんでしょ?」
「みんなでやっているんですよ。」とお伝えしても
「そんな事ないでしょう。誰かが教えないとできないでしょう。あなた先生なんでしょ?」
と。
会話が弾んだ。
そして馴染みのキーワード「先生」までが登場した。
体調が変化し、その変化をからだ自身馴染むのに高齢になれば時間がかかる。
同じ施設であっても異なるフロアという環境の変化、
そしてそれらを受け止めるためのこころもまた体調と同じく行きつ戻りつ。
しばらく続いた混沌とした時間から少し抜け出し始めている。
私にはこの会話からそう感じた。
またいらっしゃるかもしれない。
でもないかもしれない。
それはだれにもわからないけれど
アートセラピストは存在として刺激を与える素材のひとつであり、
そしてその表現を受け止める器でもある。
だから
いついらしてもいいように
だからこそ何一つかわらずにいつものように・・・
私はわたし自身を整えておきます。
yoko
*Facebookより
1人の女性がそう私に聞いた。
ほんの数ヶ月前までは、アートセラピーの時間、固定の席に座り、
誰よりもダイナミックな表現をして、そして私にいつもこう言葉をかけてくれていた。
「先生、楽しいね。。」
「先生、いつもありがとうね。」
「先生、ほんといいことやっているね」
「先生、お弟子さん増えてよかったね。あんたたちも頑張んなきゃ駄目よ。」
私のとって太陽のような人。
必ず冠のように「先生」をつけて私を呼んだ。
施設オープン時にからのお付き合い。
その女性は今年大きな変化を迎えた。
体調を崩し入院。そして無事に施設に戻られたが
だが固定の席にはもう戻ってくることはなかった。
生活の拠点が介護フロアになった。
お会いした時にはもうすっかり私のことも、アートセラピーのことも何一つ覚えてはいなかった。
お誘いするとこう返してきた。
「私、こういうの好きじゃないから。」
それはまではほぼ皆勤に近い出席率。通院などで出られない日はわざわざ挨拶にいらっしゃる方だった。
(あっ・・・)
私は当たり前に来るだろうと勝手に決めつけていた自分に気づくと同時にこの女性の状況を改めて理解した。
ゆっくりゆっくりと緩やかスロープを下りながら高齢者の方は変化をしている。
それは月に1度のアート表現の時間の中でも、充分に見て取る事が出来る。
鮮やかな色合が好きな方が、急に混濁した色合いが増えたりする。
そしてまた鮮やかな色合に戻り、また混濁をと、表現自体行きつ戻りつする。
それから介護フロアでお会いする度にご挨拶をし、少しお話をし、
アートセラピーにお誘いし、そして「好きじゃないから」と断られ。
そんな時を数ヶ月。。
先日準備をしていたら、何をやっているの?と女性の方からのぞきにいらした。
椅子に座り、しばらくおしゃべりをし、私たちが準備する様子を眺めていた。
「私はなにか作ったりするのは好きじゃないの。」
でもこの日はこう続いた。。
「こういうの誰が教えているの? 誰が先生とかあるんでしょ?」
「みんなでやっているんですよ。」とお伝えしても
「そんな事ないでしょう。誰かが教えないとできないでしょう。あなた先生なんでしょ?」
と。
会話が弾んだ。
そして馴染みのキーワード「先生」までが登場した。
体調が変化し、その変化をからだ自身馴染むのに高齢になれば時間がかかる。
同じ施設であっても異なるフロアという環境の変化、
そしてそれらを受け止めるためのこころもまた体調と同じく行きつ戻りつ。
しばらく続いた混沌とした時間から少し抜け出し始めている。
私にはこの会話からそう感じた。
またいらっしゃるかもしれない。
でもないかもしれない。
それはだれにもわからないけれど
アートセラピストは存在として刺激を与える素材のひとつであり、
そしてその表現を受け止める器でもある。
だから
いついらしてもいいように
だからこそ何一つかわらずにいつものように・・・
私はわたし自身を整えておきます。
yoko
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