吹き飛ばす石は浅間の野分かな 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「吹き飛ばす石は浅間の野分かな」。芭蕉45歳の時の句。『更科紀行』。
華女 浅間山の噴火というといつごろあったのかしら。
句郎 芭蕉が訪ねた頃に見た噴火の後は、1582年 天正10年『多聞院日記』『晴豊公記』などが2月11日の浅間山の噴火を京都からでも観測できたと伝えているからね。
華女 芭蕉が生まれる60年ぐらい前に浅間山が噴火しているのね。鬼押し出しの溶岩はその時のものだったのかしら。
句郎 1783年の天明の大噴火のもののようだから、芭蕉が亡くなってからのものじゃないかな。
華女 芭蕉は浅間山の噴火の凄さを感じたのよね。
句郎 この浅間山の噴火の凄さをどのように表現したらいいのか、苦心したようだ。
華女 「吹き飛ばす石は浅間の野分かな」とは、浅間の噴火は石を吹き飛ばす野分のようなものだと詠んでいるのよね。
句郎 実際の噴火は野分とは比べ物にならない恐ろしいものだったんじゃないかと思うけど。
華女 大きな石を吹き飛ばす風のようなものと想像するのが芭蕉の限界だったんじゃないのかしら。
句郎 芭蕉は推敲の人だったようだから。『さらしな紀行』真蹟草稿によると「秋風や石吹颪(おろ)すあさま山」と詠み、棒線を引き消している。秋風が石を吹き下ろす。秋風が吹き下ろす石は小石だ。浅間の山麓で見た石は人の手では動かすことのできない大きさだ。「秋風」では浅間の山麓が表現できないと芭蕉は考えたのではないかと思う。
華女 そうよ。秋風じゃ、ダメね。
句郎 だから「吹落とす浅間は石の野分哉」とした。
華女 吹落としたんじゃないわよね。
句郎 そう、ごろごろと転がっている石は浅間山山中から吹き落されてきたものじゃないな。
華女 吹き飛ばされた石だということに気が付いたということなのね。
句郎 吹き飛ばされた石じゃ、句にならないな。吹き飛ばす石、この言葉を見出すにはきっと血を吐く思いを芭蕉はしたのじゃないかと思うな。
華女 「吹き飛ばす石」、この言葉には力があるわ。
句郎 言われてみれば、そうかと思うけれども、初めて言うのはなかなかできないものなんじゃないのかな。
華女 そうよ。そうなのよ。
句郎 「吹き落とす石をあさまの野分哉」と書き、芭蕉は「落とす」に棒線を引き、消す。そこに「飛ばす」と書き入れている。
華女 「吹き飛ばす石をあさまの野分哉」ね。
句郎 吹き飛ばす石「を」じゃないな。芭蕉はしばらく考えて吹き飛ばす石「は」とした。
華女 「吹き飛ばす石を」より「吹き飛ばす石は」とした方が力のある言葉になるわ。
句郎 そうだよね。「吹き飛ばす石はあさまの野分哉」。この表現に芭蕉は満足したんだろうと思う。
華女 吹き飛ばす石は野分なのよね。野分は石を吹き飛ばすということを倒置したのよね。このように倒置することによって、強い表現ができたと芭蕉は思ったのじゃないの。
句郎 巨大な野分が浅間山の噴火だったんだと芭蕉は理解したんだと思うな。