新聞を読んでいますか? 読んでいません。
私は大学を出て就職した日から定年退職する日まで毎日欠かさず、新聞を読んできた。さらに再雇用になっても新聞を読まない日はなかった。出張になった日も電車の中で新聞を読むことが楽しみの一つだった。勤務先に着くと新聞を読む手が黒くなっていた。洗面所に入り、手を洗い自分の席に着いた。
毎日欠かさず読むコラムは『天声人語』、『社説』だった。ほぼ40年間毎日、新聞を読んできた。すべての仕事を止め、自宅にいるようになったある日のことである。じっくり新聞を読んでいて突然、面白くなくなった。新聞がつまらなくなった。政府広報紙のように思ってしまった。
近所にある新聞販売店に行き、新聞購読を止めたいと店主の申し出ると店主は驚いて、どこの新聞にかえるんですかと、聞いてきた。「私は40年間、朝日新聞を読んできました。その間、一度も何のサービスも受けたことがありません」と、このように言うと、店主は近所にできた温泉への無料券を五枚私に渡し、購読を続けて下さいと願ったが、私はこの申し出をにべもなく断り、温泉の無料券を有難くいただいた。
後日、新聞販売店の店主が私の自宅を訪ねてきた。今、どこの新聞が入っているんですかと、問うた。私は答えた。「私は新聞を読むことを止めたんです。どこの新聞も読んでいないんです。新聞が嫌いになったんです」。私は新聞販売店主に問うた。新聞社は専属の販売店主に読者の意向や意見を聞くというような催しはあるのでしようかと。「そんな催しはありません」というのが新聞販売店主の答えであった。新聞社は販売店を見くびっている。販売店を大事にしていない。「押し紙」はないんですか。販売促進です。このような答えであった。無理やり、読者のいない新聞を新聞社は販売店に強制する。新聞販売店は読者のいない新聞を新聞社から買い取らなければならない。新聞社は弱い立場の者をいじめている。新聞社に怒りに似た気持ちを持った。大新聞社は傲慢だ。自分たちの報道が日本の社会をぎゅーじっている。そんな気持ちを大新聞社は抱いているのかなと感じた。私は新聞を読むことは止めた。この気持ちは新聞販売店主と話をしてますます固まった。それ以来、新聞は市立図書館に行ったときに読むだけとなった。
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