共に神に従う
他の信者と一緒に歩むことで、強さ、励まし、成長が得られます。
マタイによる福音書 18:20 新共同訳
[20] 二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」
創世記 2:18 新共同訳
[18] 主なる神は言われた。 「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」
ガラテヤの信徒への手紙 6:2 新共同訳
[2] 互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。
ヘブライ人への手紙 10:25 新共同訳
[25] ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、ますます励まし合おうではありませんか。
使徒言行録 2:42 新共同訳
[42] 彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。
イエスに従うことは、個人的かつ集団的な活動です。そうです、神は私たち一人一人を愛しておられ、私たちは個人として神の呼びかけに耳を傾けます。ですから、昨日見たように、神と二人きりになる時間を作る必要があります。同時に、「人が独りでいるのは良くない」(創世記 2:18)という言葉は結婚生活以外にも当てはまることを覚えておく必要があります。私たちは同じように呼びかけられた人々と共にイエスに従わなければなりません。
この共同生活への呼びかけは、新約聖書の至る所で繰り返されています。「互いに重荷を担い合いなさい。そうすれば、キリストの律法を全うすることになるのです」(ガラテヤ6:2)とパウロはガラテヤ人への手紙に書いています。ヘブル人への手紙の著者は、特に困難な時期には、互いに励まし合うために集まることを勧めています(ヘブル10:25)。そして今日の聖句で、イエスは「2人か3人が彼の名において集まっている」だけでも、そこにいるだろうと私たちに思い出させてくださっています。これらの例はすべて、聖書で通常「交わり」と訳されるギリシャ語のコイノニアに言及しています。これは、教会創設時の健全なキリスト教共同体を表すルカの言葉でした(使徒2:42)。私たちは、神と仲間の信者たちとの、このような豊かに階層化された弟子としての生き方のために造られています。
気を散らすものに満ちた世界において、孤独はキリスト教の不可欠な訓練です。しかし、交わりという精神的な訓練も同様に重要です。主の兄弟姉妹と集まるとき、神が約束された喜びと存在を見出すことができるのです。