はつ秋や海も青田の一みどり 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「はつ秋や海も青田の一みどり」。芭蕉45歳の時の句。『千鳥掛』。「鳴海眺望」と前詞がある。
華女 この句は名詞を助詞で結びつけた句ね。
句郎 名詞と助詞だけの句かな。俳句文体の典型的な句の一つなのかもしれないな。
華女 鳴海の大景を表現しているわね。こんな句が詠めたらいいなぁーという句よ。
句郎 芭蕉は大景も上手に詠む俳人だったということなのかな。
華女 人に知られた句に「荒海や佐渡によこたふ天河」があるじゃない。
句郎 『おくのほそ道』出雲崎で詠んだ句だよね。
華女 荒海というと冬の海というイメージがあるじゃない。でもこの句は冬じゃないのよね。
句郎 「天河」があるからね。彦星と織姫の逢瀬。本土と佐渡とを結ぶ天の川。佐渡を隔てる荒海を乗り越えていく彦星と織姫の愛といういろいろなイメージ折り重なった句になっている。
華女 「初秋や」の句は、初秋の海がすっきりと表現されているのよね。
句郎 初秋の海かな。「海も青田の一みどり」。上手いなぁーの一語だよね。浮世絵のような透明感があるように感じているんだけれど。
華女 短歌は動詞の詩。俳句は名詞の詩だという話を聞いた事があるけれど、まさに名詞の詩にこの句はなっていると思うわ。
句郎 初秋の海は緑だという認識を詠っているんだと思うな。
華女 真っ青な空が見えてくるのよね。
句郎 そう、真っ青な空と波の静かな緑の海。これが初秋の海だと芭蕉は感じたんだろうな。
華女 夏の海だったら波頭が白っぽく賑やかな感じよね。初秋の海は静かなのよ。この静かさに少し寂しさがあるのよね。
句郎 誰もいない海かな。
華女 そんな感じなのよね。
句郎 日脚が少しづつ短くなっていく感じが寂しさを醸し出すのかな。
華女 「初秋や海も青田の一みどり」とは、晩夏の最後の輝きのようなものが初秋の海にあるのじゃないのかしら。
句郎 それが海の緑色ということなのかもしれないな。
華女 江戸時代に生きた人々にとって緑色という色はきっと憧れの色だったのじゃないかしら。
句郎 そうなのかもしれないな。当時、庶民というか、町人に許された色は藍染の色だけだったようだからね。海の色が緑色だということは、鳴海の海は深い、深いからこそ海の色が緑色をしている。空と同じようにどこまでも広がっている深い海が鳴海の海だと言っているんだろう。
華女 この句は俳諧の発句だったんでしよう。
句郎 そのようだ。だから招かれた主への挨拶でもあった。招かれた部屋から鳴海の海が臨めたのかもしれないな。尾張鳴海六歌仙の一人、知足亭で歌仙を巻いている。その発句が「初秋や」だ。
華女 この発句にどんな句を付けているのかしら。
句郎 重辰が「乘行馬の口とむる月」と詠んでいる。
華女 浜辺を馬に乗って歩んでいると馬が止まった。どうしたのかと思い、空を仰ぎ見るとそこにはお月さまがでていたという解釈でいいのかしらね。