祈りの力。願う、意図する力。
これは誰もが同じだけ持っている。
それが発動されているかいないかだけ。
人によって発動の割合に違いもあるけど、
自分の中に重い波動がないほど、
スムーズにそれは展開される。
『祈ったけれど、願ったけれど叶わなかった。』
これもよく聞く言葉。
かく言うわたしも往々にしてそんな経験あり。
そういう場合の理由はいろいろだけど、
たしかなことは、
祈りとして放ったエネルギーは、
必ずどこかに存在していてるってこと。
自分の願ったとおりの形として、
この世にあらわれてなかったとしても。
たとえば、大切な人の病気が治るように祈る。
祈った。
(でも良くならなかったじゃないか、
やっぱり無駄なことだった、神さまなんていない、
助けなんて来ない…)
ってなるのは短絡的。
その人がこの人生で何を体験すると決めているのか。
それは病気になることかもしれない。し、
治らないことかもしれない。
もちろん本人も自覚はないだろうけど、
魂は知っている。なにが最善か。
では魂の計画は絶対なのか?
この病は治らないのか??
否。
わたしはそんなこともないと思っている。
そこで祈りが効いてくる。
祈りはその人のところに届く光の玉のようなものだ。
エネルギーのかたまり。
それをどう使うかは受け取った側次第。
お手紙のようなものともいえる。
嘆願書?!署名?
たくさんの、
『どうか元気になりますように。』
や、『治りますように』が届いたら、
魂も予定を変更するかもしれない。
(こんなに祈られてるんだからね、
考慮するかなぁ…)なんてね。
他人に対してもだけど、
もちろん自分にも祈った方がいい。
『もっと幸せになりますように。』
『安心安全にくらせますように。』などなど。
なんでもアリよ。
祈らなければ、
意図しなければ、
無。
自分の意志はなしということ。
海の藻屑でいいですわたしはって感じ??
『自分の魂にすべてお任せします。』
っていうもの、
意志表明だからね。祈りです。
祈ったらあれこれ考えないのが鉄則。
自分の想念が折角の祈りをぱあにしないように。
あ、祈った後に【ありがとうございます】
忘れないでね。これセットだから。