今朝のニュースで流れた殺人事件の舞台。
まだ機能してるんだ。
凄いよね。
元は、東京オリンピックの選手村として建設された筈だから、もう40年に余る。
私は一度だけ泊まったことがある。
大学受験の為に上京して、複数の大学受験に臨む為に連泊した。
確か、4~5泊したのではなかったか。
どうしてこの施設の存在を知ったかは記憶にない。
だが、同じ大学を受験する友人もいたのに、一人で上京して、一人で滞在したのだから、あまり知られてなかったのかも知れない。
修学旅行以来、二度目の上京。
最寄りの駅は、確か、小田急線の参宮橋というところだった。
そこまではすんなりと移動して、外に出る。
例によって方向音痴な私は、このときも見事に反対方向に歩いた。
小春日和の2月初旬?
やけに天気が良くて、気持ち良かったのを覚えている。
多分、代々木公園沿いに歩いて、駅から直ぐの位置にある筈の目的地がこの先に無さそうだということにじんわり気づき始めても、結構楽しかった。
そのときの光景は今でもよく覚えている。
その後、東京に5年余り住むことになったが、その辺りに用事は無く、ついぞその地を訪れることは無かった。
でも、新宿や渋谷、原宿の近くだから、当時から歩くのが好きな私は、周辺を散策しながら、そこが直ぐ近くだということは感じていた。
部屋はツインベッドになっていて、相部屋だった。
そして、私よりも長く滞在する人と一緒になった。
だから私はその人とだけ相部屋となったのである。
それは札幌から来た人で、確か1年浪人したとのこと。
既にスーツ姿だし、勿論ネクタイもしている。
あいや~、ネクタイなんぞ締めたことのない私はいきなり気後れしてしまった。
おまけに、札幌って、妙に標準語なのね。
下手すると東京弁より綺麗な言葉使いかも知れない。
だから、多分1歳だけしか離れてない筈なのに、やけに先輩に見えて仕方なかった。
でも、話しやすい人で、コミュニケーションで苦労することはなかった。
おまけに、狙う大学も似通っていて、明治大学には一緒に行った。
これには後日談があって、その後何度かやりとりした便りで彼が落ちたことを知った。
要は、2年目の浪人生活に入ることに決めたというところまでは文通したのだと思う。
やがて私は、明治大学の2年生として和泉校舎のキャンパスを歩いていると、バッタリ仲間と闊歩するその彼に出くわした。
お互いに一目で判ったから、「やあ~!」ということになる。
聞けば彼は再度挑戦して、今度は合格したとのこと。
それも同じ法学部だ。
「いやあ、君の後輩になっちゃったよ。」と。
奇妙な縁に愉快だったり恐縮したり。
そんな微妙な間柄故に、こちらも積極的に連絡先を尋ねることも出来なかったので、結局彼とはそれ以来会うことは無かった。
狭いキャンパスなのだからいずれまた会うだろうと思っていたのだが、なんと、以来全く会うことはなかった。
もう顔も名前も忘れてしまったから、ただただ遠い思い出である。
さて、その施設には宿泊棟が複数あって、売店や食堂は別棟になっていた。
多分、食券が事前に渡されていて、それで日々の食事は済ませていたのだろうと思う。
ある日、爪が伸びているのが気になって、記念にもなることだし、この際買っちゃおうということで、売店でそれを求めた。
確か、フェザーマークのそれは、くるっとひっくり返してテコ代わりにする部分に面取りをしたアクリル板が貼り付けてあって、赤地に羽根のマークだったように記憶しているが、長く使ううちにその飾りのアクリル板が取れてしまった。
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それがこれである。
あの日から、私と一緒に新居浜まで帰ってきて、また一緒に上京し、そしてUターンした爪切り。
もう32年のつきあいか。
私にはこうした変な郷愁やらこだわりがある。
だから、あのとき、数日後には帰宅するのだから、特に急を要する訳でもないのに、記念品としてこの爪切りを求めたことは、結果として正解だったのである。
勿論、それは私にしか理解出来ないことなのだろうけど・・・
まだ機能してるんだ。
凄いよね。
元は、東京オリンピックの選手村として建設された筈だから、もう40年に余る。
私は一度だけ泊まったことがある。
大学受験の為に上京して、複数の大学受験に臨む為に連泊した。
確か、4~5泊したのではなかったか。
どうしてこの施設の存在を知ったかは記憶にない。
だが、同じ大学を受験する友人もいたのに、一人で上京して、一人で滞在したのだから、あまり知られてなかったのかも知れない。
修学旅行以来、二度目の上京。
最寄りの駅は、確か、小田急線の参宮橋というところだった。
そこまではすんなりと移動して、外に出る。
例によって方向音痴な私は、このときも見事に反対方向に歩いた。
小春日和の2月初旬?
やけに天気が良くて、気持ち良かったのを覚えている。
多分、代々木公園沿いに歩いて、駅から直ぐの位置にある筈の目的地がこの先に無さそうだということにじんわり気づき始めても、結構楽しかった。
そのときの光景は今でもよく覚えている。
その後、東京に5年余り住むことになったが、その辺りに用事は無く、ついぞその地を訪れることは無かった。
でも、新宿や渋谷、原宿の近くだから、当時から歩くのが好きな私は、周辺を散策しながら、そこが直ぐ近くだということは感じていた。
部屋はツインベッドになっていて、相部屋だった。
そして、私よりも長く滞在する人と一緒になった。
だから私はその人とだけ相部屋となったのである。
それは札幌から来た人で、確か1年浪人したとのこと。
既にスーツ姿だし、勿論ネクタイもしている。
あいや~、ネクタイなんぞ締めたことのない私はいきなり気後れしてしまった。
おまけに、札幌って、妙に標準語なのね。
下手すると東京弁より綺麗な言葉使いかも知れない。
だから、多分1歳だけしか離れてない筈なのに、やけに先輩に見えて仕方なかった。
でも、話しやすい人で、コミュニケーションで苦労することはなかった。
おまけに、狙う大学も似通っていて、明治大学には一緒に行った。
これには後日談があって、その後何度かやりとりした便りで彼が落ちたことを知った。
要は、2年目の浪人生活に入ることに決めたというところまでは文通したのだと思う。
やがて私は、明治大学の2年生として和泉校舎のキャンパスを歩いていると、バッタリ仲間と闊歩するその彼に出くわした。
お互いに一目で判ったから、「やあ~!」ということになる。
聞けば彼は再度挑戦して、今度は合格したとのこと。
それも同じ法学部だ。
「いやあ、君の後輩になっちゃったよ。」と。
奇妙な縁に愉快だったり恐縮したり。
そんな微妙な間柄故に、こちらも積極的に連絡先を尋ねることも出来なかったので、結局彼とはそれ以来会うことは無かった。
狭いキャンパスなのだからいずれまた会うだろうと思っていたのだが、なんと、以来全く会うことはなかった。
もう顔も名前も忘れてしまったから、ただただ遠い思い出である。
さて、その施設には宿泊棟が複数あって、売店や食堂は別棟になっていた。
多分、食券が事前に渡されていて、それで日々の食事は済ませていたのだろうと思う。
ある日、爪が伸びているのが気になって、記念にもなることだし、この際買っちゃおうということで、売店でそれを求めた。
確か、フェザーマークのそれは、くるっとひっくり返してテコ代わりにする部分に面取りをしたアクリル板が貼り付けてあって、赤地に羽根のマークだったように記憶しているが、長く使ううちにその飾りのアクリル板が取れてしまった。

それがこれである。
あの日から、私と一緒に新居浜まで帰ってきて、また一緒に上京し、そしてUターンした爪切り。
もう32年のつきあいか。
私にはこうした変な郷愁やらこだわりがある。
だから、あのとき、数日後には帰宅するのだから、特に急を要する訳でもないのに、記念品としてこの爪切りを求めたことは、結果として正解だったのである。
勿論、それは私にしか理解出来ないことなのだろうけど・・・
何処の駅から行ったのか、何人部屋だったのか、間取りも、何にも覚えてない。
情けないなあ。
同級生と過去を振り返っても、同じ事柄を覚えていることは少ない様です。
ましてやこれからどんどん歳をくって、記憶もどんどん剥がれていくことでしょう(笑)
ただ、どうやら私は若干人様よりは些末な事柄における記憶力がいいようには思います・・・