ここまで、
何だかんだ書いてきたけれど…。
私が最近高次元のマスター達から言われたことは、
【深刻になりすぎないように】
ということだ。
『物事を憂うのをやめなさい。
すべては神(創造主)の采配です。
そこに完全が顕われているのを見なさい。
最終的にはすべてが祝福です。』
これらは、私の【自我の癖】の一つである、
【悲観するのが好き】という所を、
たしなめられたものだと思われる。
私は未だ、
小さな自己である【自我】と、
本当の私である【魂】の間を、
行ったりきたりして生きている。
それらを【ひとくくり】にする、
【兆し】が見えた辺りを、
現在進行中らしい。
私たちは一般的に、
人間であるうち、
肉体に宿る存在であるうちは、
結局、限定された世界でしか、
生きることはできない。
例えば、大切な人が病で苦しんでいたとする。
そのあまりの苦しみを、
どんなに見るに見かねたとしても、
その人に成り代わって、
自分が病を、
引き受けてあげることはできない。
そして、そのまた逆も然りである。
私たちは、
自分と、
自分の手の届く範囲の小さな世界を、
懸命に生きる他ないのである。
また、
私たちが、
【私たちは、ひとつ。】と言う時、
それは、
私達ひとりひとりが、
ひとつの大きな体の、
1細胞だということに他ならない。
その体とは、【日本人】
という体かもしれないし、
【地球人】あるいは、【人類】
という体かもしれない。
自分が今、
例えば右手の親指の細胞だったとして、
体が腹痛を起していたとしたら、
当然、自分にはその痛みはわからない。
なぜなら、
自分はお腹じゃないから。
それが、限定された世界に物理的に生きているということだ。
でも全体を見た時には、
自分は
一つの体の一つの構成要素なわけだから、
お腹が壊れていれば、
親指だって、
絶対何らかの影響を受けている。
もし、
お腹の痛い時に、親指までケガしたら、
2重に別の痛みを感じるだろうし、
そうなれば、その分体も余計に弱る。
また反対に、
親指が健全であり、
他の指と協力して、
お腹の薬をつまんで口に飲み込ませるなら、
腹痛は、少しは早く治るかもしれない。
他人とみえているものは、
実は他人ではなく、
他の細胞の一つと考え、
その働きや役割は、
本人でさえ、
自覚できていないことが殆どなのだと思うと
理解し易いかと思う。
そして、その体の主であるのは、
【創造主】と呼ばれるもの。
すべてを把握し、
すべてを的確に動かしている、
計り知れないほど広大で、
【絶対なる愛】のエネルギー。
【生命】でもあるもの。
『あなたに、【命】は見えますか…?』
☆
話は変わるが、
人間として地上に生れるということは、
【経験する】
ということだと考える。
この世界は、
【善悪】、【光と影】などの、
【2極性が絶対ルール】の世界なので、
それでしか、全てが存在しない。
(少なくとも今までは…)
だから、【陰陽】(喜び、悲しみなど)
両方を経験する。
両方の経験をするために、
【ここに来た】ともいえる。
魂にとっては、
【経験値】こそが【宝】なのかもしれない。
だから、最初に書いたように、
【すべては良し】なのであり、
本当は、ここに書くべきことも、
特にないと言える。
みんな、自分の目の前にあることに、
真摯に向かい合っていくことこそが、
宇宙の、神の、細胞の一つである自分を、
生かすことなのだと思う。
☆
わたしたちは皆、
【創造主との合一】に向かう旅の途中にいる。
霊性の高さ云々ということも書いたが、
それは、その道のどこに、
今自分がいるかということだけで、
先に進んでいるから偉いわけでもなければ、
歩み始めたたばかりだから、
劣っているわけでもない。
大きな視点からみれば、
皆、自分に合った速さで、
丁度のところを歩んでいるだけなのだ。
ただ、少しばかり先に進んでいるものは、
自分が苦労したところや、
場合によっては、
その道の、
大変さがわかるばかりに、
何とかしてあげたいと思うこともあるわけで…、
…だがそれも、
実は、なんともならない。
誰もが、自分の足で歩くしかないから。
『【救済】はならず。』
なのだ。
できることは、
(どのような高次の存在でさえも、)
【支援】だけなのだ。
☆
わたしたちは、皆【神の子】だ。
誰でもひとり残らず、
創造主と同じ【神の光】を、
自分の内に宿している。
その【強さ】を、
その絶対なる【愛】のエネルギーを、
私は信じたい。
そしてみんな、
それぞれが思うように、生きてほしいと願う。
☆
私がブログを書くのは、これでおしまいだ。
読んでくれた人に感謝。
大いなる祝福が、あなたにありますように。
またご縁があれば、お会いしましょう。
※ 最後に【つけたし】…
私はちまたで言うところの【スピリチャル】に、
全く興味がない。
しいて、スピリチャルを、
私なりに定義するなら、
それは、
【人間として、まっとうに生きること】で、
そういう風に生きている人のことを、
真にスピリチャルな人という。
サイキック(霊能力など)は、
スピリチャルであるという、
指針にはならない。
浮ついたスピリチャルは何の役にも立たず、
かえって、
自分の成長を妨げる罠にもなりうる。
そういう才を与えられている人は、
よくよく、注意してほしい。
普通より、大きな落とし穴のある道を、
自分は行くのだと。
何だかんだ書いてきたけれど…。
私が最近高次元のマスター達から言われたことは、
【深刻になりすぎないように】
ということだ。
『物事を憂うのをやめなさい。
すべては神(創造主)の采配です。
そこに完全が顕われているのを見なさい。
最終的にはすべてが祝福です。』
これらは、私の【自我の癖】の一つである、
【悲観するのが好き】という所を、
たしなめられたものだと思われる。
私は未だ、
小さな自己である【自我】と、
本当の私である【魂】の間を、
行ったりきたりして生きている。
それらを【ひとくくり】にする、
【兆し】が見えた辺りを、
現在進行中らしい。
私たちは一般的に、
人間であるうち、
肉体に宿る存在であるうちは、
結局、限定された世界でしか、
生きることはできない。
例えば、大切な人が病で苦しんでいたとする。
そのあまりの苦しみを、
どんなに見るに見かねたとしても、
その人に成り代わって、
自分が病を、
引き受けてあげることはできない。
そして、そのまた逆も然りである。
私たちは、
自分と、
自分の手の届く範囲の小さな世界を、
懸命に生きる他ないのである。
また、
私たちが、
【私たちは、ひとつ。】と言う時、
それは、
私達ひとりひとりが、
ひとつの大きな体の、
1細胞だということに他ならない。
その体とは、【日本人】
という体かもしれないし、
【地球人】あるいは、【人類】
という体かもしれない。
自分が今、
例えば右手の親指の細胞だったとして、
体が腹痛を起していたとしたら、
当然、自分にはその痛みはわからない。
なぜなら、
自分はお腹じゃないから。
それが、限定された世界に物理的に生きているということだ。
でも全体を見た時には、
自分は
一つの体の一つの構成要素なわけだから、
お腹が壊れていれば、
親指だって、
絶対何らかの影響を受けている。
もし、
お腹の痛い時に、親指までケガしたら、
2重に別の痛みを感じるだろうし、
そうなれば、その分体も余計に弱る。
また反対に、
親指が健全であり、
他の指と協力して、
お腹の薬をつまんで口に飲み込ませるなら、
腹痛は、少しは早く治るかもしれない。
他人とみえているものは、
実は他人ではなく、
他の細胞の一つと考え、
その働きや役割は、
本人でさえ、
自覚できていないことが殆どなのだと思うと
理解し易いかと思う。
そして、その体の主であるのは、
【創造主】と呼ばれるもの。
すべてを把握し、
すべてを的確に動かしている、
計り知れないほど広大で、
【絶対なる愛】のエネルギー。
【生命】でもあるもの。
『あなたに、【命】は見えますか…?』
☆
話は変わるが、
人間として地上に生れるということは、
【経験する】
ということだと考える。
この世界は、
【善悪】、【光と影】などの、
【2極性が絶対ルール】の世界なので、
それでしか、全てが存在しない。
(少なくとも今までは…)
だから、【陰陽】(喜び、悲しみなど)
両方を経験する。
両方の経験をするために、
【ここに来た】ともいえる。
魂にとっては、
【経験値】こそが【宝】なのかもしれない。
だから、最初に書いたように、
【すべては良し】なのであり、
本当は、ここに書くべきことも、
特にないと言える。
みんな、自分の目の前にあることに、
真摯に向かい合っていくことこそが、
宇宙の、神の、細胞の一つである自分を、
生かすことなのだと思う。
☆
わたしたちは皆、
【創造主との合一】に向かう旅の途中にいる。
霊性の高さ云々ということも書いたが、
それは、その道のどこに、
今自分がいるかということだけで、
先に進んでいるから偉いわけでもなければ、
歩み始めたたばかりだから、
劣っているわけでもない。
大きな視点からみれば、
皆、自分に合った速さで、
丁度のところを歩んでいるだけなのだ。
ただ、少しばかり先に進んでいるものは、
自分が苦労したところや、
場合によっては、
その道の、
大変さがわかるばかりに、
何とかしてあげたいと思うこともあるわけで…、
…だがそれも、
実は、なんともならない。
誰もが、自分の足で歩くしかないから。
『【救済】はならず。』
なのだ。
できることは、
(どのような高次の存在でさえも、)
【支援】だけなのだ。
☆
わたしたちは、皆【神の子】だ。
誰でもひとり残らず、
創造主と同じ【神の光】を、
自分の内に宿している。
その【強さ】を、
その絶対なる【愛】のエネルギーを、
私は信じたい。
そしてみんな、
それぞれが思うように、生きてほしいと願う。
☆
私がブログを書くのは、これでおしまいだ。
読んでくれた人に感謝。
大いなる祝福が、あなたにありますように。
またご縁があれば、お会いしましょう。
※ 最後に【つけたし】…
私はちまたで言うところの【スピリチャル】に、
全く興味がない。
しいて、スピリチャルを、
私なりに定義するなら、
それは、
【人間として、まっとうに生きること】で、
そういう風に生きている人のことを、
真にスピリチャルな人という。
サイキック(霊能力など)は、
スピリチャルであるという、
指針にはならない。
浮ついたスピリチャルは何の役にも立たず、
かえって、
自分の成長を妨げる罠にもなりうる。
そういう才を与えられている人は、
よくよく、注意してほしい。
普通より、大きな落とし穴のある道を、
自分は行くのだと。