今日の街角風景は、長崎の浦上川界隈である。長崎市竹の久保町の長崎西高の前を
流れる浦上川とJR浦上駅を通る線路に囲まれた茂里町一帯である。この茂里町一帯
は、戦前は三菱長崎製鋼所があったが原爆で灰燼と帰した。戦後汽車で長崎に戻って
来た僕は、汽車の窓から見た国鉄浦上駅に隣接する工場群の灰燼に帰した残骸の連なる
のを見たのだ。幼かった自分の目にも、この時の世にも恐ろしい光景は残像として今も存在
し、消すことは出来ない。
長崎西高の下の浦上川沿いにある「江山楼(こうざんろう)」 長崎市竹の久保町
江山楼(こうざんろう)
江山楼で昼食をとる やわらか麺の皿うどん、豚の角煮、春巻
江山楼から浦上川を挟んで対岸の茂里町を見る 右の方は南で長崎港となる
左手の浦上地区と右手の稲佐地区を結ぶ梁川橋が中央に黒く影を落とす。
向こうの山は長崎半島の山並で、右端に見えるのが八郎岳(標高590m)である。
左の建物が長崎ブリックホール、右側の建物が長崎市クリーンセンターである。
長崎市は三つの公会堂を有している。茂里町の長崎ブリックホールは2002席の大
ホールと542席の国際会議場を持っている。魚町の長崎市公会堂は昭和37年の竣工
ではあるが1922名収容の大ホールがある。また千歳町にはチトセピアホールがあって
500席のホールを持つ。
江山楼から見た対岸 右から長崎ブリックホール、長崎文化放送、長崎新聞社
長崎新聞社の左奥に見える山は金比羅さんで、高射砲陣地があったあたりまで
よく登ったものだ。
江山楼から浦上川のやや上流域を見る 中央に長崎原爆病院
江山楼から浦上川の上流域、北の方を見る
中央の建物は長崎厚生年金会館、その前のつり橋は歩道橋
長崎自動車道今村PAから雲仙普賢岳を望む
今村PAから雲仙普賢岳を望む