序破急

片足棺桶に突っ込みながら劇団芝居屋を主宰している爺です。
主に芝居、時々暮らしの中の出来事を書きます。

屈託のある生活

2014-09-26 16:39:26 | 日記・エッセイ・コラム
東京の母を送って三ヶ月、実母を送って一か月になります。




妻もそうだったでしょうが、この三年ほど救急車のサイレンが聞こえる度にギクッとしたものです、その対象が東京の母ではないかと。




その度ごとに私の脳裏には故郷の母の事が浮かびました。




また家電が鳴る度に、胸の奥の方がサワサワとしたものです。




でも二人の母を送ってからはそういう屈託はなくなりました。




ええ、きれいさっぱりです。




というより、ぽっかりと穴が開いて風が通り過ぎる様な、スカスカな感じがしています。




そうなんですね。




二人の母が存命中は、いつか来る別れの前に何とかこれをしよう、ああしなければならないという、切羽詰まった感覚があったものです。




それが私達夫婦のそれぞれの張りで有ったように思うんです。




それが生活のいい意味での緊張感として働いて居た様に思うんです。




そしてその屈託が私達と母達とを結びつける赤い糸だったのだと、今は思います。




でもその屈託も今は消えてしまいました。




本当にスカスカなんです。




なんだかどうでもいい様な気がしています。




でもそんな事は言っていられません、生きてるんですから。




新しい屈託をみつけて、これから屈託のある生活を楽しもうと思います。




私には劇団芝居屋があり、芝居があるのですから。













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