醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  671号  かくさぬぞ宿は菜汁に唐からし(芭蕉)  白井一道

2018-03-14 15:48:57 | 日記


 かくさぬぞ宿は菜汁に唐からし  芭蕉



句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「かくさぬぞ宿は菜汁に唐からし」。芭蕉45歳の時の句。『笈の小文』の旅中、豊橋の医師加藤鳥巣(うそう)宅を訪ねての吟。
華女 芭蕉は自然体の人だったのね。
句郎 気を使ってもらうとかえってくたびれることがあるからね。
華女 でも唐辛子が副菜になるとは、思えないわ。
句郎 菜汁とは、菜っ葉の味噌汁だよね。香辛料としての唐辛子ではなく、野菜としての唐辛子を醤油で煮たようなものだったんじゃないのかな。
華女 そうよね。。
句郎 お客に菜汁と唐辛子の膳を出す。「かくさぬぞ」という言葉がいいなぁーと思っているんだけどね。
華女 この句の「ぞ」という言葉は、「や」という言葉に匹敵する言葉になっているわ。
句郎 三百年も前に詠まれた句だとは思えないような平明な言葉で詠まれているのが魅力なのかな。
華女 簡明な句よね。
句郎 三百年前の庶民として、裕福な生活の一端が詠まれているようにも感じるな。
華女 玄米のご飯に菜っ葉の味噌汁と唐辛子の煮物、立派な食事内容だったのかもしれないわ。
句郎 赤い唐辛子の煮物が食欲を刺激したのかもしれないな。
華女 「あかとんぼはねをとったらとうがらし」という其角の句を「とうがらしはねをつけたらあかとんぼ」と芭蕉が添削したという話をネットで読んだことがあるのよ。この話は本当の話なのかしら。
句郎 さすがに芭蕉の添削は素晴らしいと思うけれども、本当なのかな。私にはわからない。でもここには俳諧の精神のような息づいているという感じがするな。
華女 唐辛子というと何か晩秋のイメージがあるようにも感じるわ。「かくさぬぞ宿は菜汁に唐からし」。すっきりした晩秋のイメージ、藤沢周平のひたむきに生きる下層武士の食卓という雰囲気を感じる句だわ。
句郎 夕日に唐辛子というイメージかな。
華女 掃除が行き届いた質素な部屋の食卓のイメージがこの句を読むと湧いてくるわ。
句郎 勤勉で質素、節約した生活に満足している。足るを知る生活かな。
華女 「かくさぬぞ」という上五に足るを知る生活が表現されているように思うわ。
句郎 そうだね。足るを知る生活をしているから客人を迎えても菜汁と唐辛子の食卓を囲むことができるということなのかもしれないな。
華女 そうなのよ。今の自分を受け入れている生活なのよね。これじゃだめだ。これじゃだめだと、自分を絶えず、否定し頑張っていく生活じゃないのよね。
句郎 真面目に誠実に今の生活を大事にしているということなんだよね。
華女 そう、今の自分の生活を大事にしているということなのよね。菜締めと唐辛子の食卓に満足している生活ということなのよね。
句郎 背筋を伸ばし、怠けることなく、誠実に生きていくということなんだろうな。そこから客人に菜汁と唐辛子の食卓を出し、静かな会話に芭蕉は満足したということかな。