<最愛の者が、最愛の者によって殺された。>
『あなたはこれに耐えられるのか?』
『あなたは、殺した者を、赦すことができるのか』
『以前と同じように、再び愛すことができるのか…。』
これが今回、私に突きつけられた課題だったと思う。
それは、おととい、飼い犬が、庭に来ていたキジ鳩を噛殺すという形で起こった。
それは、私にとっては、自分の息子が自分の娘を殺害したのと同じ重さの出来事だった。
私がどれ程その両方を、愛しく思っていたかということは、結局は私にしか分からないことだし、
人に理解してもらおうとも思わない。
そして私は絶望した。
小さいころから、【死に別れ】はイヤというほど経験している。
6から10歳までだけでも、叔父、祖父、伯母、父と次々に亡くした。
葬式と法事だらけの幼年時代だった。
※(子供に死が分からないというのは嘘だ。
少なくとも私の場合はちゃんと分かっていたので、もの凄く悲しかった。
ただ、子供の時は、ずっとその感情に囚われたままになっていなので、
それが、大人たちからは、平気そうに見える原因なのだろう。)
加えて病弱で、幼稚園もまともに通えず、入院か通院の毎日。
できることは、本を読むことだけだった。
そんなこともあってか、【死】と【体の痛み】は私にとっての鬼門で、
無条件の恐怖となり、私の人生に常に暗い影を投げかけてきた。
ともかく体の調子が少し悪いだけで、すごい恐怖を感じる。
そしてまた、
自分のパワーが全部失われた気持ちにもなり、
世界で一番無力な者になった気がするもの、この時である。
ひたすら体を呪い、生きて痛みを感じることに絶望を感じる。
そしてそれは、自分に限らず、まわりで病んでる人や死に瀕している人がいても同じ。
人一倍、共感力が強いため、すべて、自分の身に起こるごとくに感じてしまい、苦しむ…。
これは一つの地獄だ。
私が人生を喜べず、生きていることを長い間、途方も無い罰ゲームのように感じてきたことも
これによるところが大きいかもしれない。
それが最近ではお陰様で、最悪の状態からは脱し、随分、生きる幸せを感じられる所まで進んできていた。
無限なる神との折り合いがついてきたと言うか…、度重なる浄化と気づきの賜物である。
徐々に、目に見える死も病気も事故も、
現象にのみ目を奪われ、嘆き悲しみ苦しむだけに、ならなくなって来ていた。
その際に感じる痛みも、必要以上に恐怖や絶望に陥らなければ、和らげることもできると知った。
そしてその表面的な事象の中に、実は隠れているものがあり、
それが大切なことなのだと段々思うようになった。
『今、本当に起こっていることは何なのか?』
『これによって、何か気づくべきことがあるのか?』
『一体私の何が、この現実を作り出したのか?』
『これが、私に伝えていることは何?』
…もちろん、ただ経験すればいいこともあるが…。
でも、結論として、今回私に突きつけられたのは、【無条件の愛】と【赦し】だったと今は思っている。
でも、こんな私なので、もちろん、すぐ、それに思い至ったわけではない。
事件の後、号泣と共に、まず自分を責めた。
(もっと気をつけてやれば、よかった。)
(犬を自由に育てすぎたため凶暴になった。)
(寝坊して、いつもより鳩にエサをやる時間が遅かったせいで、
エサを捜して地面をフラフラしていたから、庭に出た犬に捕まったのでは…。)ナドナド、
考えられる限りの理由を次々思いついて、
ひたすら後悔の涙にくれた。
おまけに、
(自分には傷を治す力もない。)
(もちろん寿命なら助けられないけど、もっと自分の波動が高ければ、
傷の痛みを取り去ってやることもできるだろうに…)云々と、尽きることなく
全くすっかり【自分が、】の【自我モード】に陥った。
悲嘆に暮ながら、それでも何とか救って貰おうとマリアさまに祈ると、
ひとこと、
『大地の女神に返しなさい』と、言われてしまった。
すべもなく、一心に鳩にとっての最善を天に祈ったのだが、
それから数時間で、静かに鳩は息を引き取った。
箱の中で、毛布のような私のウールのガウンに包まれて、
あまり苦しそうな様子もなく、安らかに逝ったのがせめてもの救いだった。
でもまだ、ことの顛末に私は納得することができず、
心底犬を疎ましく思い、何度か叩いて辛くあたった。
犬が悪いわけではないと分かっていても、
犬なんだから仕方がないと分かっていても、そうせずにはいられなかった。
あんなに愛して可愛がって育て、今まで家族として暮らしてきた犬だったというのに…。
そんな自分も嫌でたまらず、すがるように救いを求めてある本を開くと
スピリチャルガイドのことが書いてあるページだった。
それで早速、私のハイアーガイドに、
この件についてガイダンスをもらえるよう、尋ねてみると、
すぐに、次のような返事が返ってきた。
『あの鳩もあなたのことを愛していました。
長い年月ここに住み着き、あなたに親しみを感じ、感謝していました。
だから鳩の魂が寿命を察した時、彼はあなたの側で死ぬことを選択したのです。
彼はここで幸せな時をたくさん過ごしてきました。
どこか別の場所で、それと知られずいつの間にか死んでいくより、
あなたに見取られて、ちゃんとお別れを言って逝きたかったのです。
犬に噛まれたのはそのための手段であり、犬はその役割を果たしたにすぎません。
犬を赦してやりなさい。
鳩のことは、思い出すたび、愛を送ってやりなさい。
彼は今生でのこの係わりによって、次はハヤブサに生まれ変わることになりました。
彼も愛を受け取ることで成長をし、より大いなるものに進化することになったのです。
よりたくましく大空を飛ぶことは、彼の夢でもありました。
この世界でどのように見えたとしても、本当には、失われるものなどないのです。
すべてが、無限なるものの御手の中にあります。
すべてに救いがあり、愛があります。
その3次元に囚われた、曇ったメガネを外すのです。
真実を見なさい。
嘆くかわりに、愛しなさい。』
涙が滂沱のごとく流れた。そして思った。
これは、【赦し】と【無条件の愛】のレッスンであり、
私が未だしっかりと抱えていた、【制限】を示すものだったのだと。
3次元に囚われた目では、物事の真実を捉えることができない。
この2極の世界こそが、【経験】の為造られた限定されたものであり、
ある意味広い宇宙からすれば、特殊な世界なのだ。
それなのに、知識としてそれを知りながら、
普段はそう信じながら、
大きく心が揺さ振られる経験をすると、途端に3次元モードに没入してしまう…。
そんな中でも自己の中心に落ち着き、感情に振り回されずいることの大切さ。
3次元ドラマの恨み憎しみ復讐などに入り込まず、真実の自己を見失わずにいることこそ、
この世界の重い波動の中にあって、【輝く】ということなのだろう。
さて、今回の課題、クリアできたのかどうか…。
答えをガイドさんに教えてもらったから、ダメだったかもね。
ただ、犬に面と向かって心から謝り、【赦す】宣言をした途端に、
世界が軽くなったのには驚いた。
周りが明るくなったというか、心も体も楽になったと言うか…。
これだけでも、
【如何に人は、自分の架した制限によって、多大な荷を負うているか】
ということが、分かる気がする。
鳩が死んで、私は悲しい。
たかが鳩と言われても、私にとっては6年あまり、
毎日を共にしていた、可愛い友だった。
睡蓮鉢の水に、温泉に入るようにとっぷり浸かって、
鳥に似合わずじっとしている姿が、まるで置物の様で、
これぞ正しく【バードバス】と笑ったこととか、
何度失敗しても、どうしても家の軒に巣を作りたくて、
せっせと小枝を運び続けていた間抜けな姿など、
庭に目をやる度思い出し、寂しくて胸が詰まる。
それを手にかけたのが、これまた娘のように思っている犬だと思うと
やっぱり辛い。
でもこの悲しみも辛さも、いつかは薄れて消えていくと私は知っているし、
その感情が消えても、双方を愛してる気持ちは消えないと思う。
そしてこれを通過したお陰で、ますます、自分や自我と言われるものは、
一時の思い込みだと感じるようになった。
肉眼にどう映ろうと、すべては祝福なのだ。
『あなたはこれに耐えられるのか?』
『あなたは、殺した者を、赦すことができるのか』
『以前と同じように、再び愛すことができるのか…。』
これが今回、私に突きつけられた課題だったと思う。
それは、おととい、飼い犬が、庭に来ていたキジ鳩を噛殺すという形で起こった。
それは、私にとっては、自分の息子が自分の娘を殺害したのと同じ重さの出来事だった。
私がどれ程その両方を、愛しく思っていたかということは、結局は私にしか分からないことだし、
人に理解してもらおうとも思わない。
そして私は絶望した。
小さいころから、【死に別れ】はイヤというほど経験している。
6から10歳までだけでも、叔父、祖父、伯母、父と次々に亡くした。
葬式と法事だらけの幼年時代だった。
※(子供に死が分からないというのは嘘だ。
少なくとも私の場合はちゃんと分かっていたので、もの凄く悲しかった。
ただ、子供の時は、ずっとその感情に囚われたままになっていなので、
それが、大人たちからは、平気そうに見える原因なのだろう。)
加えて病弱で、幼稚園もまともに通えず、入院か通院の毎日。
できることは、本を読むことだけだった。
そんなこともあってか、【死】と【体の痛み】は私にとっての鬼門で、
無条件の恐怖となり、私の人生に常に暗い影を投げかけてきた。
ともかく体の調子が少し悪いだけで、すごい恐怖を感じる。
そしてまた、
自分のパワーが全部失われた気持ちにもなり、
世界で一番無力な者になった気がするもの、この時である。
ひたすら体を呪い、生きて痛みを感じることに絶望を感じる。
そしてそれは、自分に限らず、まわりで病んでる人や死に瀕している人がいても同じ。
人一倍、共感力が強いため、すべて、自分の身に起こるごとくに感じてしまい、苦しむ…。
これは一つの地獄だ。
私が人生を喜べず、生きていることを長い間、途方も無い罰ゲームのように感じてきたことも
これによるところが大きいかもしれない。
それが最近ではお陰様で、最悪の状態からは脱し、随分、生きる幸せを感じられる所まで進んできていた。
無限なる神との折り合いがついてきたと言うか…、度重なる浄化と気づきの賜物である。
徐々に、目に見える死も病気も事故も、
現象にのみ目を奪われ、嘆き悲しみ苦しむだけに、ならなくなって来ていた。
その際に感じる痛みも、必要以上に恐怖や絶望に陥らなければ、和らげることもできると知った。
そしてその表面的な事象の中に、実は隠れているものがあり、
それが大切なことなのだと段々思うようになった。
『今、本当に起こっていることは何なのか?』
『これによって、何か気づくべきことがあるのか?』
『一体私の何が、この現実を作り出したのか?』
『これが、私に伝えていることは何?』
…もちろん、ただ経験すればいいこともあるが…。
でも、結論として、今回私に突きつけられたのは、【無条件の愛】と【赦し】だったと今は思っている。
でも、こんな私なので、もちろん、すぐ、それに思い至ったわけではない。
事件の後、号泣と共に、まず自分を責めた。
(もっと気をつけてやれば、よかった。)
(犬を自由に育てすぎたため凶暴になった。)
(寝坊して、いつもより鳩にエサをやる時間が遅かったせいで、
エサを捜して地面をフラフラしていたから、庭に出た犬に捕まったのでは…。)ナドナド、
考えられる限りの理由を次々思いついて、
ひたすら後悔の涙にくれた。
おまけに、
(自分には傷を治す力もない。)
(もちろん寿命なら助けられないけど、もっと自分の波動が高ければ、
傷の痛みを取り去ってやることもできるだろうに…)云々と、尽きることなく
全くすっかり【自分が、】の【自我モード】に陥った。
悲嘆に暮ながら、それでも何とか救って貰おうとマリアさまに祈ると、
ひとこと、
『大地の女神に返しなさい』と、言われてしまった。
すべもなく、一心に鳩にとっての最善を天に祈ったのだが、
それから数時間で、静かに鳩は息を引き取った。
箱の中で、毛布のような私のウールのガウンに包まれて、
あまり苦しそうな様子もなく、安らかに逝ったのがせめてもの救いだった。
でもまだ、ことの顛末に私は納得することができず、
心底犬を疎ましく思い、何度か叩いて辛くあたった。
犬が悪いわけではないと分かっていても、
犬なんだから仕方がないと分かっていても、そうせずにはいられなかった。
あんなに愛して可愛がって育て、今まで家族として暮らしてきた犬だったというのに…。
そんな自分も嫌でたまらず、すがるように救いを求めてある本を開くと
スピリチャルガイドのことが書いてあるページだった。
それで早速、私のハイアーガイドに、
この件についてガイダンスをもらえるよう、尋ねてみると、
すぐに、次のような返事が返ってきた。
『あの鳩もあなたのことを愛していました。
長い年月ここに住み着き、あなたに親しみを感じ、感謝していました。
だから鳩の魂が寿命を察した時、彼はあなたの側で死ぬことを選択したのです。
彼はここで幸せな時をたくさん過ごしてきました。
どこか別の場所で、それと知られずいつの間にか死んでいくより、
あなたに見取られて、ちゃんとお別れを言って逝きたかったのです。
犬に噛まれたのはそのための手段であり、犬はその役割を果たしたにすぎません。
犬を赦してやりなさい。
鳩のことは、思い出すたび、愛を送ってやりなさい。
彼は今生でのこの係わりによって、次はハヤブサに生まれ変わることになりました。
彼も愛を受け取ることで成長をし、より大いなるものに進化することになったのです。
よりたくましく大空を飛ぶことは、彼の夢でもありました。
この世界でどのように見えたとしても、本当には、失われるものなどないのです。
すべてが、無限なるものの御手の中にあります。
すべてに救いがあり、愛があります。
その3次元に囚われた、曇ったメガネを外すのです。
真実を見なさい。
嘆くかわりに、愛しなさい。』
涙が滂沱のごとく流れた。そして思った。
これは、【赦し】と【無条件の愛】のレッスンであり、
私が未だしっかりと抱えていた、【制限】を示すものだったのだと。
3次元に囚われた目では、物事の真実を捉えることができない。
この2極の世界こそが、【経験】の為造られた限定されたものであり、
ある意味広い宇宙からすれば、特殊な世界なのだ。
それなのに、知識としてそれを知りながら、
普段はそう信じながら、
大きく心が揺さ振られる経験をすると、途端に3次元モードに没入してしまう…。
そんな中でも自己の中心に落ち着き、感情に振り回されずいることの大切さ。
3次元ドラマの恨み憎しみ復讐などに入り込まず、真実の自己を見失わずにいることこそ、
この世界の重い波動の中にあって、【輝く】ということなのだろう。
さて、今回の課題、クリアできたのかどうか…。
答えをガイドさんに教えてもらったから、ダメだったかもね。
ただ、犬に面と向かって心から謝り、【赦す】宣言をした途端に、
世界が軽くなったのには驚いた。
周りが明るくなったというか、心も体も楽になったと言うか…。
これだけでも、
【如何に人は、自分の架した制限によって、多大な荷を負うているか】
ということが、分かる気がする。
鳩が死んで、私は悲しい。
たかが鳩と言われても、私にとっては6年あまり、
毎日を共にしていた、可愛い友だった。
睡蓮鉢の水に、温泉に入るようにとっぷり浸かって、
鳥に似合わずじっとしている姿が、まるで置物の様で、
これぞ正しく【バードバス】と笑ったこととか、
何度失敗しても、どうしても家の軒に巣を作りたくて、
せっせと小枝を運び続けていた間抜けな姿など、
庭に目をやる度思い出し、寂しくて胸が詰まる。
それを手にかけたのが、これまた娘のように思っている犬だと思うと
やっぱり辛い。
でもこの悲しみも辛さも、いつかは薄れて消えていくと私は知っているし、
その感情が消えても、双方を愛してる気持ちは消えないと思う。
そしてこれを通過したお陰で、ますます、自分や自我と言われるものは、
一時の思い込みだと感じるようになった。
肉眼にどう映ろうと、すべては祝福なのだ。