愛猫とシエスタ(午睡)

猫ブログ(時々)から備忘録ブログへ 
気になったこと等を綴っています
コメント欄は「事前承認」です

Dr.肥沼信次

2024-07-17 21:00:00 | 備忘録

肥沼信次医師のことを初めて知った

東西冷戦の象徴である「ベルリンの壁」の弊害で

43年間も、肥沼医師のことを知る術がなかった

 

1937年 ドイツに渡る

1944年 ベルリン大学(現フンボルト大学ベルリン)教授

1944年 「ナチス医師同盟」加入拒否署名

↳日本人としての矜持を貫く

帰国命令が出ていたにも関わらず、患者の治療にあたる

1946年3月8日 自らも発疹チフスに感染 永眠 享年37

 

日本の家族は、肥沼医師の消息を探す

1960年 赤十字経由で死亡診断書が家族に届く

その後、東西冷戦のためドイツから一切の情報を得られず

 

肥沼医師が亡くなり43年後の1989年、ベルリンの壁崩壊

新聞記事(尋ね人)をきっかけに、動き始める

 

 

ドイツで治療に命ささげた日本人医師 終戦直後、今も人々の心に | 共同通信

第2次大戦直後の混乱期のドイツ。肥沼信次(こえぬま・のぶつぐ)医師は感染症の発疹チフス患者の治療に全...

共同通信

 

 

「桜がみたい」最期の言葉だったとのこと

2023年6月 八重桜の苗木が肥沼医師が眠る墓地に植樹される

 


 

Wrizenは、ベルリンから北東へ約70キロ

いつか機会があれば、行ってみたい

 

ベルリンへは直行便がないので…

NRT⇒FRA⇒バスでデュッセルドルフへ移動1泊

翌日、ICEでベルリン

 

地下鉄に乗ると、東西の差がくっきりわかる

チェックポイントチャーリーでも、ソ連VSアメリカ

 

ベルリンの壁 フェンスで囲われていた

ニーダーキルシェナー・シュトラッセ

 

ベルリン 通称:虫歯協会

戦争の爪痕

 

ベルリンはサッカーの試合が開催されていて…

ホテルの予約に苦労…ベルリン観光局の人に

へっぽこ英語のメール送信、相談して取れた(;^_^A

 

ポツダム会議場

ツェツィーリエンホフ宮殿(左側はホテル)

 


 

ぷち墓マイラー、能天気にオーストリアへ

楽聖A32(ウィーン中央墓地)、モーツァルト(マルクス墓地)

モーツァルトの父、妻(ザルツブルク、三位一体教会)

 

お花見(八重桜)でバンクーバーUBC(ブリティッシュコロンビア大学)

【新渡戸記念庭園】「われ太平洋の橋とならん」

 

旅行は、歴史を尋ねるものでもあると思う…



最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。