
明治27年、正岡子規は芭蕉の「奥の細道」を辿る
旅の途中、湯田という町の温泉でこの一句を詠みました。
奥羽山脈の山々を貫くトンネルを幾つもくぐりぬけると
雪に埋もれた小さな町が見えてきます。
湯田町、日本一の豪雪地帯にあります
この温泉町の片隅に木地屋というこけしのお店が誕生したのは
もう四十年以上も前のことです。
木地師の小林定雄さん輝子さん夫妻は湯田の伝統こけしを大切に
育て守り続けています。
豪雪、飢饉、貧困、身売りというのがこけし誕生の背景であると
いわれ厳しいものがありますが、軒つく雪の長い冬の暮らしの
中で、一本いっぽんの木を挽く手仕事のこけし作りはその技を磨き
これを生活の糧とし、さらに伝統を守り受け継いできた
木地師たちのふるさとへの誇りの歴史でもあります。
小林さんの挽くこけしは手柄もよう、河童、髷こけしの三種類です。
降り積もる雪の中で小林さんの手によって生まれたこの
元気なこけしたちは厳しい自然にも人生にも負けない力強い
湯田の娘っ子たちの魂そのものです。
雪の重みに負けない強い心、白雪のような純な心と美しい肌の
娘達を鮮やかな赤、黄、緑で装って送り出す熱い思いが伝わってきます。
夫人の小林輝子さんは俳人でもあります。

いつの間にか私のところへこの娘っ子たちが集まってきてにぎやかです。
雪の降る夜は彼女達のまんまるな髷をのせたおつむと
きっちりとそろった眉、優しいおちょぼ口のくりくりしたお顔を
一つ一つ磨きたくなります。
私の宝物です。
s・y
