神はご自分に苦しみをもたらす人々を歓迎し、助けることを約束されます。
詩編 42:2-12 新共同訳
[2] 涸れた谷に鹿が水を求めるように 神よ、わたしの魂はあなたを求める。 [3] 神に、命の神に、わたしの魂は渇く。 いつ御前に出て 神の御顔を仰ぐことができるのか。 [4] 昼も夜も、わたしの糧は涙ばかり。 人は絶え間なく言う 「お前の神はどこにいる」と。 [5] わたしは魂を注ぎ出し、思い起こす 喜び歌い感謝をささげる声の中を 祭りに集う人の群れと共に進み 神の家に入り、ひれ伏したことを。 [6] なぜうなだれるのか、わたしの魂よ なぜ呻くのか。 神を待ち望め。 わたしはなお、告白しよう 「御顔こそ、わたしの救い」と。 [7] わたしの神よ。 わたしの魂はうなだれて、あなたを思い起こす。 ヨルダンの地から、ヘルモンとミザルの山から [8] あなたの注ぐ激流のとどろきにこたえて 深淵は深淵に呼ばわり 砕け散るあなたの波はわたしを越えて行く。 [9] 昼、主は命じて慈しみをわたしに送り 夜、主の歌がわたしと共にある わたしの命の神への祈りが。 [10] わたしの岩、わたしの神に言おう。 「なぜ、わたしをお忘れになったのか。 なぜ、わたしは敵に虐げられ 嘆きつつ歩くのか。」 [11] わたしを苦しめる者はわたしの骨を砕き 絶え間なく嘲って言う 「お前の神はどこにいる」と。 [12] なぜうなだれるのか、わたしの魂よ なぜ呻くのか。 神を待ち望め。 わたしはなお、告白しよう 「御顔こそ、わたしの救い」と。 わたしの神よ。
詩編 43:1-5 新共同訳
[1] 神よ、あなたの裁きを望みます。 わたしに代わって争ってください。 あなたの慈しみを知らぬ民、欺く者 よこしまな者から救ってください。 [2] あなたはわたしの神、わたしの砦。 なぜ、わたしを見放されたのか。 なぜ、わたしは敵に虐げられ 嘆きつつ行き来するのか。 [3] あなたの光とまことを遣わしてください。 彼らはわたしを導き 聖なる山、あなたのいますところに わたしを伴ってくれるでしょう。 [4] 神の祭壇にわたしは近づき わたしの神を喜び祝い 琴を奏でて感謝の歌をうたいます。 神よ、わたしの神よ。 [5] なぜうなだれるのか、わたしの魂よ なぜ呻くのか。 神を待ち望め。 わたしはなお、告白しよう 「御顔こそ、わたしの救い」と。 わたしの神よ。
嘆きは悲しみや不平の表現です。 詩編の約 3 分の 1 がこのカテゴリーに当てはまり、神がご自分の子供たちからのこの種の祈りを歓迎していることがわかります。 実際、それらは賛美、崇拝、告白、とりなしと同じように、主とのコミュニケーションに不可欠な要素です。 私たちの叫びは痛み、怒り、混乱に満ちているかもしれませんが、私たちを造られた方は、私たちの乱雑で濾過されていない言葉や感情に驚いたり、腹を立てたりはしません。
多くの学者は、詩篇 42 篇と 43 篇はかつては単一の歌だったと信じています。 この 2 章では、嘆きの言葉が 3 回繰り返されるリフレインに散りばめられています。 そしてなぜあなたは私の中で落ち着かないのですか? 「神よ、待ってください。わたしは再び神の御臨在の助けを讃美しますから」(詩42:5、詩42:11、詩43:5)。
詩編作者は、自分の境遇を痛切に現実に語った後、繰り返しの合唱を加えて神の真理を私たちの心に説き、神に希望を抱くよう励ましています。 これは、私たちが自分の状況を正直に主に伝えることができること、そして最も暗い日々であっても、主を信頼することが私たちができる選択であることを思い出させてくれます。