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三河・赤岩城 主要街道を扼する興味深い山岳寺院跡の城郭 大堀切と大土塁が見どころ

2022-02-16 | 歴史

赤岩城は愛知県豊橋市多米町にあります。吉田城、二連木城から三河と遠州の境目の多米峠を越える主要な街道と鎌倉街道を見下ろす尾根の中腹に所在しています。今は赤岩城の南山下に赤岩寺がありますが、古くは法言寺といわれ現在の赤岩城の城域に在ったとされます。城の築城時期や城主については伝承が諸説があるのですが、明確にはわかっていないようです。
 今回の参考資料は(1)「愛知県中世城館跡調査報告Ⅲ」愛知県教育委員会1997 と (2)「愛知の山城ベスト50を歩く」愛知中世城郭研究会・中井均編2010  などです。 


赤岩城 東西に伸びる多米峠越えの街道が城址南の眼下にある  鎌倉街道はそれ以前の道と思われる
 赤石山脈から南西に派生した弓張山系の支尾根を大規模に開削した大堀切と、尾根を削り残したと思われる大土塁が城郭としての圧倒的な存在感を示していますが、資料(2)によると現在の遺構の一部は赤岩寺に変わる前に山上にあった法言寺の遺構の可能性も考えられるようです。
 往時は城の南側を東西に通る多米峠越えの重用な道を監視する役割があったことは間違いなさそうで、今見る城郭遺構は家康が東三河を領した時期の姿と考えられそうです。古くは源頼朝が通ったといわれる鎌倉街道が南北に通る地点でもありますが、城との関連は明確ではないようです。


赤岩城 大堀切と大土塁、広大なⅠ郭、Ⅲ郭などが見どころ
 Ⅲ郭南東部の張出し地形3はチャートの巨岩の岩盤上にあり、巨岩は古くから信仰の対象となっていたようです。城址の周囲は今では樹木で眺望がほぼありませんが、からは南側の街道や船形山城までの展望が開けていました。赤岩城一帯は緑地公園化によってハイク道が何本も設けられ、往時の城道との見分けが難しい状態でしたが道Aから虎口1への道がメインの城道だったのではないかと思いました。道Bも城道とされ地点が虎口とされますが山岳寺院の参道の名残のようにも見えました。


赤岩城 大堀切6と大土塁4 西から   手前に堀の凹み5  左上にⅣ郭  見どころです!
 資料(2)によると、大堀切6は尾根の岩盤を開削した堀切とされます。その土木量の多さから家康の東三河支配時の改修の可能性が指摘されています。大土塁4は尾根の削り残しに手を加えたようで、天端は平坦になっていました。堀底に立つ人物との比較で大堀切と大土塁の規模の大きさが想像していただけるのではないでしょうか。


赤岩城 大土塁4の天端 西から
 大土塁4は尾根の北側を大堀切6で開削した掘り残しの地形とされますが、天端は削平をした幅広の削平地のように見えました。 


赤岩城 道8 南西から 右に大堀切の凹み5  奥上にⅣ郭
 大堀切の西側には土塁状の道8がⅣ郭に向けて伸びていました。今はハイク道に見えますが、凹み5を形造る城郭遺構の可能性もありそうでした。


赤岩城 Ⅳ郭     西辺 道Cから見る  山岳寺院の名残かも
 今は道8で登ってⅣ郭へ入るようになっていましたが、ヒョットすると往時はⅣ郭南東隅から登った可能性もありそうでした。Ⅳ郭の北側は写真のように低い切岸のみで、尾根北側への守りの機能はなさそうですので資料(2)でも役割は不明となっていました。山岳寺院の名残かもしれませんね。


赤岩城 道A   奥上に虎口1   南西下から
 道Aは今はハイク道ですが、Ⅲ郭の虎口1に至るまでの両サイドの平場地形などから往時の城道だった可能性がありそうに思いました。


赤岩城 Ⅲ郭 虎口1   南下から
 道Aを登った先にⅢ郭の虎口がありました。今はハイク道になっているので地形は少し不明瞭ですが、位置と周辺の地形から虎口遺構と考えられているようです。


赤岩城 Ⅲ郭 南東隅の張り出し部3  南東から
 Ⅲ郭は広い平坦面ですが、公園化によってコンクリート製のテーブルやイスが複数設置されていました。張り出し部は信仰の対象となっている巨岩の頭頂部があり、覗き込むと愛宕社が見えました。 ここから南に向けての眺望は素晴らしかったです。


赤岩城 Ⅱ郭  東から  左下にⅢ郭
 Ⅱ郭はⅢ郭の一部が一段高くなったような形状で、切岸はゆるやかになっていました。法言寺のあった頃の遺構かもしれませんが確認はできませんでした。


赤岩城 Ⅱ郭西辺の道a 右にⅡ郭  道は奥上のⅠ郭に続く
 道aはハイク道になっていますがⅡ郭に登る道だった可能性が高そうでした。


赤岩城 Ⅰ郭  虎口と西辺土塁7 右にⅠ郭   奥上に大土塁4 南西から
 Ⅰ郭の西辺には土塁7が設けられていました。土塁7の上部(北部)から大土塁の東端部へ斜めに登る道があったようですが、今は踏跡が不明瞭になっていました。Ⅰ郭は東辺にもⅢ郭からの幅広の坂道が見られました。

赤岩城の東側は急角度の斜面が谷へ切れ落ちていますので、シンプルな構造でしたが、西側はやや緩やかな斜面となっているためか、城郭遺構が多く見られました。ハイク道が何本も通っていましたので、往時の城道との区別が難しかったのですが、大堀切と大土塁は圧巻で楽しく見学ができ良かったです。
 ※赤岩寺周辺に緑地公園の駐車場があります。


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