新横浜 占いの真龍堂

占いは苦手と思う方も悩んだら是非一度お越しください
占術をツールとしたカウンセリングルームです

神社めぐり 1940 倉賀野神社

2022-04-10 22:55:08 | 占い
新横浜 占いの真龍堂です

中山道 沿線の神社を巡ります


今回は 倉賀野神社 です

御祭神

大国魂大神(おおくにたまのおおかみ)

今から二千年の昔、第十代崇神(すじん)天皇の御代、
国中に悪疫が広まり、帝(みかど)は
倭大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ)に祈願して
ようやく国家の災厄を鎮めることができた。

やがて皇子の豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)は
父帝から東国の平定を命ぜられる。そして出立のとき、
帝から御愛石(大切にしていた亀形の自然石)を授けられた。

社伝によれば、豊城入彦命は陣中すなわち今の境内に
松樹をお手植えになり、都から捧持してきた亀石を
御霊代(みたましろ)として祭祀をおこなわれた。
この石は倭大国魂神の御分霊と伝わり、「御神体のクニタマさま」として
今も御本殿に奉安される。

大同2年(807)、坂上田村麿が東征凱旋の途次に造営舞楽を奏上。
神社に伝わる社宝「翁面」はこの故事に由来するという。
『上野国神名帳』に正五位上大国玉明神とある。
近隣一帯は神社にちなんで「宮原荘みやはらのしょう」とよばれた。

建長5年(1253)倉賀野氏の始祖倉賀野三郎高俊が社殿を造営。
以後、倉賀野氏の氏神として社殿の建替、修復が繰り返された。
倉賀野氏は武蔵七党とよばれる武士団の一つ児玉党の余流で、
烏川北崖上に要衝・倉賀野城を構えた。

至徳3年(1386)倉賀野三郎左衛門尉盛勝社殿建立、
長禄2(1458)倉賀野三河守行政社殿建立、
永禄2年(1559)金井淡路守社殿修復。

江戸時代は中山道倉賀野宿と近隣七ヶ郷の総鎮守として崇敬を集めた。
旧社名は飯玉(いいだま)大明神。延享4年(1747)御本社造営。
寛政元年(1789)御本社修復。現在の社殿は、
元治2年(1865)3月に上棟式、翌慶応2年(1866)9月に
遷宮式が行われたもの。

明治10年大国魂神社と改称、同43年に近隣の数社を合併して
倉賀野神社と改称した。


◇所在地

群馬県高崎市倉賀野町1263

◇交通アクセス(最寄りの宿場)

倉賀野宿

< 倉賀野神社 ホームページより >
http://www.chinju.info/



新横浜 占いの真龍堂です




真龍堂では飛沫飛散防止パネルを対面鑑定用に取付けるなど

感染予防対策を講じ営業しています

Skypeによるオンライン鑑定・電話鑑定・メール鑑定もご利用ください



◇ 新横浜 占いの真龍堂 予定表 ◇

◇ 新横浜占いの真龍堂4月の予定  ◇ 



真龍堂のHPから予約できます
空き状況を確認して予約してください

※鑑定中の場合やご予約が入っている場合もありますが、

予約システム・お問い合わせフォーム・お電話・メール

から、まずはお気軽にご連絡ください

電話に出られない時もありますが必ず折り返し連絡しております

※指定曜日(時間)以外でも可能でしたら対応させていただいております


電話 080-6597-7388


メール ma@shinryu-do.com







最新の画像もっと見る

コメントを投稿