♫まりあ☆の、ちょっぴりスピリチャル♬

自由に楽しく生きるには~🎶

読んだらちょっぴり心が軽くなる、そんなブログで~す(^.^)

本物はさりげない…

2017-07-30 17:46:55 | 日記
数年前、ある講習会に参加した時のこと。

早々に会場についた私。
これから到着される講師の先生、
実物はどんな方なのだろうとワクワクしながら、
目を皿のようにして、
ドアを開けて入ってくる一人ひとりを見つめていた。

ヒーラーらしき人は何人か見たけど、
一向、先生らしき方が現れない。

と、大きなリュックを背負った小柄なおじいさんが…。

(まあ、こんなおじいさんまで参加?!どこか遠くからいらしたのかしらん?…)
と思っていると、

部屋の一番奥の席に荷物を下ろしたその男性、
なんといきなり、着ていたシャツを脱ぎはじめたのだ!

(ひえ~!! このおじいさん頭、大丈夫?!
こんなとこで、裸になってるよ~

と焦る私をしり目に、淡々と、なにやら白いものに着替えられ…。

そう、それは白衣だった…。白衣に着替えたんだったの…。


講師の先生の名前は【福田高規】

エドガー・ケーシーのリーディングに基づく健康法などを、
日本人向けに数多く紹介しておられる。

私は、先生の執筆された、
「エドガー・ケーシーの人類を救う治療法」
を読み、感銘を受けて、講習会に申し込んだのだった。

(なんという不覚

それがその時の私の率直な気持ちだった。

私は一応仕事がら、人と会えば、その人が何者か、だいたいわかる。
…と、その時までは思っていた。

でも先生のことは全然わからなかった。
この目は全くのフ・シ・ア・ナ、だったということだ

先生はパッと見、それぐらいさりげない、フツウの人だった。
むしろ、風景や背景にまぎれ込んでしまうぐらいの、
飾り気のない、
普通よりもずっと地味な感じ。(先生ごめんなさい。)

でも話はじめると、とても若々しくて機敏でチャーミング。

そして会の中で、先生が私にも話しかけて下さった時、
その目を除き込んだ私は、
思わず後ずさりしそうになった。

先生の目の中に、限りない宇宙が見えたから

眼だけど目じゃない。
底が無いというか、果てがないというか…。
限りない慈しみの眼差し

自分などが直接、まみえてはいけないものに会ってしまったかのような、
畏敬の念さえ覚えた。


でもやっぱり街で会ったら、ただの元気なおじいさんにしか見えないと思う。

然るに私は学んだ。

「この人スゴイ!」
と思わせるような人は、まだまだなんだと。

フツウの人より、エネルギーを発してたりするだけということ?!。

武術で言うなら、殺気が出てるみたいなもん。
殺気がムンムンでそれと悟られるようなのはまだまだ修行中。
ほんとの達人は、あまりに自然でその気配すらない…。
そんなものかもしれないなって。

    

本当に大好きな、すばらしい先生です。
お会いできたことに感謝しています。

名古屋の講習会は無くなってしまいましたが、
また機会があれば、ご師事いただきたく思っています。

《本物はさりげない》んだよ








予言者はツライよ?!(**)

2017-07-27 21:20:27 | 日記
先日テレビを見ていたら、ある番組の中で、
〈ノストラダムスの大予言ってあったけど、ウソだったね~〉みたいな内容の後、
彼の肖像らしき若い男の絵が映っていた。

(あら、ノストラダムスってこんなクリクリした目の、可愛らしい顔の人だったかしらん??)

と思った時、

(こんな顔した人だったのなら、
ホントに善意で素直に予言したんだろうなぁ…。
それにしても、後の世に、
人騒がせな偽・予言者だったみたいに、全世界から言われることになろうとは、
彼、思ってもみなかっただろうなぁ~

と、しみじみしたのだった。

彼のヒトとナリが、どういうものだったのか、
実際のところ私にはよくわからないが、
おおよそ予言とは、予言した時点で既に外れる方向に行くものだと思っている

未来って、この時点から見える可能性だもんね。

予知とは今この時点から見えているもの、
このまま進めばこうなる確率が一番大きいものでしかないので、
予言として公言した時点から、
そこに色んな人のエネルギーが関わり始めるため、
まず、初めに予知したとおりにはならないというのが、私の意見だ。

予言者と言われる人々は、
精神的病か、詐欺師でない限り、
見えない世界から、ヴィジョンを受け取った人たちなのだと思うが、
その発信元により、
ガセネタのことだってあるし…。

それこそ世界を救うために、あえて預言を言わされて、
自分は偽せ者の汚名をかぶるパターンもあるよね。
そりゃないよ~のトホホパターンだけど、
それも奉仕と言われてしまえば、それまで。


ジャンヌダルクだって、お告げのとおり働いてフランスを救ったのに、
イギリスに引き渡されて処刑されたんでしょ?!

人間のエゴって怖いね。
でも本物の預言者は死をも厭わない霊性高き人たちなんでしょう。きっと…。

と、ここまで書いてきて、
【予言】と【預言】、
一応使い分けてるんだけど、わかりました??!

とりあえず確かなことは、
私は絶対、予言者でも、預言者でもないってことです~






〈在りのままの自分〉というけど。

2017-07-22 18:33:37 | 日記

〈在りの~🎵ままの~🎵自分になるのお~🎵…〉って、一時流行ったけど、
在りのままの自分で無い状態など、あるのだろうか。

例えば見栄を張ったり、本音で生きてなかったりしたとしても、
そういう自分こそが、今の在りのままの自分なのではないか?

そしてそんな何かと比べて理想?どおりで無くみえる自分を、
否定したり悔んだり…したとして、それで何になるのか。

例えば
どんなにちっぽけだったり、気に入らない自分であっても、
またまたウソに、まみれた自分でも、
まずそれを認めてあげる。
まずそのまま受けとめてあげるとこから、次の〈動き〉が生まれてくる。

それは例えば、
もしそこに辛さや悲しさを見つけたのなら、まずそれを認めてあげるという事。

〈辛いんだね私。悲しいんだね私。〉

そして思い切り泣いたり、慰めてみたりする。

そうすると、それだけでも既に、
自分のオーラに溜まっていた感情のマイナスエネルギーは減っているはず。

するとそこに〈空き〉が生まれ、〈自由〉が生まれ、何らかの新しい〈動き〉が入ってくる。

これが《手放すこと》
いわゆる【浄化】の一つなんだと思う。


少し話がそれたけど、

〈在りのままの自分って、今このままの自分。〉だよね。

どんな自分であっても、この世界に自分という人間は一人だけ。

一人として同じ人はおらず、代われる者がないという奇跡を、
皆、本当にはわかっていないから、
それに感動することもなく、自分を大切に扱うことなく、
粗末な時間の使い方をして人生を終えてしまうのではないか…。

今の自分、今の人生から逃げて、
前世に固執したり、来世に期待したりするのも、
甚だバカげているし。

本当の自分は、聖なる光の存在とか、
地球の進化を助けにきたとかいうのにも、
それが事実かどうか以前に、

みんな初めはそうだから、
だって元々みんな、存在の核になってるのは、
創造主の光なんだから、そんなの当たり前じゃない?!
と言ってあげたい。

そんなことより、
今この自分に向き合うこと無しに、
先に進めることなどないということ、
そんな所にこだわって、とどまってたら、
何度生まれ変わっても同じところを廻りつづけるだけと
言ってあげたい。

〈なぜ今この自分なのか。
 なぜ今この体験を選んでいるのか。
 私は今のこの自分で、この世界に何を創り出したいのか。〉

その方が大事なんじゃない?!



在りのままの自分がいて、在りのままの他人もいる。

でも本当は《ひとつ》。

だけれどすべては私の見ている世界。体験している世界。
様々なものが存在していても、今、肉体を持つ自分が体験できる世界は1つだけ。
だからこそ大切にしたいよね。

そして私が知覚できる世界は、私の見ている世界しかないとも言える。
私から外側に見えている世界。

実態がどうのでなく、他者がどうのでなく、
自分が自分の目で、あるいは自分の〈メガネ〉で見ている世界。

だから世界は変えられる。
曇りを無くして、メガネをはずして…。

そしたらそこに何が見える?!!










さてさて、気が付けばもう半年以上が経ち…

2017-07-21 11:51:41 | 日記
もしかすると、今年初めてのブログ更新です~。

予測不能な展開をみせる天候続きの中、
世間はそろそろ夏休みですね。


そんな中ですが私、
この数か月、ずっと自分の内面をみていた気がします。

日常の様々な出来事に翻弄されながら、
その都度、そこから見えて来るもの、気づかされたことなどを、
手放す作業に追われていた気がします。

それは地味で結構キツイ作業…

それが今朝、
ジージー、シャカシャカ鳴く蝉の声で目覚め、
(本格的夏の到来だなぁ…
と何ということもなくボーっとしていたら、
ふと私の中の何かが、きのうまでと少し変わってる気がしたのでした。

(季節が変わった?!、風向きが変わった?!
と口にするのもおこがましい程の、ほんのささやかな感覚ですが…。


そして、何ということもなく、パソコンに目が行き、

(ブログってどうやって開くんだっけ?!)

と、操作してみたら、
やり方思い出せてログインできたので、
折角だから、ちょっと書いてみようと思ったら、
今年初めてだったというわけでした。

〈手放す作業が終わったわけではない〉

けれど、それをする私の意識のどこかが、
前とは少し変わったということかもしれませんね。

明日は髪をバッサリ切ってくるぞ~の、つもり。