一尾根はしぐるる雲かふじのゆき 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』より「一尾根はしぐるる雲かふじのゆき」。「不二」と前詞を書き、この句を詠んでいる。貞享四年、芭蕉四四歳。
華女 雪化粧した富士山の一尾根にかかっている雲は黒いわねぇー、雨雲なのよと、詠んだのよね。
句郎 「一尾根はしぐるる雲か」と「ふじのゆき」とを取り合わせ詠むことによって雄大な景色を芭蕉は表現している。大景の一部に焦点を当てることによって大きな景色が詠めている。ここに芭蕉の技があるように思っているんだけれどね。
華女 芭蕉は大景を詠むのも上手ね。
句郎 『おくのほそ道』「那古」で芭蕉が詠んだ句「早稲の香や分け入る右は有磯海」、「一尾根はしぐるる雲かふじのゆき」の二句について土芳はその著『あかぞうし』の中で次のように述べている。「この句、師のいはく、若し大国に入りて句をいふ時は、その心得あり」とね。
華女 どのような心得が必要だと言っているの。
句郎 私が理解したところによると例えば「有磯海」に対して越中の人々は、どのような気持を持っているのかを知らなければ、「有磯海」を詠むことはできない。同じように「富士山」についても甲斐の国の人々がどのような気持を持っているのかを知らなれば「富士山」を詠むことはできないとね。
華女 初めての土地を訪ね、綺麗な浜辺があった。恰好のいい山があった。その土地の人々がその山や海にどのような気持を持っているのかを知らなければ句を詠むことはできないというようなことを芭蕉は言っているということなのかしら。
句郎 芭蕉は「大国に入りて」と言っている。その国の人々が誇り、崇めている山や海を詠むときはと、いうことなんじゃないかと思うんだ。だから大国に対して挨拶する句を詠む場合は、その国の人々がその国の山や海に対する気持を知らなければ挨拶句を詠むことはできないということなんじゃないのかな。
華女 大国に対する挨拶句をね、詠む場合なのね。
句郎 土地の人々が崇め讃える山や海を詠む。大景を詠む場合は、その山や海を讃える句でなければ挨拶にはならないと言うことなんだと思う。
華女 私たちにとってその山や海は無くてはならないものだと言うことよね。その気持を詠めということなのね。
句郎 そういうことなんじゃないのかな。
華女 それにしては芭蕉の句はさりげないものね。農作業の合間には疲れた体を有磯海を見ては疲れを癒していた。そんな土地の人々の気持を芭蕉は汲んでいたということかしら。雪化粧した富士山を見て、今日はしぐれるなと、土地の人々は思ったに違いない。そのような土地の人々の気持ちになってその土地の大景を詠んでいるということなのね。
句郎 読みが深いね。確かにそうだよね。私の家から冬になると筑波山が美しい稜線を描いてくっきり見えるんだ。毎日、朝晴れていると筑波山を眺め、綺麗だなと思う。綺麗だなぁーと思うことによって心が綺麗になったように感じるからね。この気持ちは毎日筑波山を眺める楽しみを味わったものでなければねぇー。
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