♫まりあ☆の、ちょっぴりスピリチャル♬

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今日一番怖かったこと。

2010-04-29 17:10:22 | 日記
今日一番怖かったこと。

それは、イオンに買い物に行き、
階段を降りようとしたら、
いきなり両脇のブザーが鳴り出し、
警備のおじさんがやって来たこと


ことの経緯は、次のようなものだ。

2階の服売り場を、フラリと見てまわり、
1階へ下りようと、階段に向かって歩いていた時、
ふと、
【2階の買い物は、2階で支払いを済ませて下さい】
というような内容の、看板が目に入ったけど、
何も手にしていなかったので、
そのまま階段に足を踏み入れた。
途端、
突如として、ブーブーと警報音が鳴り出したというもの。

あたりには、私の他に、誰も人はいなかった…。と思う。

(私のせい?!  なんで?!)

すぐにブザーを聞きつけて、下から警備員さんが走ってきたけど、
何のヤマシイこともない私は、そのままそ知らぬ顔でその場を離れた。

でも、内心すごくドキドキして、思わず自分のカバンの中をゴソゴソ確かめた。

(確かに、私の持ち物以外何もない。ああよかった!)

だって誰かに、未払いの商品を、こっそりカバンに入れられることも、
ないとは言えないもんね…。

何も入ってなかったから良かったけど、
万が一にも、絶対、そういうタチの悪い悪戯はやめて欲しいと思う…。

だって、もし物があったら、自分がやったんじゃなくても、
申し開きできないじゃん!コワ~

でも、実は、それよりもっと怖いと思ったのは、
悪意ある【想念】によって、
もし商品がカバンに入っていたら…という可能性だった。

(得たいの知れないものの、悪意によって…?!)

この場合も、もちろん申し開きできない。

「これは、私がまんびきした物じゃなくて、
勝手にカバンに入っていた物なんです。
【想念の物質化】か、【物体移動】なんです
と話したところで、
下手な言い訳か
いいとこ、キチガイと見なされるだけだろう。

でも、実際、そういうことも起こり得ると、
今までの体験上、知っている私は、
フツウでない、非常な恐ろしさを感じたわけであった…。
考えすぎ?! そうとも言うねぇ。

それ以外にも、もしかすると、
(私が通った時、もしブザーが誤作動したらイヤだな)と一瞬思った、
その想念が、現実化したという可能性も考えられ、
それもやっぱり困る。


まあ、真相はわからないけど、
ともかく当分イオンには行きたくない感じ…。
ブーブー音はご免だからね。


昔から、店舗の自動ドアが開かないことはしょっ中で、
身の回りの電化製品が、私が使う時だけ壊れることも良くあり、
本当に電気機械系は嫌いだ。

今日のブザーもそんな事例の一つかもしれないけど、
下手すりゃ、それで、泥棒扱いかと思うと、とっても怖い体験だった。

あ~あ。









偽りの霊性

2010-04-12 11:20:29 | 日記
偽りの霊性ほど、見分け難いものも、ないかもしれない。
偽の聖者というか…。

自分でそれに、成り済ましている自覚がある場合は、
詐欺師みたいなものだから、分かりやすくていいのだが、
自分は霊性が高くて、世界や人類のために尽くしていると思い込んでいる場合などは、
とてもやっかいだ。

自分では良いことをしているつもりだから、人にも薦めるし、
迷うことなく断言するから、カリスマ性も発揮する。

優柔不断な人や、自分に自信がない人が、それに簡単に惹きつけられてしまうのも道理だ。
頭のどこかで、(またはハートが、)何かの不協和音を訴えても、
自分の修行が足りないせいだなどと思い、直感を退けて従ったりしてしまう。


私の思う、偽聖者の特徴の1つに、
<耳障りのいい美辞麗句を口にしながら、実際の行動がそれに伴っていない>というものがある。

たとえば、世界平和をうたっていながら、家族や隣人とは折り合いが悪かったり、
街の清掃活動には参加しても、自宅の手伝いや掃除はしなかったりなどなど。


そういえば、昔、あるワークショップに参加した時のこと。
全員で輪になって瞑想していた途中で、ふと目を開けてしまった私。
目の前の床の間に(会場は和室だった)、その会の中心人物が坐っているのが見えてしまった。
いつの間に、輪から抜けたのか、
何故そんなところにいるのかも分からなかったけど、
何だかとても、嫌な感じがした。

すべての人の【同等】を説きながら、自分だけ、一段高い【床の間】に坐っているとは、どういうことだろう…?
そもそも床の間は、【ご先祖が坐られる場所】と聞く、言わずと知れた、上座である。
一体どういうツモリ…?!

またその人は、【自由意志の尊重】を唱えながら、
実際には、
自分の勧めに反する、意志選択をする人に対しては、
グループの他の人達に、
それが霊性の低さ故の、愚かな選択のように印象付ける言動を、繰り返した。


今まで、そんな人をたくさん見て来た。
何かが、おかしい…。

ある時には、
「私はもう、一般庶民は相手にしないわ!
一般人に何したって、大して世界が変わるわけじゃないし、
そんなの時間の無駄よ。
これからは世界に影響を与える、ビップな人達の個人セッションしか、しないことにするわ!」

と公言したおばちゃんにも、遭遇した。

そのチャネラーは、30分30000円のセッション代をとりながら、
最後まで、チャネリングをせず、ただ、世間話だけして私のセッションを終えた。

当時の私は、チャネリングに対する期待が大きかっただけに、もの凄く落胆。
動きもノロノロと、帰り支度をしていたために、
そのおばちゃんがセッション後、スタッフとしていた内輪話を耳にするはめになり、
2重のショックを受けたのだった。

さんざんな体験だったが、その会場でセッション前に、
その人が、数年前に出した本を買ってしまっていたので、
家に帰ってから一応読んでみたが、
それには最もらしいことが書いてあり、
まさか、あんなことを口にする人のものとは思えなかった。


然るに、これは私の推測だが、
誰もが最初は、高い志や、真摯な愛や光を求めてこの道に入り、
霊性の向上?を求めて歩んでいくのだけれど、
進んでいくうち、その道には巧妙な落とし穴や分かれ道がたくさん出てきて、
悪気なく、それにハマってしまうことが多いのではないか…。

問題なのは、進んでいるつもりが、実は逆行していることに、中々自分では気づけないことだ。

そんなのを見かけるたびに、私の心は悲しくなった。

(何故あの人が?何故あの人も?!その道を選ぶのか…。)
(ああ、あの人も、そっちに行ってしまうのか…。)

それも、私の驕りだったのかもしれないが、
そんな風にして、何人かの、大切だった人を見送った。


体験しなければ、分からないこともある。
たとえ私には、その道が闇へと続くものに見えても、
その人にとっては、それがマチガイではないのだろう。
いったん縁が切れてしまっても、魂は永遠だから、
またいつか、一緒になることもあるだろうし…。

その時はきっと笑い合うんだよね、
あの時は怖いもの見たさで、あなた、あっちの方へ行ったよね…なんてね。


だいたいこの私だって、今だって、どんなものだか知れたもんではない。

(知らぬ間に、怪しい方向へ行っていたらどうしよう!・)というのが、
私が、常に、最も恐れていることかもしれない。

だって本当に自分では、道がそれているって分かりずらいのよ~。
でもそれをやってしまうと、後々大変なのよ~。


先週の常陸行きも、私としては反省しているところもある。

私は、氏神さまに言われて彼の地に出かけた。
神さまに言われると、なかなか断りづらいこともあり、
結局、私でお役に立つならと承知するのが常なのだが、
それが、私の魂の道なのかというと、疑問が残る。

私は神も人も、虫も木も、すべてのものが基本、【同等】だと思っている。

だから、本来はどんな高貴な神からの依頼であっても、
自分の魂が望まないことは、しなくてよいはずだ。
そして、魂が望んでいるかどうかは、感覚である程度わかる。

心が弾んでいるか?楽しいか、【理由なき絶対】=【選択の余地がない】 の感覚があるか?などなど。

それが現実には、断ると体の具合が悪くなるからとか、
よくない事が起こるかも?などの恐れから、従っている部分もあったりする。
(実際そういうこともあったし。)

真の部分では如何に同等とはいえ、人間と神では、持っているパワーが違うので、
太刀打ちできない事実?もあるわけなのだ。


誰でもだけど、魂に背く行為をすると、魂が磨り減る。(←と私は思う。)
生命力が弱る?ので疲れる。不満ばかりが残る。無気力になったりもする。

愛からでない行為は、たとえ見た目には良い行いだったとしても、
本当には、どれほどのものなのだろう…。
自然に無理なくできることでなければ、それは【偽善】に属し、
ひいては自らの霊性?を貶めることになるのではないか…。


などなど、
自分で気づかぬうちに、私にとっての間違った方向へ行っていたのではないかと
考えてしまった。


と、ここまできて突然、今日書いたことがどうでもイイことに思えてきた。
いつものコトながら、全くいい加減な私。

朝から雨だから、気分が鬱なだけだったかも。すみませんね。














ただいま。

2010-04-10 13:22:40 | 日記
4月4日に水戸入りした。
5日に常陸大宮と大洗に行ってきた。

2日間とも、ずっと雨。まるで雨雲の中に閉じ込められているかのような、
しとしとしとしと続き。
傘をさしているのに拘らず、気がつくと服もカバンもびしょ濡れ。
おまけに寒い!!
冷たい北風に桜も、絶対咲くまいと蕾を固く閉ざしてる様子。
東京までは、満開だったのにね。


昼過ぎに到着した水戸では、水戸だけに水なのかなぁと思いながら、
2時間ばかり街を歩き回るはめになったし…。


翌日の常陸大宮は、私の感じた限りでは、凄い状態で…。
とりあえずやれるコトだけやって、早々退散。
その後、文字どおり大洗で、テレビの台風中継で見るような大波に洗われて?ようやく家に帰りつけた。

いや~、いつもとはまた違う感じに、どっぷり疲れました…。
歩き回った肉体的疲れや、
乗り換え電車の時刻に追われる(乗り遅れると2時間待ちになることも…)精神的疲れもさることながら、
言いようのないこの重さ。
上手く喩えられないなあ…。

内と外は繋がってるので、もちろん私の内にあった何かが浄化された余波なんだろうけど、
ここ数日は、
【(もう生きてなくてもいいよなぁ。十分生きたよなぁ。)症候群】になっていた。
理由はないの。ただそう思うので、感情解放の一つだったのだと考えられる…?。

そしてきのう辺りから、やっとその状態を抜けてきた感じ。


人は真に自分の内に神(無限なるもの。光。輝き。)を見出し、それと【一つ】にならない限り、
本当に幸せには、ならないんだそうだ。
確かにそう思う、前よりそう思う、ということは、一歩前進したということなのかな…?!


それにしても常陸は遠すぎる。
現世的な自我ちゃんは何度も思った。
(わざわざ新幹線に乗って、宿泊までして、そんなわけもわからん場所に、
目的もわからんと行くなんて、バカじゃないの?!)

土地神様はお礼を言って下さったし、神様たちにも色々段取りや予定があるのだろうけど、
関東にはたくさんヒーラーもいることだろうし、
近くの方に行っていただくことは、できなかったのかしらん…としみじみ思うわけでした。








常陸大宮

2010-04-03 23:43:21 | 日記
 『4月5日に、(今度こそ)常陸大宮へ行きなさい。』

と例によってまた、氏神さまに言われてしまった。

 『帰りには必ず、大洗に寄ってから帰りなさい。』

とも、言われてしまった。


かくして再び、常陸の国を訪ねることにあいなった。


今回は、【行ったらわかる】…らしい、出たとこ勝負の旅。

ヤマトタケルノミコトのお供をする旅になるのだろう…。か?


ともかく行ってきます。