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美濃・前田砦 その1 興味深い遺構が多数残り見どころが多い。上村合戦で武田軍に対峙した城郭 

2022-02-21 | 歴史

前田(ぜんだ)砦は岐阜県恵那市上矢作町本郷にあります。美濃の雄族、遠山氏に属した城郭で元亀三年(1572)の上村合戦では武田軍の侵入に対峙し激戦を繰り広げた末に破れたと伝わります。今見る姿は、その後 武田氏による改修が行われたとされ「砦」の名称とはかけ離れた大規模な山城となっています。城は上村川と飯田洞川に挟まれた尾根の先端部に設けられ、大規模な堀切を含む4条の堀切で尾根を断ち切っています。
 今回の参考資料は(1)岐阜県中世城館跡総合調査報告書 第3集 岐阜県教育委員会2004 と (2)「信濃をめぐる境目の山城と美濃・飛騨・三河・遠江編」宮坂武男編2015などです。
 ◆ 前田砦は見どころが豊富なので、その1 その2 に分けて掲載します。  
 

前田砦 上村川と飯田洞川に挟まれた尾根の先端部、大船神社の参道沿いに築かれている
 上村合戦では遠山氏をメインにした勢力が前田砦を中心に岩井戸砦、城山砦などで武田軍を迎え討って敗れたとされ、その後前田砦は武田軍によって大規模な改修を受けた可能性があると考えられているようです。
 尾根上を北東に進むと古い歴史を刻む大船神社があり、砦はその参道沿いにありました。
  ※城山砦 その1は→こちら     その2は→こちら


前田砦 大船神社参道の登り口 
 登り口には前田砦の登り口の表示版と大船神社に関連する案内板が立っていました。参道の入口ですので鳥居も立っていました。


前田砦 CS立体図で遺構の地形を見るだけでもワクワクします
 岐阜県CS立体図で見ると、立体図でも確認できる遺構が多数ありそうで、4条の堀切が尾根を断ち切っているのがわかりました。特に西から3番目堀切は山下まで達する規模の大きな堀切があることが確認できワクワクして出掛けました。
 

前田砦 城山稲荷は八幡神社に合祀され社殿が撤去された 
 堀切アと堀切ウは尾根を断ち切り尾根の斜面にまで連続して大きく切れ落ちていたと思われますが、今は大船神社の参道aと稲荷神社参道bが横断していますので一部が途切れた状態になっていました。
 資料によると曲輪などの平坦部は後世に山畑として利用されたため、土塁などが失われた可能性が記されていました。城郭遺構としての平面地形はしっかり残っていますが、土塁などの改変、消滅や平場に想定される建物跡などは地表面観察からは確認できませんでした。


前田砦 道aとbの分岐点 西から  
 Ⅵ郭西端部の下で道aと道bが分岐していました。道aは大船神社の参道、道bは城山稲荷の参道です。城山稲荷は登り口近くの八幡神社に合祀され今はありませんので、道bは「城山稲荷の参道跡」になりました。
 

前田砦 Ⅴ郭 西から     奥にⅣ郭  
 Ⅳ郭、Ⅴ郭、Ⅵ郭は後世の段々畑だったことを思わせる地形でしたが、今は植林が行われていました。後世の山畑の開墾による平坦面の可能性もありそうに思いましたが、確認は出来ませんでした。


前田砦 Ⅳ郭 東辺は堀切アで削られているが土塁などは見当たらない
 Ⅳ郭の東側には堀切アがありますが、Ⅳ郭には土塁等の遺構は見られませんでした。ここも曲輪を山畑に利用した後に植林をした様でした。
 

前田砦 堀切ア 南から 右手に高くて急なⅢ郭の切岸  ここからが城域?
 堀切アの堀底は幅広のきれいな平坦面でした。堀切の両端が切れ落ちていますので堀切だったことは間違いなさそうですが、これだけ広いと小屋などの建物が建っていたのではないかと想像しましたがどうでしょう。
 堀切アの堀底と西辺のⅣ郭との段差は低く、東辺は高くて急なⅢ郭の切岸になっていますので、ここからが本来の城域だったのかもしれないと思いました。


前田砦 堀切イ 北から 右手にⅢ郭 左手にⅡ郭
 堀切イは広くて浅いものでした。堀切の南北の両端の地形を見ると、堀切アやウのような防御の役割は薄く、建物を建てるために削平された地形だったのではないかと思いました。資料でも積極的に堀切とは扱ってはいませんでした。


前田砦 Ⅱ郭 低い段差がある  西から
 写真はⅡ郭の段差を西側の下段から見たところです。資料では段差の上下の平坦面を一体の曲輪と見ていますのでここでも一体としてⅡ郭としました。そうしてみるとⅡ郭は前田砦では一番面積の広い曲輪でした。


前田砦 Ⅱ郭  山畑の名残り? 直径60cmの鉄管  井戸跡? 
 Ⅱ郭も山畑として利用されていたと思われ、写真のような鉄管が見られました。井戸跡かもしれませんね。


前田砦 Ⅱ郭 北辺の石列  山畑の名残り?
 Ⅱ郭の北辺には石列がありました。石列は新しいもののように見えますので、城郭遺構ではなくて山畑の縁の土止め用の石列だと思われました。 


前田砦 Ⅱ郭北側の腰曲輪8 西から 右上にⅡ郭
 Ⅱ郭の両サイドは一段掘り下げた幅の狭い腰曲輪となっていました。Ⅱ郭北側の腰曲輪8にはⅡ郭下段(西側)からの通路がありました。


前田砦 Ⅱ郭南側の帯曲輪7 西から   左上にⅡ郭
 Ⅱ郭の南側にも帯曲輪7が設けられていました。こうしてみるとⅡ郭は大きな堀切アと堀切ウで尾根を断ち切り曲輪の両サイドに帯曲輪で切岸を設けた最重要の場所だったのではないかと想像しました。

その1で紹介しきれなかった、見どころの規模の大きな堀切ウやエなどは その2で紹介いたします。


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