城と歴史歩きを楽しむ

専門的でも学術的でもなく、気楽に
山城中心に城巡りと歴史歩きを楽しみましょう!

遠江・城之崎城 掛川城攻略の拠点となった家康の城

2019-01-27 | 歴史
城之崎城は静岡県磐田市にあります。
 磐田台地南の舌状台地に有った旧城を今川氏真が籠もる掛川城攻略のため徳川家康が改修したと伝わる。掛川城の攻略後に家康は浜松城を築き遠江の拠点としたため、城之崎城は未完のままになったとされます。
 城之崎城は戦後になって野球場、学校、住宅地などで改変を受け、現在は遺構の残りは芳しくないが、昭和22年の米軍による空中写真では、まだかなりの遺構が見える。
 城之崎城から浜松城への移転は、用水不足と天竜川の東側に有るため信長の支援が受けにくいためと推測されている。


昭和22年米軍空中写真と概略トレース図
米軍空中写真の精細度が落ちるので概略をトレースしてみました。郭Ⅰと郭Ⅱが見えるようです。「未完成の堀?」とした部分は南に向けて沼、入江と続いている自然地形のようで堀として更に掘り下げることは無かったかもしれません。
※トレース図を参照して、写真で現存遺構をご覧ください。


かつての堀跡 P1の城山球場の駐車場になっている
もともとはP1とP2の堀はつながっていたようですが、野球場の出入り口として分断されています。


P2 駐車場になった堀跡


山住神社 郭Ⅱの土塁上に造営された
郭Ⅱの土塁は西側を除いて消滅したようです。西側は山住神社が有ったのでかろうじて土塁の痕跡が残ったと思われます。


北西隅に残る土塁の一部 Bから見る
土塁は、空中写真によると分厚いものだったようですが、今見る姿は両側から削り取られて薄くなっています。


南側土塁と堀跡 Aから見る
学校建設で堀は埋められ、土塁も削られたようですが、土塁の一部は手付かずの印象を受けました。左手の上が野球場です


城山中学校のテニスコートは堀の名残?
南から入り込んできた谷地形の北端部に当たると思われる部分は堀跡のように見えました。今は中学校のテニスコートが2面ありました。左手には城山球場です。

遺構が殆どないとされる城之崎城ですが、思ったよりも遺構の痕跡をたくさん見ることが出来ました。

もし城之崎城を遠江の拠点として家康が使い続けていたら、三方ケ原ならぬ磐田ヶ原の合戦が有ったかもしれませんね。



最新の画像もっと見る