流雲片々   ~ 香川県・高松市 曹洞宗 祥福寺 ~

おりおりの風光とよしなし事を思いつくままに。栗林公園の南西、小高い山の中腹に閑居する禅寺和尚の雑記です。

今治

2011年02月28日 | 日記
22日の
密葬逮夜(お通夜)から続いた今治のお寺のお葬儀



今日はいよいよ本葬儀でした
(写真は境内を準備する前のものです)
先代さま危篤の報をうけてから今日まで
お寺の方々のご心痛はいかばかりだったかと思います

お寺のお葬儀は
在家の方のお葬儀と異なり
葬儀社さんにお任せできることがほとんどありません

お寺の中のことは
そのお寺の方にしか分からないため
ご遺族は遺族と云うよりはスタッフにならざるをえません

高松と今治
通いでの一週間
どれほどのお手伝いができたかどうか・・・

先代さまのご冥福と
ご遺族のご健康を心よりお祈りするばかりです
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育った年の

2011年02月27日 | 日記
22日に
懇意にしている寺の先代さまが遷化
密葬・本葬の準備と参列のため今治通いが続きました

昨日は
宇多津のお寺さまに寄って相乗りで今治へ
1月に行った上棟式の後の進み具合を見学させていただきました



今は、彫り物などの作業をしているということで
主だったところの変化は見受けられませんでしたが・・・

写真は
屋根裏にあたる部分
見事な梁(はり)の太さです

カナダのバンクーバーで切り出された
樹齢200年をゆうに超えるという松材
製材した状態で、太さ約60㎝、重さ800キロ~1トンとのこと

大工さんに「木は育った年数の分は、もつ」という話を聞いたことがあります

となれば、
この本堂は最低でも200年の年月を耐えることができるということです

何百
何千という仲間と
小さい種から育って
200年以上を生き残った木が
生きた年数分をさらに構造材として生きる

さて
人間は
生きた年数分だけ人の心に生きることが出来るでしょうか?

それもまた
何百、何千という命のなかの一人ではあるのでしょうが・・・・・
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雑草という名の草はない

2011年02月26日 | 日記
この二・三日
3月半ばのような陽気が続き

参道脇の斜面では
名も知らぬ草が鮮やかな紫色の花をつけています



どこにでも生えている
雑草と呼ばれるたぐいの草ですが
こうやって20センチ程にまで近づいてみると
雑草と、ひとくくりにして呼ぶのは失礼だなと思ってしまいます

さりとて
夏場には、刈り込まないことにはどうにもならないんですが・・・
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霧か?靄か?はたまた霞か?

2011年02月25日 | 日記
今朝は
わずか10日前の雪景色がうそのように春めいて



2月とは思えないような温かさですが
このまま一気に春がくるのでしょうか?
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障子の春

2011年02月24日 | 日記
昨日
お参りにうかがったお家

雲がきれて
お日さまの光が仏間に差し込んで
急に部屋の中が明るくなりました

ふと
光の方向に目を向けたら
モミジの枝がはっきり映っています



障子や網戸を通しても
枝の影をはっきり浮かび上がらせる日差し

春は
すぐそこに・・・
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