秩父ミューズパーク ・・・見果てぬ夢
見果てぬ夢・・・
ミューズというのは”知の女神”のことだそうだ。たぶんに美しい名前・・・にふさわしく、ミューズパークも風光明媚なところで、花の回廊と野外音楽堂とスポーツの森をもち、この雄大な敷地の中に、秩父札所二十三番音楽寺も所在する。たぶん、野外音楽堂は、札所二十三番にちなんだものと勝手に推測する。・・・実際、音楽寺参詣の際に、ミューズパークの駐車場を利用しました・・・。
花の回廊のお花畑・・・
野外音楽堂・・・
・・転用
堤康次郎というひと・・・・・
西武鉄道の創業者に堤康次郎という人がいます。この人の私生活は、現代社会のモラルから言うと、褒められたものでは無かったようで、かつビジネスの世界でもかなり強引な手法をとったようです。
だからといって、彼のやった業績の評価は、別個の基準で判断してもいいと思っています。例えば、織田信長が、ネロみたいな世界的大虐殺をやっても、楽市楽座みたいな政策は、貨幣経済の発展に寄与したんだと・・・
まず堤康次郎は、箱根の観光事業を手がけ、ある程度の成功を収めると、次ぎに武蔵野鉄道と軽井沢をビジネスとして手がけます。当時経営不振に陥っていた武蔵野鉄道を買収し、鉄道の整備と路線の延長を目指し始めます。沿線に付加価値の施設を創設しながら、都内に通勤する為の沿線の宅地化です。まず目を付けたのが、村山貯水池と呼んでいた丘陵地帯の開発と観光です。ここは西武園として開発され、プロ野球の全天候型のドーム西武球場を中核に、スポーツ・レジャーランドの施設を次々と創出してゆきます。武蔵野鉄道も、名称を西武鉄道と変更し、路線を延長させ秩父へと繋ぎます。沿線はどんどん造成されて宅地が並んでいきます。商業施設も、ターミナル池袋と所沢に百貨店をつくり、さらに各駅付近に西友というスーパーを貼り付けます。
そんな中、秩父まで繋いだ西武鉄道なので、秩父を、第二の箱根にしたかったのでしょうか、秩父ミューズパークを手がけます。庭園とスポーツと音楽、総合してのレジャーのミューズパークの誕生です。この少し前に康次郎は逝去され、息子の義明に、夢は引き継がれています。・・・やがてここは経営上の問題で、西武の手を離れ、秩父市に無償譲渡されます。ですから、今の所有は秩父市で、埼玉県と秩父市で共同運営をし、実務は西武系の会社が管理しております。
堤康次郎は、西武鉄道を、池袋から所沢、秩父を経て、軽井沢に繋ぐ夢を持っていたと言われています。現実には、山岳を繋ぐ鉄道は、トンネルやら鉄橋やらで、莫大な費用が掛かり、一企業では無理な話で、計画の俎上にも上らなかったと思いますが、・・・今では長野新幹線が開業したので、大宮・高崎経由でも軽井沢には行きやすくなりましたから、競合するとなるとさらに厳しいでしょう。・・・地図を広げると、・・・確かに、池袋と秩父と軽井沢は、まったく直線上に並びます。
そもそも西武は少し前の不祥事より堤家の手からほとんど離れています。この不祥事というのは、堤家の家業であった鉄道事業と国土開発・観光事業を、公的な株式会社にしておきながら私物化したという、よくある話で、家業が企業に発展できなかったという悲劇(喜劇?)ですが、詳細は割愛します。
先日、堤家から離れた西武が「OTB]・・公開買い付けにかけられると言う話題がありました。資金援助を受けていた外資系のファンド会社が、経営の合理化を提案した会社の乗っ取りです。この中に、不採算路線の”西武鉄道秩父線”の廃線が合理化案で提案されました。・・結果、外資ファンド側は敗北し、秩父線はどうにか存続する見通しです。・・・・・秩父が好きで、西武秩父線の存続に関心があったので、ミューズパークのことを書いてみました。
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最近、旧秩父橋が秩父の名勝になりつつあるように思います。
アニメ「あの日見た花の名前を僕たちは知らない」で登場する橋です。
旧秩父橋、遠景です。奥は歩道と自転車・・・ 手前は自動車通行 下に流れるのは荒川・・