新横浜 占いの真龍堂

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神社めぐり 1897 伯耆国の一ノ宮 倭文神社

2022-02-16 05:35:02 | 占い
新横浜 占いの真龍堂です

山陰本線(特急停車駅)沿線の神社を巡ります


今回は 倭文神社 です

御祭神

建葉槌命
下照姫命

倭文神社の主祭神は近年まで下照姫命とされていました。
下照姫命は大国主命の娘として生まれました。農業や医療の技術に長けており、
大国主命と力を合わせて出雲の国づくりに励みました。
そんなおり、天照大神は天稚彦という神を遣わし出雲の国譲りを要求しました。
ところが天稚彦は下照姫命と恋に落ち、復命することはありませんでした。
しかし下照姫命と天稚彦との幸せな日々は続かず、
天稚彦は天照大神から遣わされたキジを射殺したことが原因で、
天照大神により射殺されてしまいました。
下照姫命は夫の死、国譲りによる出雲との別離などを乗り越え、
一匹の海亀によりここ伯耆国宇野の海岸に導かれました。
そのまま現社地に住を定め、当地で死去するまで安産の指導、農業開発、
医療普及等に努めたとされています。氏子である宮内に住む人々は
下照姫命の従者の祖先だとされており、さらに周辺にある亀石、宮戸弁天、
出雲山といった場所は縁の深い地である、とされております。

安産の神として崇敬されている当神社は、伯耆国の一ノ宮です。
創立年代は不詳ですが、社伝によれば大国主命の娘の下照姫命が
出雲から海路御着船、従者と共に現社地に住居を定め、
当地で死去されるまで、安産の指導に努力され、
農業開発、医薬の普及にも尽くされたといわれています。

創立当時、当地方の主産業が倭文(しづおり)の織物であったので、
倭文部の祖神建葉槌命に当地と関係の深い下照姫命を加えて祭神としたもので、
他の五柱の神は大国主命の御子神か関係の深い神々です。
平安時代、延喜式神名帳(西暦922年)には、当神社の名が見え、
神階は度々昇進し天慶3年には正三位にまで進んでいます。
また勅額とされる古額が現存し、そちらには正一位伯州一ノ宮大明神と刻まれています。

往古の社殿広大で、千石の朱印地を有したと伝えられるが
戦国時代に荒廃。天文二三年(西暦1554年)尼子春久により社殿を造営、
神領七十石寄進。後、神領中絶したが、
元亀元年(西暦1570年)羽衣石城主南条宗勝これを復旧しました。
徳川時代は池田藩主の祈願所となり、明治以降は県社であったが、
昭和14年に国幣小社となりました。また、当神社に対する安産信仰は古来からのもので、
数々の霊験が伝えられており本県は勿論県外にもご神徳が及び、
戌の日には安産祈願の参詣者で社頭は賑わいをみせています。


◇所在地

鳥取県東伯郡湯梨浜町大字宮内754

◇交通アクセス(最寄りの駅)

山陰本線 倉吉駅

< 倭文神社 ホームページより >
http://www.sidorijinja.com/index.html




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