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遠江・幡鎌城 最福寺周辺に屋敷地、裏山に主郭を設けた原氏一族の城か

2021-09-11 | 歴史

幡鎌城は静岡県掛川市幡鎌にあります。原野谷川一帯を支配していた高藤城の原氏が一族を配した支城群の一つと考えられ、幡鎌城は最福寺の裏山(標高98m)から原野谷川の河岸段丘一帯に築かれていました。屋敷地は現在、最福寺と畑地、宅地となり遺構は失われましたが裏山の城郭遺構は主郭とされます。
 今回の参考資料は (1)「静岡県の中世城館跡」静岡県教育委員会 1978 と (2)「静岡県 古城めぐり」静岡新聞社刊 1984です。


幡鎌城 主城・高藤城は南東約1.8kmにあり支城群が原野谷川沿いに展開している
 原野谷川沿いの左右には上流から下流まで田地が広がり、往時から収穫の多い地域だったのではないでしょうか。資料(2)によれば原氏は鎌倉期より当地区に住んだ国人で戦国期に一族が分散したとされます。


幡鎌城 立体図に道、堀切などの位置を加筆
  

幡鎌城 最福寺の東側を走る天竜浜名湖鉄道 この辺りも屋敷地だった
 最福寺の南から東にかけて屋敷地が有ったとされますが、今は宅地や耕作地となり遺構は残されていないようです。


幡鎌城 最福寺の裏山の谷地形⑨ ※図2参照
 谷地形⑨は竪堀状の地形でしたが現地で見ると自然地形の谷だと思われました。


幡鎌城 堀切地形⑥ 北から     ※堀切か切通か・・見どころです
 最福寺から道⑧を登ると堀切地形⑥に至ります。南尾根を断ち切る堀切と見ることも出来ますが、山道の切通ともみえます。堀底道を後世の山道の切通道として利用したパターンかもしれません。


幡鎌城 南尾根の土坑⑦
 堀切地形⑥の南側の尾根には直径2mに近い大きな土坑⑦がありました。周囲の状況から、大木が根こそぎ倒れた跡ではなさそうでしたが利用目的は判然としませんでした。


幡鎌城 最高所の主郭①  南西から
 資料によると最高所(標高98m)が主郭①とされていました。道⑧は途中から不明瞭になっていましたので城道だったかどうかはっきりしませんでした。
 主郭①は自然地形に近く、一部に切岸状の地形が見られましたが明瞭な曲輪地形は確認できませんでした。


幡鎌城 南東尾根の浅い堀切② 道④から   ※②、③ 二条の堀切が見どころ
 主郭①から南東に伸びる尾根を断ち切る二条の堀切を確認できました。堀切が浅いものでしたが周囲の状況から堀切でまちがいなさそうでした。


幡鎌城 堀切③ 道④から
 南東尾根は二条の堀切で断ち切っていました。原野谷川方面からの侵入に備えたものではないでしょうか。


幡鎌城 道④ 茶畑への農道か?
 現況の道④は往時の道を拡張した可能性もありますが、奥の茶畑への後世の新設道なのかもしれません。


幡鎌城 道④は北側の茶畑⑤へ至る   
 道④を北にたどると茶畑⑤へ出ました。遠州の城址見学に訪れると、条件の悪い茶畑が放棄されて茶の木が背丈よりも高く伸びている姿に時々お目にかかりますが、ここも放棄された茶畑のようでした。

幡鎌城は南尾根と南東尾根を断ち切る堀切の見学が主体となりました。南尾根の堀切は切通道の可能性もありそうでしたが南東尾根の二条の堀切を確認することができよかったです。







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