醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  681号  いざよひのいづれか今朝に残る菊(芭蕉)  白井一道

2018-03-25 16:10:05 | 日記


 今朝に残る菊 いざよひのいづれか  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「いざよひのいづれか今朝に残る菊」。芭蕉45歳の時の句。『笈日記』。「素堂亭 十日の菊蓮池の主翁、また菊を愛す。昨日は龍山の宴をひらき、今日はその酒のあまりを勧めて狂吟の戯れとなす。なほ思ふ、明年誰か健かならん事を」と前詞がある。
華女 この句、さっぱり分からないわ。
句郎 旧暦に生きた人でなければ、月への思いが通じないということがあるんじゃないのかな。
華女 新月から新月までが一カ月というのが旧暦でいいのよね。
句郎 一カ月の真ん中というと十五日。十五夜に満月になる。
華女 でも新月から新月までは、二十九日から三十日ぐらいなんでしょ。
句郎 旧暦では、一年が三五四日から三五五日になったようだ。
華女 暦は農事暦と一体化していたんでしょ。
句郎 神社が毎年、暦を作り、庶民の家に配っていた。農家や商家は神社に感謝の気持ちを込めてお布施というか、そのようなものを上げていたんだろうな。
華女 満月が美しい月が八月の十五日、中秋の名月と言われるようになったのよね。
句郎 満月といっても少しづつ満ち欠けが月によって違ってきていたからね。
華女 当時の人々は月を今日は何日かを知ることができていたのかもしれないわね。
句郎 月の満ち欠け、月が見えるか、見えないか、月は暦、そのものだったからな。
華女 月に対する人々の関心も高かったということね。
句郎 十六夜と書いて「いざよい」と詠むようになったのは、「ためらう」「躊躇する」意味の動詞「いざよう」の連用形が名詞化した語といわれている。 旧暦16日の月の出は、15日の満月の月に比べてやや遅いところから、月がためらっていると見立てたようだ。
華女 だから十六夜を「いざよい」と読ませているのね。
句郎 十五夜が綺麗であればあるほど、十六夜の侘しさが思われたのだろう。
華女 十六夜とは、侘しさというか、寂しさがあるということなのね。
句郎 そうなんだ。十六夜と「今朝に残る菊」とを比べ、どちらが侘びしいのかなと、なげかけているのじゃないのかな。
華女 「今朝に残る月」とは、何を言っているのかしら。
句郎 「重陽の節句」と言えば、何日だったけ。
華女 「重陽の節句」は九月九日ね。
句郎 重陽の節句には何をしたのかな。
華女 中国伝来の慣習ね。菊の節句なんてもいわれているようよ。
句郎 そう、栗ご飯を食べたりして無病息災や長寿を願ったんだよね。菊の酒は不老長寿の酒だといわれていたようだからね。今でも「菊水」なんていう銘柄のお酒があるくらいだからね。
華女 
「今朝に残る月」とは、九月十日の菊の酒を言っているのかしらね。
句郎 そうだと思うよ。十六夜と九月十日の菊の酒とを比べてみたらどちらが侘びしく、寂しいかとよんでいるのが、この芭蕉の句なんじゃないのかな。