『芭蕉という修羅』を読む ④
句郎 芭蕉の句の中で一番有名な句というと言わずと知れた「古池や蛙飛びこむ水の音」だよね。嵐山光三郎氏は『芭蕉という修羅』の中で「古池や」の句を寂びの句ではなく、修羅の句だと主張している。
華女 「古池や」の句は蕉風開眼の句だと言われているのよね。その句を修羅の句とはどのような意味なのかしら。
句郎 修羅とは、生存競争のため、闘っている人間を言う。「古池や」の句は生存競争のため闘っている句だと言うことだと思う。
華女 「古池や」の句をどうしてそんな風に解釈できるのかしら。
句郎 天和二年(1682)八百屋お七の火事があった。駒込大円寺に発した大火によって芭蕉庵は類焼した。芭蕉は小名木川にとび込んで難を逃れることができた。芭蕉庵に接してあった池は生け簀だった。その古池には泥水入り、火事の難を逃れる人々が入り込んだ池だ。火事後五年、貞享四年(1687)その池に蛙が飛びこむ音を芭蕉は聞いた。火事の難を逃れる人々が古池にとび込む姿が脳裏に蘇った。まさに人々は自分の生存をかけて闘う姿だった。
華女 古池に蛙が飛びこむ音を聞いた芭蕉は八百屋お七の火事を思い出し、必死に逃げ惑う人々を詠んだ句が「古池や」の句だということなのね。
句郎 そういうことのようだよ。
華女 侘び、寂びとは全く違う世界ね。蕉風と言われているものとも大きく違っているように思うわ。
句郎 私もそう思うな。
華女 こんな解釈があるのかという気持ちだわ。私は長谷川櫂氏の解釈がいいなぁーと思っているのよ。
句郎 長谷川氏はどのように「古池や」の句を解釈しているの。
華女 芭蕉の弟子の各務支考が著した『葛の松原』を長谷川氏は研究し、「古池や」の句を解釈しているのよ。長谷川櫂氏は著書『古池に蛙は飛びこんだか』という著書を著したわ。
句郎 『古池に蛙は飛びこんだか』という書名から想像すると蛙は古池にとびこんではいないということなの。
華女 そうなのよ。貞享四年、芭蕉は一人草庵にいると蛙が水に飛びこむ音を聞いた。「蛙飛びこむ水の音」という中七と下五ができた。上五を何とおこうかと考えていると一緒にいた其角が先生、「山吹や」では、いかがでしょうと言うと芭蕉はそれを拒否して「古池や」と置いた。このようなことが『葛の松原』に書いてあるそうよ。
句郎 なるほどね。蛙には山吹。和歌の世界なのかな。山吹に鳴く蛙。この蛙は河鹿蛙(かじかかえる)。まるで鶯の鳴き声のような美しい声で鳴く蛙がいるんだ。「色も香もなつかしきかな蛙鳴く井手のわたりの山吹の花」小野小町の河鹿蛙と山吹の花を詠んだ歌がある。さらに「音にきく井手の山吹見つれども蛙の声は変らざりけり」と紀貫之も山吹と蛙の鳴き声を詠んでいるからね。
華女 芭蕉は蛙の鳴き声ではなく、蛙が水に飛びこむ音を詠んだところに俳諧を発見しているのよ。蛙の飛びこむ水の音を聞き、芭蕉は古池を思い浮かべたという句なのよ。