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足助城 三河 その2 整備された城跡公園の興味深い城郭遺構を堪能する

2024-01-21 | 歴史

足助城は愛知県豊田市足助(あすけ)町にあります。城址が真弓山にあることから、真弓山城とも呼ばれ足助七城の一つとして、足助鈴木氏が築いたとされます。現在、中心部は城跡公園となっていますが、公園化に先立って発掘調査が行われ、多数の建物跡などが検出され、それに基づいたいくつかの建物などが復元・整備されています。その1では城跡公園外の興味深い城郭遺構を見学しましたが今回は整備された公園内を見学します。公園内には要所要所に案内パネルが設けられていますので、興味深い城郭遺構を堪能できます。※その1は→こちら

足助城 足助氏の飯盛山城と鈴木氏の足助城は築城年代が異なる
 古く鎌倉期に足助を領したのは足助氏、戦国時代に領したのは鈴木氏だった考えられ、足助氏が飯盛山城を築き鈴木氏が足助城を築いたとされます。いろいろな条件が重なって、飯盛山城の復原は見送られ足助城の復原が行われたようです。復元に際しては大規模な発掘調査が行われ、その平面遺構プランに沿ったいくつかの想定建物の復原が行われ、公園として整備されました。主要な遺構は保存のため1m程盛土されその地下に残されているようです。

足助城 城跡公園足助城はフェンスで囲まれ有料施設となった
 足助城 その1では城跡公園の外側に残る城郭遺構を見学しましたが、城跡公園内の整備は素晴らしく、城郭遺構と復元された建物群の維持管理が徹底されていて有料化も納得の見学が堪能できました。

足助城 随所に設けられている案内パネル
 城内の要所要所に写真のような案内パネルが設けられ、適切な解説が加えられていました。今回はこのパネルに従って掲載写真の説明をしたいと思います。

足助城 ①堀切 ⑧南の丸から見下ろす 奥に入口からの導入路
 ①堀切は幅広の堀切だったようですが、埋められて見学路になりました。堀切の両端部は残っていましたので確認ができました。現況だと城跡公園の入口からの導入路が大手道のように見えますが、往時の登城路は西側、または北側の尾根筋にあったのではないか思います。

足助城 ②南の丸腰曲輪1 南西から
 本丸から延びていた尾根は切岸を設けるために削られ、腰曲輪となっている場合が多いようでした。写真の腰曲輪もその可能性がありそうでした。右手奥に本丸南側の見事な切岸が見えています。

足助城 ④井戸 案内パネルが設けられている
 城内の井戸は何ヶ所もあったようですが、明確に残る井戸に案内パネルが設けられていました。足助城は居住を前提とした城郭だったとされますので、安定した水の需要が多かったのではないかと想像しました。

足助城 ⑤西の丸腰曲輪の下段 南西から 公園のフェンスがある
 西側尾根は城跡公園の外側まで続いていて腰曲輪状の平場がいくつもがみられましたが、公園としてはこの腰曲輪まででした。写真の手前に見えている柵は安全施設の柵です。

足助城 ⑤西の丸腰曲輪1 西から 奥上に⑥西の丸の西端部
 ⑤西の丸腰曲輪1を設けることによって、西の丸の先端部の切岸が造り出されていると思われます。⑤西の丸腰曲輪1もかなり面積が広いので、小屋掛けぐらいは出来たのではないかと思いました。

足助城 ⑥西の丸 ⑨西物見台から見下ろす
 ⑥西の丸にも建物があったと思われますが、復原はされていませんでした。西の丸の周囲を囲む柵列が復元されていました。

足助城 ⑨西物見台に立つ復元櫓 奥上に本丸の高櫓
 ⑥西の丸の東端部には西物見台の土壇があり、発掘調査により想定された物見櫓が復元されていました。

足助城 ⑧南の丸 復原カマド小屋と台所建物 西から 奥上に⑬南物見台と復元物見櫓
 発掘調査結果に基づいて復元されたカマド小屋と台所建物は内部も想定される状態に復元されていました。

足助城 ⑭本丸と⑬南物見台間の堀切 南西下から
 本丸と南物見台間は堀切で切り離されて、本丸外側の東法面の道から木橋で渡るように復元されていました。

足助城 ⑭本丸の高櫓と長屋 南東から 中央に本丸の入口
 本丸には発掘調査結果の平面プランから復元された高櫓と長屋が建っていました。本丸の周囲には柵列も復元されていました。

足助城 木橋と⑬南物見台と物見櫓 北から  櫓には登れない
 木橋を渡ると南物見台からの眺望は素晴らしかったです。この方向には鶏足城、割石城、浅谷城があり、ノロシでの連絡が行われたとされます。鶏足城は→こちら 、割石城は→こちら 、浅谷城は→こちら  

足助城 ⑪北腰曲輪2 公園の北端部だが尾根続きに遺構がある
 ⑪北曲輪2は尾根を削り削平した曲輪ですが写真のようにフェンスがあり城跡公園の北限でした。尾根は北下に向って延びていて平場地形などが有るとされます(未確認)。

足助城 ⑫北腰曲輪1 柵は安全施設
 ⑫北腰曲輪1は本丸と北腰曲輪2の間に設けられた腰曲輪でした。面積も広いので、建物があったかもしれないと思いました。写真に見える柵は柵列の復原ではなく安全施設としての柵でした。

足助城 ⑩本丸腰曲輪1 本丸北西下にある 東から
 ⑩本丸腰曲輪1は本丸北西の尾根を削って本丸の切岸を造り出したように見える曲輪でした。写真に見える網は公園を区切るフェンスです。

足助城は山城ですが、城跡公園として整備が行き届いているため見学が容易で、数多く設置され案内パネルの内容も分かりやすく、興味深い遺構を理解しながら楽しく見学出来て良かったです。


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