流雲片々   ~ 香川県・高松市 曹洞宗 祥福寺 ~

おりおりの風光とよしなし事を思いつくままに。栗林公園の南西、小高い山の中腹に閑居する禅寺和尚の雑記です。

御開山さま

2016年09月13日 | 日記
午前中は 
本降りの 雨
ときおり 雷鳴も 聞こえました

台風14号も 発生し
その 進路が 気になるところです

さてさて

きのう
予告していた 
拙寺御開山さまの お話しです

9月1日に 掲載した
高松市歴史資料館でのこと

特別展を 鑑賞し
そのまま 帰ろうかと 思ったものの

せっかく 来たことだからと 
隣接する 常設展を 観覧していたら・・・

なんと
拙寺の御開山 
鶴洲霊翯(かくしゅう・れいとん)さま筆による 文殊菩薩図と 紹介文が  

   
   ※高松市歴史資料館所蔵【文殊菩薩】


   ※高松市歴史資料館 展示資料
   ※事情を 資料館の方に お話しして データを 送っていただきました

以下 あらためて
紹介資料から 転記します


鶴洲(1644-1730)は 
江戸の やまと絵を 代表する 
住吉加慶の子であり 住吉具慶の弟である

加慶が 
加賀藩四代藩主 
前田光高に 招かれて 
下向したことも あることから

鶴洲自身も 
出家前は 五代藩主 
前田綱紀からの仕事に 
関わっていたようである

しかし 耳を病み 
聴覚障害を わずらったため 

加賀を去り 出家して 
黄檗宗の 画人として 生きた

髙松に やってくる 
きっかけと なったのは
初代藩主 松平頼重に 招かれたからである

のちに 
享保三年(1718)に 
頼重から 自性庵を与えられ 
髙松に 定住することになる

仏生山に 伝来する
《絹本著色 観世音功徳図=重要文化財》も 鶴洲の筆と 伝えられる

賛(さん=文殊菩薩図に 添えられた漢詩)は
江戸時代前期に 明国から渡来した 臨済宗黄檗派の僧であり
黄檗第四代住持であった 独湛性瑩(どくたん・しょうけい)によるもの

鶴洲は
自性庵を 祥福寺として 新たに 開山し
晩年には 本宗(黄檗宗)萬福寺に 願い出て
これを 黄檗宗の 末寺にすることの 許可を得た


と 記していました

当寺HPの 
祥福寺沿革と あわせて ご覧いただければ 幸いです

それにしても 

たまたま でかけた
髙松市歴史資料館の 特別展
たまたま 足を止めた 常設展で

自分が住職をする寺の 
御開山さまの 筆による 文殊菩薩さまと 
紹介文に 出遭うとは なんという 巡り合わせ!!

帰ってから
開山堂の お位牌と 
歴住墓の 御開山卵塔に 
ご報告したのは 申すまでもありません (^人^)
コメント
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